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SNSでのブロックがつらすぎる問題

人間関係における可能性の消失、それは他者の死である…。だから極端なこと言えば、自分の手で行えば殺人だ。ブロックは相手の人生の中でお前は不要であるという宣言となる。再度どこかで繋がれる可能性が失われている。とはいえ「繋がっているかもしれない」ということには自覚することのできない重みがあり、ある意味で足枷のようなものでものにもなり得る。


出会いの格差や性差がある。そして資本を持っている者による選別が行われている。時間やお金や人と知り合いやすい環境を持っていると打算的になる。自分の気持ちの揺れ動きと罪悪感に面倒くささを感じつつに指先ひとつで簡単に切れる。年齢的な時間制限という強い意識に背中を押されることもあるのだと思う。


ネットで知り合うと、どこかで遭遇する可能性がゼロだからこそ気軽にブロック出来る。定期的に会う人にはできないわけで。よくブロックする人は、頻繁にブロックすることが友好関係を狭めているのは間違いないのだけど、新しく誰かと出会うのって簡単な時代なので、色んな人に会いまくって感覚の合う人だけを取捨選択しているだけで本人はさほど困っていないはず。


しかし、一方で恵まれない者には人間関係の幻想に基づく執着がある。この人でないとダメだ、唯一無二の存在である相手を失いたくないという諦めきれない気持ち…。どこまでが本当なのか怪しくなってくる。いや、もっと関わるべき人間を積極的に選んでいるのであれば説得力があるのだが、その場合は何があれど、そもそも1人の人間に囚われたりはしないだろう。


携帯を持っていなかった自分が小さい頃の時代を思い返せば、「人間関係はなんらかの要因によって常に切れ続けるのが当たり前」だっただろうからこれは現代特有の問題として考えるべきである。相手の意思なのか、それともタイミングや運が悪かったのか不明瞭なまま思い出になって終わる切なさが今はない。


地雷を踏んでしまったであるとか、適切な行動ではなかったとか、思い返せば言動に心当たりがあることも少なくはないけれども…。どれだけ振り返ってもブロられは自分が悪いのか相手が悪いのか分からないままのこともある。しつこくし過ぎているのだと思う。自分の言動に心当たりがあったりすることもあるますよね。キモい発言、キモムーブをした、相手の気持ちの無視、叩いたりした、しつこくし過ぎた、とか他にも色々やらかしまくっているのだろう…。


問題が起きるのは「近づきすぎたとき」というのはそう。仲良くなりすぎ、好きになりすぎ、会いすぎ喋りすぎ…。最大限のリーチがどこまでなのかって条件次第のはずなのに無理やり突破しようとするからおかしなことになってしまう…。自分から距離を取れば誰もいなくなるし最初から必要とされていない存在だったんだなと思う。たまに思い出して連絡とるところまでしてくれる人がいれば嬉しいな。みんなの微かな記憶の中に入り込む。自分にとっても他人はその程度なんだよ。1人でも寂しくないようにしたいや。


関わる人間を選ぶのって単純じゃ無いから難しい。自分が興味津々でワクワク感を抱く対象は大体どこか難しい人たちだったりするから。単純に面白いから関係を深めたいってのだと上手くいかないことも多く…。自分自身の心の平穏に寄与するような自分の力になってくれる人を中心に考えるべきなのかもしれない。勝手に期待している分だけ失望することも多いから何も望まないくらいがちょうど良い。


ワイワイしている人たちは自分には無い何かを持っているってのも間違い。会えば会うだけ、知り合いが多ければ多いほど良いってのも違う。そのような発想を持ってしまう時点で人間関係に変な期待をしている。欠乏を取り戻すだなんて、そんなもの最初からない。負け続けると分かっていても、まだ見ぬ景色と経験のために挑戦するのが青春なのだと思うんだけど、それで得る成果物ってなにもないんだよね。


ブロックされない人間関係のための具体的な方策


①他の人を巻き込む

1対1の関係性のときに起きやすいとはいえ、他の誰かを巻き込んでもブロられるときはブロられるのでその面からは対策が難しいかも。料理を食べに行く会みたいなのはちょうど良さそうだけど、少人数での深い親密さを求めるなら違う。


②友達になる相手を選ぶ

友達からは「君に問題はなく、だいたい向こうに問題があるので、自分が関わる相手を選ぶべき。ただ惹かれる人や選好は変えられないので難しいけど…」とアドバイスされることが多い。


③生き急がず調子の良い時だけ人と会う

普段から色んな人に会いまくっても誰かを傷つけてしまいがちなので1人の生活を基軸にして、気が向いたらふらっと誰かと遊ぶくらいがちょうど良い。

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