「生きる」ってどういういこと?
喉に「腫物」が出来ました。耳鼻科でみてもらいましたが、「甲状腺にしてはずれているみたいだし、炎症かも」ということで、1週間分の抗生剤を処方され。
けれど、腫れもひかず、再受診。外科の紹介状をもらい、明日10日受診します。ちょっと調べたところ、ストレスなんかが原因の腫れもあるので、そっちが濃厚な気もする。
けど、1回は考える「がん」かも(笑)
早期なら手術すれば助かるだろうし、手遅れなら。。
その時、私はどう思うのか。そんなことの結論が出る前に、「生きる」ということの自分の考えを書いておこうと思う。
けっこう前に、実はこのテーマで書いていた。のだけど、下書きのまま放置していたので、完成させます(笑)
なぜ、このテーマで書こうと思ったのか、ツイートを検索したら、出てきたのがこれ。(忘れてましたw)
「生きるとは」を考えたのは、過去に3回だけ「死にたい」と思ったから。
「死にたい」というか「生きていたくない」と本気で考えた。
そんなことを考えることができるのは、本当の自分の死を目の前にしてないから。とも思う。
だから、もしかして、がんだったりしてと思いつつ、けど違うだろうと楽観的である今、書いておかねばと書き進めてみました。
2022年9月10日1:09
以下、加筆修正=========
検査の結果は、異常なし!(やっぱりw)
エコーでみたところ液体がたまっているとのことで、もともとあったしこりに、血液か水が溜まっているのだろうとのことでした。
3か月くらい放置すれば、自然と消えるだろうとのことです。
2022年9月12日0:59=======
次から本編!
1回目は小学校高学年
最初に「生きる」ということについて考えたのも、「死にたい」と思ったのも、小学4.5年生くらいだった。もう、だいぶ昔のことで、記憶はあいまいだ。
けれど、そういうことを考えていたことは覚えている。その時出した「結論」は、今もそう変わらない。
当時出した結論。
「どうせ生きないといけないなら、「楽しく」生きないと損。」だ。
いじめられていた。「死ねたらな」と思っていた。「死ぬ」ことはできない。けど「生きたくない」。
自分は両親に愛されている。それは知っていた。べたべたした関係ではなく、「相談」なんかしない。けれど、自分が死んだなら、すごく悲しむだろうなということは想像ができた。
なんで生まれてきたんだろ?
「命」ということについて色々考えていた。
自分が小学生の時は、たしか「環境破壊」が世間ではとりざたされていた。
「オゾン層破壊」「温暖化」他にも国同士のいざこざ?よくは覚えてないけど、「ダメじゃん全部」と思っていた。
ニュースをみるような小学生ではなく、本や漫画、アニメ、ドラマが当時から大好きだったので、フィクションでもそういう話が多かったんだと思う。
それで考えていたのは、「1回人間が滅びてリセットするしかないんじゃないか?」だった。
「人間」なんかがいるから「地球」に悪影響が出たんだ。だったら、「人間が滅びればいい」
今でいう「厨二病」(笑)
けれど、当時は真剣にそう考えていた。そうだ「ノストラダムスの大予言」も流行っていた?
だけど、そんなに簡単に「滅びる」ようなことが起こるはずもなく、自分も「死ねない」。
そんな思考迷路に入っていて、途中にどう思ったのか何かきっかけがあったのかは覚えていない。ただ覚えているのは出した結論。
そう、冒頭で書いた、「どうせ生きないといけないなら、「楽しく」生きないと損。」だ。
それから「死にたい」とは思わなくなった。
小・中・高とバスケットボール部に所属していた。
そこでも悩みはつきなかったけど、没頭して練習した。
楽しかった。
だけど、相変わらず「人間関係」には苦労した。
「友達」ってなんだろうとか考えた。
「友達」はいた。
今は連絡をほぼとってはいないが、「友達」だと思っているし、たまにSNS上で見かけたりもする(笑)
けれど、「相談」したりは出来なかった。
「心友」が欲しいと思ったりした。
まあ「思春期」だ。そんな風に悩みはつきなかったが、ふつうの学生時代だった。
2目は大学4年目の卒業年の冬
留年することが確実だった。
あこがれの1人暮らしで、それなりに楽しい大学生活だったけれど、途中から授業をさぼり、単位不足になった。
高校時代
高校は進学校。田舎だけど、高校3年生のときは毎日学校に行くほど勉強した。土日も祝日もなく、模試と補習。
部活動で明け暮れた高校生活が一気に受験色で染まった。
当時の部活動は、今のように、週1休みなどなく、毎日だった。
練習は嫌いだけど、そのスポーツをするのは好きだった。だから、苦痛ではなかった。楽しかった。
しかし、勉強の為に毎日学校に行くことはかなりの苦痛だった。正直キレていた(笑)
子どもも同じ学校を目指すと言ったとき、口が酸っぱくなるほどその大変さを教えた。
大学にて
そんな大変な受験勉強を乗り越えての大学。しかも一人暮らしだった。
自由が目の前に突然現れた。
色んな価値観に触れた。
そこでの話は長くなるので語らないが、高校の時とは一変して学校に行かなくなった。バイトしたり、別のことをしていた。単位が足りなかった。
優等生からの転落。人生初の階段からの踏み外しだった。
(その前に夢を抱いて大学を辞めようと親に言ったことがあった。辞めなかったwこの話も省略)
留年が決まったからか、それとは関係なくか、よくは覚えていないが、同時に過食症気味にもなった。
人と話していると、わけもわからず泣きそうになりトイレに駆け込んで、口を押えて泣きまくった。
情緒不安定だった。
子どもとして「優等生」
「優等生」だった。勉強が出来るとかそういうことではなく、「子どもとして」。
塾にもいかず、大学までストレートで合格した。私立は受けず、入学した(国)1校しか受験していない。
お金の負担をかけたくなかったからだ。
自分の家は裕福とはいえず、奨学金をもらわずに大学に行かせてもらったのは感謝しかない。
おまけに一人暮らし。どんなに大変か、今ならわかる。
(貧乏な子供時代。。そういえば、以前こんな投稿をした)
娘の私が大学に行くことは父親の夢でもあった。
父親の夢を叶えられたことが、私には嬉しかった
だから、留年することがほぼ決まったときは、まっ先に父親の顔が浮かんだ。
「優等生の転落」といっても、自分にとってはどうでもいいことだった。
問題なのは、親にとって、だった。
現実を受け入れたくなかった。留年するとは言えず、明日死んでればいいのにと思っていた。
自殺は親を傷つける。
食べて寝て。いちを、バイトや日々の生活、やるべきことはなんとかやった。生きていたくないのに。
とにかくやるしかない
そこからどう立ち直ったのかは、正直覚えていない。
記憶が確かではないので、時系列は間違っているかもしれないが、1人旅行した。
東京まで行って、劇場で芝居をみた。(その芝居が東京であることを知って、それを見る為だけに行った。)
帰りは、JR乗り継いで、ホテルも取らず、24時間営業の店や、空きビルで夜を明かした。行ってみたい場所に行き、観光した。楽しかった。
そんなことをして乗り越えたのかどうだったのか。
とにかく、やるしかない!と思って、それから親に話したのかな?
大学をなんとか5年で卒業できた。
3回目は去年の冬
大学卒業後は、色々ありつつも就職し結婚もした。子供も生まれ、幸せだった。はずだった。それが壊れたのは、去年の冬。
こちらは、前に連ツイしたのでそちらを。
まあ、簡単にいえば、お金がないことへの将来の不安から、自分が死んで保険金でなんとかしてと思った。
子どもにどれほどのショックを与えるのかはわかっていたので、ダメだという思いと、楽になりたいという思い。
今は立ち直って、楽しくやれています♪
NFTやLLACと出会えて、よかった!
けれど、生きていくのはメンドクサイ
楽しくはあるけれど、生きていくためには、お金が必要。
雑務も必要。
生きていくって大変。
そんなことで「死にたい」とは思わないけど、「生きていなくてもいい」と思ったりする。
「生きていたくない」ではなくて、「生きていなくてもいい」と。
その一方で、今、ブロックチェーンというものを知り、web3という新しい時代の訪れに、どんな未来があるのかワクワクする。
実生活では、孫の世話もやりたいと思う。
子どもたちに、どんな未来が待っているのか見守りたい。何かあったら助けてあげたい。
けれど、そんな明るい未来よりも、全部やりたくないが勝るときがある。
究極のズボラ(笑)
簡単に言ってしまえば、そうなのかもしれない。
「生」に対しての執着心が希薄。
もちろん、危ない!というときは反射的にドキッとするし、何事もなければよかったーと思う。
命の危険には恐怖を感じる。
けれど、それは生存本能によるもの。
もし、人類が滅びそうになったなら、映画などにあるように死に物狂いで逃げたりせずに、死を待つ。
それでも、生まれたからには、寿命をまっとうするのが生を受けたものの義務のように思うから、だからせめて楽しく生きようと思う。
Live Like A Cat という生き方
LLACでは、ニンゲンやめて猫のように生きるがテーマ。
本当に猫のように生きられればいい。
けれど実際はそういうわけにもいかない。ニンゲン辞められない。。
「猫のように生きよう」と思うことで、少し楽になれた。
けれど、半分はニンゲン。
ニンゲンである限り、考える。
考えるから楽しいのだ。
そんなことも思う。
感情を動かされる。
楽しい。嬉しい。面白い。感動。
ニンゲンだから、味わえるもの。それはある。
ただ、楽しいだけでは生きていけない。そうなれればいいし、そうなれるよう頑張っている。けど、まだ、そうではない。
生活は楽ではない。
だから、冒頭で書いたように、「もしかしてがんだったりして」と思ったとき、最初に思ったのは「保険金もらえるじゃん」だったw
これは、本当で、自分の命の心配よりラッキーと思ってしまった。
どんな思考回路?
客観的にはそう思う。
もしかしたら、お金の悩みにまだ私は囚われているのかもしれない。
LLACのファウンダー(ニャウンダー)であるしゅうへいさんは、お金はガソリンだという。道具だという。
確かにそうだと思った。
そんなものにふりまわされない人生を。
そうありたい。そうあろうと思う。
けれど、結局のところ、お金がないと何もできない。
世の中、お金があれば解決することは多い。
もちろん、お金がすべてだとか、1番だとかは思っていない。
たとえば人とのつながりはお金には変えられれない。
愛すべき子どもたちも。
ただ、お金がないと、生活はできない。
もちろん方法はある。生活保護とか。
だから、お金がないから生きていたくないわけではない。
一番は、人間関係。
やりたいことがあっても出来ない。
切り捨ててしまえればいい。
一部はそのつもり。離婚する予定。
だけど、人間関係そう単純なものではない。
守るもののために、簡単には出来ない。
お金がないから、あらゆる制度を利用するために、簡単には籍は外せない。
考える。調べる。ほかのことをしたいのに。
そんなことが続くと、「メンドクサイ」と思う。
普段はメンドクサイはメンドクサイで、それと命とを結びつけて考えたりはしない。
ただ今回、「もしかして。。」となったとき、「生きていなくてもいいなぁ」と思ったしまった。
あと、娘とも、そんな話をしたりもするので(笑)
ニンゲン、メンドクサイ(笑)
補足
これは思考メモなので、細かい説明は省略しています。
連続ツイートや、長女の話にLLACについての紹介記事を貼っています。
※LLACは「猫のように自由に生きよう」というもので、このブログ記事とは即さない気もしました。けれど、「生きよう」とたまに思えないニンゲンもいるということで。。にゃらティブ投稿にはならないので、そっと公開だけします(笑)
色々書いたけど、楽しみなイベント盛りだくさん♪
今は、リアルセミナーにいって、ネット上で会話している皆さんと会ってみたいと思っています。
このオンラインチケットを買ったけれど、本当は行きたい!
もし、命の期限がはっきりしたら、ぜったい行く!
なんて考えるので、私の思考回路はちょっとおかしいのかもしれません(笑)
もし、LLACというコミュニティに入っていない方で、こんな記事で興味をもってくださった方の為に、招待リンクを貼っておきます♪
参加は、もちろん無料です。
LLACへ参加する
最後まで読んで頂きありがとうございました!
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