イラストの生成AIについて、エンジニアだから推進したいけど絵を趣味にしているからイヤだなとも思う人の話
どうも。晴空リウルです。
ぼくは普段お仕事では主にプログラミングとかそういうのを扱っていて、趣味で絵を描いている人です。
イラストの生成AIが登場してから未だに賛否が分かれていて度々論争になっている状態ですが、その度に自分なりに納得するために考えていたことを改めて言葉にまとめておこうかなと思った記事です。
同じような立場で、生成AIについて何となくモヤモヤしてる…といった方の助けになれば幸いです。
技術は発展していくべきという考え
まず生成AIに限らなければ、AIという分野自体については今後発展していくべきというのは大多数の人が賛同するところでしょう。今までは人がプログラムを書いて決まったルールでしか処理できなかったことも、ChatGPTをはじめとした色んなAIが少しずつ生活を助けるようになっています。
これはイラストに関するAIも同じで、使われ方として例えば「色使いをこうした方がよくなるかも」とか、「肘はこのあたりの方が自然に見えるかも」とか、そういうのだったらそれが過去のイラストを学習ソースに使っていたものだとしても、ほとんどの人は受け入れてると思うんですよね。
すごく極端な例を出せば、マッドサイエンティストが「ラットなんか使ってないで人体で実験した方が早いじゃないか」と言っても大多数の人が「それは倫理的に…」っていうのと同じ状態なんじゃないかなと思ってます。
つまりこんな感じ。
許せる
ラットで実験→医療の発展
自分たちの絵が学習される→絵のサポートをしてくれる
許せない
人体で実験→医療の発展
自分たちの絵が学習される→AIで絵が生成される
ここは感情と合理性のバランスでしかなくて、感情は人それぞれなので、派閥が生まれてしまうんですよね。
当然「人の命を実験に使う」というのは大多数の人がメチャクチャ嫌だと思うことなので人体実験はしちゃいけない方に話が進みますが、絵に関しては描いてる人でないとこの気持ちは分からないし、何なら描いてても気にしない人もいるので、この嫌さをルールに昇華させるのはかなり難しい戦いなんじゃないかなと思ってます(だからこそ頑張ってる方がいるんだと思いますが)
生成AIを使うのはズルじゃない?という感情
生成AIの是非の話をする時、結構この「ズルだと思う」感情をくだらないものとして扱われてることがある気がするんですが、完全にないがしろにするのも違うと思うんですよね。
そもそも先ほど話したように、嫌だと思う人がいるからルールが出来たりするわけで、合理性だけで話をしたらディストピアになっちゃうわけです。
で、この「ズル」だと思う感情で分かりやすいのは、対人ゲームとかでチートを使うこととかを考えれば分かりやすいと思います。あとは遊びでイカサマをするとか。そりゃズルじゃないですか。なので、オンラインのゲームなんかは規約でちゃんとチートしちゃダメよ、と書いてあるんですよね。ズルされたら不愉快なので。
要は機械を使って楽に有利に立とうとするのが不愉快なわけです。ただ、ゲームなら感情優先でいいんですが、娯楽以外になると話が変わってきます。
そろばんが電卓になったり、電卓がExcelになったり、今まで職人が手作りしていたものも自動化されたロボットが作るようになったり、より技術は発展して機械がうまくやってくれるようになる方が合理的だし、大抵の人は合理的な方を選ぶんですよね。
そしてこの時だって、せっかく技術を磨いていたのに技術の発展によって仕事を奪われた人はイヤだと思ったことでしょう。でも地道に年単位の鍛錬を積まなくても、新しいツールの使い方を少し学べばより多くの人がそれを出来るようになる方が合理的だから仕方ない。これは本当に仕方ない。
また生成AIの元になっている絵の学習ですが、これも法的には何ら問題がないというところもどうしようもない点です。生成した絵が何かに似通ってる分には著作権法の話ができますが、多くの絵を参考にして新しいものを生み出す分には人もやっていることで、ここを法の話でどうにかするのはできないようです。なのでこれも仕方ない。
イラストの生成は効率的にされるべきものなのか?
というわけで前述の話を踏まえると、我々絵描きが気にするところとしては「生成AIによって手描きより効率的にイラストを出力するのは合理的なのか?」という話になります。
例えば先ほどのロボットの導入でいえば、職人とかがイヤだと言ってもより簡単になるならリターンの方が大きいわけですが、そもそも生成AIを使ってそんなにリターンがあるのか?ということですね。リターンがそんなにないならそもそも勝手に自然消滅する分野で、気にする必要もそんなにないわけです。
これは完全にどこを目的にするのかという話で、例えば生成AIの初期の頃にTwitterに流れていた「AI特有のおかしい点がいっぱいある絵」なんかは、面白かったですしリターンもありましたし、そのリターンを得るのに誰かが不快になったこともあまりなかったでしょう。
一方、今行われている「普通の絵」の生成はどうでしょう。それなりに評価されてもいますが、結局のところ「人が描いたかどうか」で評価は変わっていると思います。
これは逆にAI推進派の方々からするとくだらないことかと思いますが、大多数の人が「労力」に価値を感じることを避けられない生き物である以上仕方ないことだと思います。
誰だって手描きの手紙を貰ったら嬉しいし、有名人のサインもコピーされたものより直筆の方が嬉しいし、コンビニ弁当より恋人の手作り料理の方が嬉しいわけで、子どもから生成AIで作った似顔絵をもらっても反応に困るわけです。
そういった合理的でない、「手間暇をかけたこと」に価値を感じるのは、ごく自然なことでしょう。
つまり、「人の心を動かすためのイラスト」については生成AIによるイラストは勝負しにくいわけです。この分野に関しては生成AIを使う方が合理的、ということは無いでしょう。
逆に、「使う」ためのイラストは生成AIの方に歩がある可能性があります。発表用のスライドに添えるイラストだったり、企業のトップページによくあるそれっぽい写真素材だったり、ああいうのは誰が描いたかなんて気にする人はそうそういないですし、「パワーポイントのここに添える適当なイラストを用意して」で絵が出てきたら喜ぶ人の方が多いでしょう。
これはもちろん絵や写真を素材として作って売っている人にとってはつらい話です。ただそれは仕方ない。さっきの職人どうこうの話と同じです。
結局趣味絵描きに影響はあるの?
ぶっちゃけあんまり無いと思います。
影響があるとしたら「いいね」が減るかもとかそういった懸念だと思いますが、そもそも良い絵がいっぱい流れてきたからといってその中の1つしかいいねが押せないわけでもないので、仮にAI絵もそれなりに評価されてきたとしても、そんなにあなたの絵への反応が減ることは無いでしょう。
(そんなことよりXについてはおすすめに乗る乗らないのがデカい)
生成AIが生まれる前から「同ジャンルで自分より上手い人が描いてるから」とか「もう似たネタで描かれてるから」とかそういったことで絵を描くことを遠慮する話がありますが、そういうことは気にしちゃいけないんです。あなたが描きたいから描く。それでいいし、先人がいようがいまいが見てくれる人は見てくれる。生成AIがあろうがなかろうが同じ。
自分の中での結論
生成AIを気にせず今まで通りやりたいことをやるだけでいい。