つゆとの話し(8)
前回のお話し
通院が始まる
10月20日、つゆは少し足取りがよろけるようになった。朝からほとんどおしっこも出ない。食欲もなくなってから数日が経っていたので動物病院行くことにした。
まずは血液、尿などの検査をする。少し炎症反応があるものの、いちばん懸念されていた腎臓への細菌感染はなかった。体重はやはり減少していて4.3キロになっていた。
詳しく調べるために先生は血液を検査機関に送った。結果は出るのは1週間ほど後だ。
この日はビタミンなどの点滴と、飲み薬をもらった。3日ほど続けて点滴をすることとなった。
腎臓に何もなくてよかったね、と、妻と話しながら家に帰った。ふたりで「つゆちゃん、はやく元気になって、またたくさんご飯食べるんだよー。」と話しかた。
カリカリを食べないので主食代わりになる総合栄養食のちゅーるを買ってきて食べさせた。つゆは気に入ってたくさん食べてくれた。すぐ元気になりそうな気がした。
翌日、翌々日も病院に行って点滴をしてもらう。この間はなんとちゅーるを1日で12本も食べた。点滴のお陰か、おしっこもよく出るようになった。
体重も少し増えて4.5キロになっていた。このまま元気になってくれる、僕はそう信じて疑いもしなかった。
10月27日。今日は血液検査の結果を聞きに行く日だった。つゆを連れていかない予定だったが朝から脚に力が入らずにうまく立てなかったので急遽連れていくことになる。
この日はアクシデントが。まつも朝から、まったくおしっこがで出なくなり急遽一緒に連れていくことに。
先にまつから診察してもらったところ尿路結石だった。すぐに処置してもらえたお陰でこちらは大事には至らず、点滴と1週間分の薬をもらって終わった。
今度はつゆの番だ。妻と2人で椅子に座った。
先生が血液検査の結果を見せてくれながら説明を始める。
「猫コロナの抗体値が高く、FIPの可能性が高い。肥大型心筋症の兆候も見られる。高齢なので年齢要因もあり複合的な原因と考えられる」と言うことだった。
その後も病気の説明が続いた。猫の死因のトップの腎臓病がなかったことでまだ少し安心していた。僕は治る病気なのか尋ねた。
「治ることはないですね・・・だんだんと弱りながら過ごすことになります。」
僕は勝手に「だんだん」を年単位で考えていた。あと3年くらいは一緒にいられるといいな、1年後だと早いよなー、と。
この日は1週間分の薬をもらい帰宅した。
このころから、ごはんをスプーンで与えるようになる。その日の気分で食べるものがころころと変わった。
十何種類ものエサを買い、よく食べるものを探した。食べないものは全く食べないので使えないエサがどんどん溜まっていった。
自分の朝ごはんの前につゆに食べさせるようになる。すこしずつスプーンで口までもっていく。毎朝20分ほどかかったがちっとも苦ではなかった。妻と「子供が小さい時みたいだね」と笑い合った。
トイレも抱っこして連れていくようになった。階段で滑らないようにカーペットを敷いた。
つゆにまつわる全てのことが、ひとつとして苦ではなかった。つゆのことを考え、つゆのために使う時間が増えた。
少しでもつゆに長生きしてほしいと願った。
それでも少しずつつゆの食事量と運動量は減っていった。
11月4日。今日は通院日。体重は変わらず4.5キロ。腹部をエコーで調べたが腹水はなかった。先生からはこのままがんばって何でもいいので食べさせてくださいと言われる。次回は2週間後の通院になった。
急激に体調が崩れだす
11月に入り1週間たったころから、トイレにたどり着く前に漏らしてしまうようになった。出したいときに出ず、何かの拍子に漏れてしまうような感じだった。漏らしてもいいように部屋の中にトイレシートを敷く。
歩くことも少なくなり一日のほとんどを水飲み場と段ボールのサークルで過ごすようになった。部屋の中にだんだんとトイレシートの敷かれた場所が増えていった。ちゅーるも1日に3本食べるのがやっとになった。
その反面、外やお風呂場によく行きたがるようになる。猫は死に際を見せたかがらないという話が頭をよぎる。
長男が大学がない時間につゆに付き合ってよく庭に出てくれた。長い日は2時間以上もそっと寄り添ってくれた。
長男も人並みにあった反抗期の時に家族とギスギスしていた。そんな時、つゆだけは変わらず長男に接していた。
ふてくされて自室から出てこない時、つゆと布団に入ってすやすやと眠っていたこともあった。長男にとってもつゆは大きな癒しだったのだと思う。
今年は11月に入っても暖かい日が多く幸いだった。それでもつゆの体調悪化は止まらなかった。
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