高知伊尾木川~徳島那賀川 その2
静かな山村と清流の光景を求めて選んだ伊尾木川の旅だったが、来てみるとそこは下流の集落から30キロ無住の集落が続く廃村地帯だった。
かつての中心集落であった場所で元住人の方に話を聞いて、地図には集落名が点在するこの中流域に常住する人は一人もいなくなってしまったことを改めて確認し、ショックを受けたのだが、この先最上流部には3戸だけ常住する集落があるという。
そこでの暮らしはどういうものなのだろうということが気になって先に進むことにした。
事前に地形図で確認した時の印象では中流域は川の流れもゆるやかで、見通しの良い村落風景を想像していたけれど、実際に来てみると斜面からの樹木が道路に影をつくって延々と森の中を進むようだった。
しかし後で地図を見て確認したら最初の印象はそれほど間違っていた訳ではない。
地図の測量の時から時間が経って、今はその頃あった建物が取り壊されて跡地が植林されたり草に埋もれて、人がいた時の光景を隠してしまっていたのだ。
集落であった場所に来て、よくよく目を凝らして見ると失われたものが見えてくる。
例えば20年ばかり前だと全然違った景色だったのだろう。
人が住まなくなった土地が森に還ってゆくのは存外に早いのだと思い知らされた。
そんな鬱蒼とした森の中をずっと進んでいたので、対岸に水田と比較的新しい家を見た時には少し明るい光が差し込んだ気になった。
この川を遡る行程で「対岸」に渡れるところはいくつかあったが、どこも恐らく人が住まなくなって長い時間が経った土地ばかりのようで木造の吊り橋がかかっているだけのところが多かった。
けれどここではコンクリートのまだ新しそうな橋があって、人の手の入っていそうな家屋もある。
と言っても3戸ほどの小さな集落なのだけど、この流域では「開けた」場所のように見えてしまう。
車も無くこの家の持ち主は不在のようだったが、田植えの準備をしているようで周りに野菜の育つ畑もある。
下流に引っ越して畑だけ維持して通っている人は幾らかいると聞いていた。
あくまで常住はされていない「空き家」なのだろうけど、比較的最近まで住まわれていたのだろう。
そう何らか人の手がかけられている姿を見るだけで少しほっとする。
しかしここを過ぎると本格的に山の奥に分け入ってゆくことになる。
道幅は狭く上り坂が増えてきて、路面に落ちる小石や木の枝も多くなってきた。
渓流の眺めは素晴らしく、足を止めてゆっくり楽しみたい気になるのだけど、ここに至るまでに自転車はパンクを繰り返して予定より相当時間が押してしまっていた。
昼過ぎに峠の予定で、徳島県側の木頭に下りたら何か食事できるかと思っていたのに、距離にしてまだ半分少し過ぎたところ、峠の登りを考えたら到底半分にも達していないのに午後になってしまった。
なので先を急ぐ。
この辺りからも最上流部に至るまでに集落は無い訳ではなく、川筋から離れた山の上の方に地図上には地名が残っていたと思うが、恐らくそれらは人が住まなくなって久しい土地だろう。
探してもなかなか痕跡をみつけることは難しいとは思っていたが、急ぎ足で通り過ぎてゆく中では入口さえ見つけることはできなかった。
人気のない深山の景色の中を相当長い時間かけて上りつめ、片斜面の険しい地形にようやく現れた建物は公民館だった。
ということは、ここが上流の集落の中心地なのだと思われるが、周囲には明らかな廃屋しか見られない。
斜面の上の集落に至る林道の分岐で、かつてはここに商店などもあったのかもしれないが、自転車のスピードでなければそんな想像もすること無く通り過ぎたかもしれない。
人の生活を感じられる場所はさらに1キロほど進んだ後にようやく見つけることができた。
のだが。
人に出会う前に唐突に立ちふさがったのは10頭を越える犬たち。
一斉にこちらに向けて怒号を浴びせかけてくる。
何が起こったのかよくわからないまま、脇道の上にある民家に逃げ込むとそこまでは追ってこなかったので少し気を落ち着かせた。
ああ驚いた。
番犬というには多すぎるから、犬の繁殖業でもしているのだろうか?人が入ってこない土地だから気兼ねなくできるのからか?
住民の方が在宅されていた聞いてみよう。
そう思い声をかけてみたが返事はない。
そりゃ、あれだけ犬が吠え立てて、誰かいるのなら何事かと出てくるのではないか。
畑に作物が育てられていて、作業台に道具が置いてあるので、住まわれているか、少なくとも頻繁に通われてはいることがわかる。
中流域から人がいなくなってもこの上流域に暮らしを営まれている、その話を伺いたかったが仕方ない。
家の入口に、娘さんのだろうかお孫さんのだろうか?制服を着たカカシがいた。
限界集落の女子高生、あり得ない組み合わせにここのご主人のユーモアを感じる。
人には会えなかったが彼女に別れを告げて先へ進む。
再び森の中を1キロ少々進んで、ついに最奥の集落に辿り着いた。
やはり平地はほぼないけれど、斜面に立つ家の周りの畑などが管理されているだけで少し解放感がある。
これが人の生活のある光景だなと思う。
ここまでで森ばかりだと思って通り過ぎて来た場所でも、かつてはこんな光景を至るところで見られたのかもしれない。
ここでは谷川を利用して斜面に段々の池を設けていて、見たところ養魚場を営まれているようだった。
この仕事をするために街から遠く離れたこの地に住まわれているのか、それともここに住むためにここで仕事をつくりだしたのか?
話を聞きたかったがこちらも不在の様子。
斜面をもう少し上がると植木の手入れされた立派な古民家があったのでこちらにも声をかけてみた。
するとこちらには80代後半というお婆さんがご在宅で、お話を伺うことができた。
今はお婆さん一人暮らし。
定期的に麓の街から息子さんが来てくれて買い物などは頼んでいるのだそう。
やはりこの集落は3戸だけ。
隣の養魚場の家は60歳前後のご夫婦で「まだ若いから元気」だと言う。
確かにここまで来ると60代で「若い」と言われて全く違和感なくなっている。
少し離れた下の家にはお爺さんが1人。
やっぱりこの上流部、というか、下流の大井集落から先の30キロくらいの間で常住されているのはこの3戸4人だけのようだ。
かつては山の仕事があったけれど、一軒、一軒とこの土地を離れていったのだという。
野暮だと思いつつどうしても聞きたくなってしまう「不便じゃないですか?」
それには「ここで不自由ない。ずっと住んできたところを離れたくない」と返ってくる。
幸いにも大きい病気もしていないそうで、確かに緊急時に医療施設が遠いのは不安だけれど、体調に不安がないなら息子さんからの生活必需品の差し入れがあれば、ずっと暮らしてきた環境だけに不自由を感じないのかもしれない。
周りに畑があって、季節の野菜は手に入る。
「近くに店や病院が無いから不便」などというのは現代の感覚で、彼女の若い頃は生活に必要な物は周りで揃えるのが当たり前だったのかと思う。
必要な物は身の回りにある、足りないものだけ届けてもらえば十分。
「なぜ未だここに残っている?」という問い自体的外れなのかも知れない。
以前の暮らしの延長であればそれは特別なことではないのだろう。
ここまで来る途中の、人が住まなくなった集落を見てゆくなかで、この流域全体がもう枯れつつあり精気を失った樹木なのだと思った。
ほとんどの葉が枯れ落ちて、末端の梢にわずかに緑の葉が残っているだけのイメージ。
裸の枝が虚しく空に広がる中に一本の枝にだけ青く葉が光っていたなら「なぜこの一本だけ?」と不思議に思うのかもしれないけれど、全体が緑の葉を茂らせていた頃であれば特に気を引くこともないただ一本の枝だった筈だ。
もうこの樹は以前と同じ形で命を吹き返すことはないのかもしれないけれど、一本の枝についた葉は何ら特別な存在でもなく、ただ与えられた生をその場で全うしようとしている。
元々は大家族が住まわれていたと見える大きな古民家はお婆さんの一人暮らしでも綺麗に整えられているように見えた。
庭を飾る植木も手入れが行き届いて、畑の野菜も元気に育っている。
「高齢のお婆さん一人で大変だろうなあ」と最初思ったのだけれど、話を聞くうちにそれは変わらぬ日常の継続であっただけなのだと知らされた。
この世の果てのように思っていた土地も、来てみれば昔からの小さな日常が残るだけだった。
変わったのは周りだけだったと言えるのかもしれない。
そんな思いを抱いて最後の集落を離れ、峠への急坂を登り詰める。
一行であっさり書くほど楽ではなかったのだが、話の流れ的にその辺はあえて省略。
別に誰かに労ってほしいとかそんな思いは全くないのであえて省略。
普段長距離走ったりしないただのオッサンが慣れない山道50キロ以上走った上に1000m超えの峠道すげーしんどい思いで登り切ってもそれ誰も見てなくて何も報われないから後で書いてセオさんスゴイと言われたいとか意識の隅にすらないのであえて省略。
ふう。
標高差400mを駆け上がるとこれまで歩んできたこの谷が一望できた。
直下に先ほど訪れた集落の家々が見えるが、そこから視界に入る中流域までの広い範囲に他に人が住んでいない。
改めて見渡すと本当に深い山だと思い、数十年前にはこの視界に入る山々の至る所に人の暮らしがあったことは驚きを覚えるが、それも現代の感覚に捉われ過ぎているということなのだろう。
徳島側へ越えると人の住む地まで相当長い距離を走らなければならない。
下りは楽に飛ばせるかと思ったら、またパンクしたり、未舗装路が現れて慎重に進まなければならなくなったりで、遠い道のりとなってしまった。
そんな果てにようやく国道に出て辿り着いた木頭北川集落は川の両岸に家々や畑が広がっているのが眩しいくらいに思え、久々に出会えた人の暮らしの場所としてさながら桃源郷のように感じたのだった。
この土地の人たちの話も聞いてみたいな、と思ったけどもう夕方の時間で先を急がなければならなかったのが心残りだった。
まさかその後この地に通いつめることになるとは。
なんだけど、やっぱり思い返してみたらこの時木頭に一目惚れしてたんだなあ。
また来たい、もっとこの土地のことを知りたい、と色々調べているうちに山村留学のことに行き当たってそこから縁ができたのだった。