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死ぬ権利について見直さないか

先日の京王線での刺傷事件、また刃物を持った男が保育施設へ侵入した事件など物騒な事件が増えてきてるなと感じる。

特に怖いなと思ったのがそれぞれの容疑者が仄めかしているという「死刑になろうと思って犯行に及んだ」ということ。

厚労省の統計を見ると、ここ数十年間で見た日本の自殺者数は2000年前半をピークに減少していたようだがコロナの影響もあったか2020年から増加しているらしい。

ただ自殺者数が増えているのであればコロナの影響もあり納得できるのだが、

死のうと思ってその方法として「他人を殺して死刑になる」という選択をする人が現れたことに、これまでになかった闇を感じるのだ。

今後も京王線での刺傷事件などに感化されて事件を起こそうとする自殺願望のある人が増えるような気がする。

そんな今だからこそ、改めて「自殺幇助」って今の日本に必要なんじゃないかと感じている。(当然幇助するのは医師に限るなどの前提)

自殺幇助と調べると「自殺の意図を持つ者に有形、無形の便宜を提供することによって、その意図を実現させること」と出てくるが、

ようは手助けを受けての自殺だ。

手助けといっても、その行為主体は自殺願望者本人になる。

医師から処方された薬物や毒物などをもって、本人で自殺すること。

アメリカの一部州では自殺幇助は合法となっているが、現状日本では自殺幇助は刑法上罪にあたる行為となっている。

この罪として位置づけられている自殺幇助を合法にした方がいいのではないかと考えるのだ。

現状、日本で自殺を考えた時に相談する先となると、厚労省の自殺対策窓口や自殺総合対策推進センターの窓口などがあるが、もう自殺したいという気持ちが強い人がわざわざ上記窓口に相談などするだろうか。

もちろん上記のような窓口の存在意義を否定するつもりはない。

まだ自殺したいという思いがそれほど強くなく、誰かに話を聞いてほしいと思えている人にとっては必要な場所だと思う。

しかし、自殺願望のある人は1人で思い悩みがちで「もう死にたい」「どうやって死のう」と死に方から考えてしまう人もいるのではないかと思うのだ。

死に方を知りたい人が「自殺なんてやめましょう」と止められることがわかりきっている窓口に相談なんかしないだろうと思うのだ。

死に方がわからない人は、思いつく手近な死に方に目をつけ始めるが、「痛いのは嫌だ」「自分で死ねない」と考え、今の地獄で苦しみ続けることを選ぶか

または行動に移し、自ら、もしくは他人に命を奪ってもらおうと思うのかもしれない。

この行動移す人も、移せなかった人も、もし「合法で痛みなく死ねる方法があります」と用意されていたら、そこに相談に行くのではないか。

だってその人たちは誰かに相談したいんじゃなくて「死に方」を求めているんだから。

合法的に死ぬための窓口があれば、これまで相談にこなかった層の自殺者がやってくる。日本に潜在的に存在する自殺願望者がこれまでより見えるようになると思うのだ。

そうすることで、自殺願望者が死ぬ前に最後誰かと会話する、相談することが増え、自殺を止める、また他人を巻き込んだ事件を減らせるのではないだろうか。

当然死ぬことを止められないことも出るだろう。でもそれは、自殺幇助窓口のせいではなく、死にたいと思う人がこれだけいる今の日本が何かおかしいと問題を再認識し、みんなが「生きていきたい」と思える国にしていくために何をしないといけないか考える必要があることを証明する事実が現れるということだと思う。


事件を起こした人たちを許すことはできない。はっきりいって死刑で当然だと思う。

ただ、そういった人たちを闇から引っ張り上げてくれる場がない事は事実だと思う。

個人的に日本は陰湿な文化の国だと思う。コミュニティの多数派の意見に沿わないことをすれば吊るし上げられたり、蔑まれ、叩かれ、嬉々として地獄に引きづり下される。そのコミュニティでの正義に反したからと。

そんな国で生きづらいと思うことは絶対にあるし、死にたいと思ってしまうこともあるだろう。

だからこそ本当に「死について相談できる、死なせてくれる場」を設ける必要があるんじゃないかと思うのだ。

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