山上事件ってどうなの
山上事件を巡って、どのように感じたかが色んな人で全く逆の方向を向いているんだよなあ。加害性をどう捉えるかが根本的に違うというか。自分は、暴力を否定することは別に暴力の根絶に繋がるわけではないと思うし、要するに世の中は暴力でしか変えられないと証明していると捉えているんだけど。
誰かの命を奪う権利は国家にすら存在しないという前提で否定は一応のところしておきたいのだけど、山上さんの行動は自然なものだと思うんだよね。この間、酒井隆史の『暴力の哲学』が良かったと伝えたら、その手のものは自分は論理に飛躍があるから共感できないと言われてしまった。元首相だから殴っても良いのか?あなたも誰かから急に身に覚えのないことで殴られても良いということだけど?ということらしい。そこは止むを得ないと言わざるを得ないかなと感じていて、そこの違いかなとは思う。現代人はリスクを抱えつつ高度な生活を成り立たせているわけで常に加害側に日常的に立っているから。現代日本の東京で暮らしている自分はいつ殺されても文句は言えないだろうと思っている。「万人の万人に対する闘争を防ぐために自らの手段に制限を加えることが正当化される」は通用するか。これは無敵の人には適用されない。もう少し深く掘り下げるなら、近代以降の社会契約という概念の是非をめぐる議論でしかないことが分かる。人がどの程度他者に依存せず独立して存在できるかどうか。言語化が難しいこと、因果関係があること、納得すること、ぜんぶ似ているようで違う。今回の事件はリスクの最大化を防ぐ危機管理的な行動取らなかったが故の死な訳で、全く同情もしないし、仕方がないことだと思う。普通にニュースを見ていれば飛躍なんてなくて明確につながりが存在するような気がするのだけど。そして、我々はよりマシな暴力を主体的に選び取るしかない。