つゆとの話し(1)
令和3年11月16日、飼い猫の「つゆ」が生涯を終えた。我が家に来てから僅か4年半でのお別れだった。
つゆは大柄なメス猫でとてもきれいな子だった。多分、ノルウェージャンかメインクーンあたりが入った雑種だと思う。とにかくおっとりしていて、つゆがいるだけで家の中の空気がふんわりと落ち着くそんな猫だった。
つゆがいなくなってしまった今は、ただたださみしく、悲しい。視線でも心の中でもいなくなってしまったつゆを無意識に探してしまう。
なかなか「つゆのいない家」に慣れないのだろうと思う。それでもいつまでも悲しがっていたらつゆも浮かばれないだろう。
悲しい気持ちはすぐにはなくならないけれど、自分の気持ちに区切りをつけるため、そしてつゆとの生活を形に残すために出会いから別れの記録をnoteに書いてみようと思う。
令和3年11月18日
つゆとの出会い
つゆは平成29年の5月下旬に急に近所に現れた。最初につゆを見たのは資源ごみの日にゴミステーションで仰向けになってみんなにお腹を撫でられている姿だった。
この時は少し離れたところから眺めていただけで、人懐こくてかわいいなー、とは思ったがまさかこの猫が我が家の猫になるとは思いもよらなかった。
ごみを捨て終わって家に帰り、まっ先に妻に言った。
「今日ね、ゴミ捨て場でめちゃくちゃ人懐っこい猫がいたよ。かわいかったよ。」
動物が好きな妻は、わ~、私も見てみたい、と言っていた。
数日後の朝、庭に出たら駐車場に猫がいた。あの猫だ。目が合った。僕は猫がどこかに行ってしまわないうちに大急ぎで家の中へ行き、妻を呼んできた。
妻も急いで家から出てきた。やっぱりこの時も人懐こく、僕たちに好きなだけ撫でさせてくれた。この時からなんとなく「にゃーさん」と呼ぶようになった。
下の写真はその時に撮ったもので、毛はぼそぼそ脚も真っ黒。この時すでにそこそこの期間に渡って放浪していたようだった。
ただ、もともと大柄で長毛種と言うこともあり、見た目ではそんなに痩せていたようにも見えなかった。
それからにゃーさんはしょっちゅう我が家の庭にあらわれるようになった。僕が仕事に行く時には大通りに出る角まで歩いてついてきた。とてもかわいかった。毎日毎日、妻と「今日のにゃーさん」の話をした。
そう日が経たないうちに僕たちはにゃーさんをうちで飼う相談を始めた。
ただ、立派な子だったので何かのアクシデントでもともと飼われていた家に帰れなくなってしまっただけかもしれないと思い、しばらく様子を見ることにした。
ネットの猫捜索掲示板などをしばらくチェックした。もし探している人がいるなら帰してあげるのが一番の幸せだから。
縁があれば飼えばいい。そう思いながら猫情報を毎日チェックしていた。
そのうちにゃーさんはずーっとうちの庭で過ごすようになった。朝はお見送り。昼に仕事から帰れば出迎えてくれ、午後の仕事の行き帰りも見送りとお出迎えをしてくれた。
つゆ、我が家のねこに
ひと月ほど様子を見たが、情報は皆無だった。もういいだろうと思い飼うことにした。
6月24日、土曜日。その日も家から出るとにゃーさんは僕の元へとやってきた。僕は玄関のドアを空けながらにゃーさんに聞いた。
「うちの猫になる?」
にゃーさんは何のためらいもなく家の中へと入っていった。うれしかった。かわいかった。わくわくした。
まずはお風呂場へ連れていき次男と2人がかりで丸洗い。きれいになったと同時に濡れた毛がぺしゃんこになりガリガリな姿が露わになった。
トイレの場所を教える前に部屋の隅でそそうをしたのはいい思い出。その後、死に際で自力にトイレに行けなくなるまでそそうする事はなかった。
その日の夜、妻と名前を決めた。妻の希望で「つゆ」に決まった。ちょうど季節は梅雨の最中。僕もすてきな名前だと思った。
翌日、動物病院に連れていき、体調や病気を持っていないかチェックしてもらった。幸いに痩せている以外は特に問題はなかった。
年齢は3〜6歳の間で、多分5歳くらいかな、と言われた。この時は10年、短くても7、8年は生きてくれると思った。まだまだつゆがいなくなる日なんて遠い先だと思っていた。
この時の体重が2.9キロ。うちが飼わなければあと数日の命だったに違いない。つゆにとってもifストーリが始まった日だと思う。
子供たちもつゆを迎えたことをとても喜んだ。もう1ヶ月も毎日顔を合わせていたのだ。待ち遠しくて仕方なかったと思う。
こうして我が家の人間4人とつゆとの生活が始まった。
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