その1 ハチロクが駆け抜けた時代
AE86という型式のカローラレビン、スプリンタートレノは通称ハチロクと呼ばれ、昭和58年から61年まで販売された4代目カローラーシリーズの1グレードのことである。
自分がハチロクに出会ったのは、既に平成に入って数年経ってから。初期型が10年落ちとなり、当時の毎年車検に引っかかろうかという老体だった。
(当時は製造から10年以上経った車両は2年置きの車検が毎年義務となり、買い換えを促すシステムとなっていた。そのため10年落ちのクルマは敬遠されていた。しかし’95年に法改正により毎年車検の制度はなくなった。)
自分は大学生時代に免許を取って、乗り回していたのはS110ガゼール。日産のシルビアの兄弟車で180SX的な存在の車種。父親が乗りつぶして放置していたのを貰ったかたちで、自分もかろうじてクルマを所有できていた。
’90年代半ば。この頃はいわゆる「峠の走り屋ブーム」。小型スポーツカーで速さを競う草レースみたいなことが週末夜な夜な繰り広げられていた。これはその後の「ドリフトブーム」の前で、タイヤのスキール音やマフラー音を鳴らし散らすこともなかったので、人に知られること無く、一種のマニア、カーキチ(カー気違い)の中で峠のレーサーが増え続けていた。
自分もガゼールで参戦するものの、技術的未熟さとマシンのボロさから、到底勝負にならず辛酸を舐めたものである。
この時代でもAE86はカリスマ的な名声を保持しており、その後のモデルチェンジしたAE92、AE110、AE111などよりも、よっぽど人気があった。もっともAE86を最後に駆動方式がFRからFFに変わってしまったので、もはや同一車種と捉えることも難しい状態ではあったのだが。
ライバルとしては、シルビア、シビック、ファミリア、ランエボ、パルサー、この辺だったろうか。今やカテゴリーとして存在が危うい1.6~2.0リッターくらいの軽量スポーツカーが持てはやされたのだ。さらに古いTE27やサニーをハイチューンして持ち込む輩もいた。
そんな平成初期がハチロクの駆け抜けた…というか、一番生き生きとしていた時代かな。(「駆け抜けた」と過去形にすると失礼かなと(笑))
つづく