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教育者、指導者として子供を指導する上で本当に伝えるべきことは何なのか

こんにちは。

本日も記事をご覧いただきありがとうございます。

今回は、アスレティックトレーナーや鍼灸師という立場からではなく

「教育者」「指導者」という立場で日々子供を指導する中で感じる部分や、課題などをここに記してみようと思い執筆しました。

お時間ある際にでもご覧いただければ幸いです。

これまで、大阪市教育委員会より委託を受け、部活動指導員(会計年度職員)として某中学校へ関わり始めて早3年目になります。

部活動指導員とは、単に競技そのもののスキルやフィジカルの部分を指導するだけではなく、下記のように学校生活面や生活指導などの部分に関して指導することも職務に含まれています。

 部活動指導員の職務
 1.実技指導
 2.安全・傷害予防に関する知識、技能の指導
 3.学校外での活動(大会・練習試合等)の引率
 4.用具・施設の点検、管理
 5.部活動の管理運営(会計管理等)
 6.保護者等への連絡
 7.年間・月間指導計画の作成
 8.生徒指導に係る対応
 9.事故が発生した場合の対応

私自身は教員免許を取得している訳ではなく、ましてや教育大など教育に関する学校を卒業しているわけでもありません。


ですが、現在は学校教育機関に属する
『教育者』『指導者』
という立場に立って

子供に対し『教育する』という初めての経験をしています。

これまでは、アスレティックトレーナーとして
高校生や大学生のアスリートに対して
『アスリートに対する選手教育』
という観点で選手に対し指導を行ってきましたが、それとは全く違った難しさを日々痛感しています。

例えば、プレーに関して少し指摘するだけで
簡単に拗ねて、イジけて、不満な態度を分かりやすくアピールしてくる子供達
自分の思い通りにならなければ、それだけで不満が募るのでしょう

こういった場合に簡単に子供をまとめる手法としては
指導者が怒鳴って、怒り散らして、悪く言えば
恐怖による支配によって子供達を黙らせて、自分の言うことを聞かせる

この方法が一番簡単に指導者と子供達の服従関係を作る事ができて、指導者としてはやり易い環境に変化していくのでしょう


でもそれじゃ、ダメなんじゃないかと僕は思うわけです

もし、そんな不満な姿を露骨にアピールしてきても、
なるべく頭ごなしに怒ったりせず、常に一歩引いた立場から物事を伝える、理解してもらうことが
指導者・教育者として大事なんじゃないかと思うのです

なぜなら僕の理想の指導像は
「子供達が自分達で物事を考えて行動できるようになる」
ことだからです


子供たちは怒られたくないって気持ちが強すぎると自分で考える思考を失うんじゃないかと思うわけです

「どうやったらこの問題を解決できるかな」
「できるようになるためには、じゃあ、こうしてみよう」


なんて言って、みんながみんな自分で考えて行動に移せるようになれば良いなと思い指導に当たっていました


ですが、実際はそんな思い通りにいく訳もなく

「先生、これどうしたら良いですか?」
「先生、これやって良いですか?」


といった言葉がそこら中で飛び交うように、、

「先生、僕はこう思うんですけど、先生はどう思いますか?」

なんて、まず自分で考えて話をしにくる子が全くいないという状態に、、

そういった影響もあるせいか、学校生活でも問題行動を起こしてしまい、
その上、自分は関係ないですからとか簡単に嘘で誤魔化すなんて行動を取るような子も多々出てき
完全に自分の日々の指導の問題でもあるなと反省するようになりました。

そんな中、つい先日生徒から小さな嘘を続けてつかれたり
(こちらから与えたメニューをこなしていないのに、全部やりました!なんて堂々と嘘を言ってくるなど)
と、この子達は小手先でちょちょいと嘘をついて逃げるような選択を自然とするようになっているのか

と、ここで心底悲しくなり、また、このままじゃダメだなと強い危機感を覚えて
その都度チームで話し合ったり、個人別で話し合ったりとして、今後どうしていけば良いのかと悩んでいる最中です


冒頭にも書いた通り、部活動指導員の指導内容としては競技そのものの指導だけではありません。
競技以外の部分でも常に気配り、目配りをして指導に当たらなければなりません。

極端に言ってしまえば
私の場合は、競技そのもの自体に対してはそこまで本腰を入れて指導に当たっていません
(部活動指導員としては失格なのでしょうが)

これには多少なりとも自分なりの考えや理想の指導像があるからです

じゃあ子供達に何を伝えたくて、どうなって欲しくて日々接しているのか
ここの部分を今一度自分の中でハッキリさせておく必要があります


僕の考える中学時代における最も重要な部分は

「これからの人生に活きるような人格形成を作ること」

だと思っているからです。

競技スポーツというものは
そういった、自身の人格形成を形作る最良の手段
と考えているからこそ

競技そのものというよりも

・日々の私生活や学校生活における行動一つ
・相手を思いやる気持ちを持つこと一つ
・大事な人を傷つけないようにすること一つ
・人が傷つくような嘘をつかないこと一つ
・大事に思ってくれている人を裏切るような行動をしないこと一つ
・自分がされて嫌なことは相手にしないこと一つ



といった部分を競技スポーツを通じて理解して行って欲しいんです


でも、こんなことを常日頃から直接口で伝えても相手は中学生

『はいはい、分かってますよ』
『そんなの当たり前のことじゃ無いですか』


なんて思うのが普通で

じゃあ、そんな子達に対してはどうやったら上記に書いたような事を
聞いて、且つ理解してもらえるんでしょうか

僕はこの手段を担うのが競技スポーツの持つ大きな役割だと思っているのです。


反則一つを例にとってもそう

反則をして相手を傷めてしまったら真摯にしっかりと謝る
それが例え故意的な反則でなくても
一言、「ゴメンね。大丈夫?」
なんて言われたら、誰だって悪い気はしないでしょ?
それだけでその子は相手を気遣える気持ちを持っている優しい人って思われるんだよ

とか

審判への態度一つにとってもそう

自分達のために動いてくれている人に対して、
「誤審だ!間違っているぞ!」
なんて声を荒げて罵るなんてスポーツマンとしてやっちゃダメなこと、しっかり受け止めて次のプレーに切り替えることが大事なんだよ

とかとか

逆に、良いプレーをした時は

チームみんなで一つになって盛り上がり、成功を讃え合うことで
もっと皆の仲は深まっていくし
より一層
スポーツって楽しい!!!
って思えるようになるんだよ

なんてことを
なるべく子供達にも分かるように、伝わるように
常日頃から口にするようにしています。


僕たち大人の指導者だけが
スポーツから学べることや素晴らしさを理解していても
子供の心に届いてなければ意味が無いので
本当にここ最近は

「伝える」

ということを意識しています


そしてこれら一つ一つって、昔からずっと言われ続けている

「スポーツマンシップに則る」

とか

「フェアプレイの精神」

なんて言葉が表してくれているもので、
まさに競技スポーツによって、競技スポーツを通じて
その子の性格や人格などが形作られていくものだと思うんです


競技スポーツって

「直接的にこのプレーが人格形成を成すんですよ」

「このプレーや、行動一つが日常生活に大きな影響を出すんですよ」

なんてものはありません。

でも、必ずそこには繋がっていたり、共通している部分があって、
自分一人じゃ足りない部分をみんなで補い合って、指摘しあったり称え合ったりして、モミクシャになりながらも結果向かう方向は同じだから、同じ目標に向かって進んでいくから

競技スポーツって素晴らしいものだと思うんです。


何も競技そのものを教えるだけが僕の仕事ではないので

「一人一人の今後に繋がり活きるための指導をしよう」

と思って、接するようにしています。

こちら側がどれだけ気持ちを込めて伝えても、実際に子供達の心に届く割合なんて、1/10いや、1/100程度でしょう。

でも、僕の考えている思いや気持ち、子供達に感じて欲しい部分などはそれでもやっぱり伝え続けないと行けないんですよね

ここ最近は、本当に人を指導することの難しさを痛感しています

学校の先生方の日々の苦労を考えるだけで、本当に素晴らしい仕事だなと敬意を評します。

指導者という立場で、ある意味部外者でもある僕の立場だからこそ伝えれるものはまだまだいっぱいあるはず

ほんとに心の底から、子供達の今後の活躍に期待しながらこれからも真摯に向き合って指導していきたいと思います!


今回は、気持ちの整理のために執筆しましたが、数年後に見返して

「あぁ、こんな若い時期もあったなぁ」
「この頃はまだまだ考えが甘いなぁ」

なんて思える日が来るのでしょうか

いや、そう思えるようになっていたいからこそ

僕も子供達に負けず日々成長して、胸を張って今の自分を表せるような大人になっていきたいと思います


では、本日はここらで終いとさせていただきます。

本日もご覧いただきありがとうございました。

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