SS/同居した俺の恋人の話
帰宅した同居人が、ため息をつきながらソファに突っ伏した。
まずは俺にキスが先じゃあないのか、と訴えると「ごめん」と額や頬にキスをくれた。
同居人は最近よく疲れている。転職したばかりの会社がどうもよくないらしい。
休日に二人でむつみ合っているときにも、よくスマーフォンが鳴り、怒鳴り声が聞こえてくる。
同居人は協調性を重んじるタイプだから、休みに電話してくるななどとは絶対言えないだろう。
俺ならまず出ないのだが。とにかく彼が心配だった。
俺たちが一緒に暮らすようになったのは、3年前のことだ。
俺はこの地域の自警団で、不審者を追い払う夜間パトロールや困っている住民のサポートなどをしていた。
同居人は当時越してきたばかりで、地域の作法や暗黙のルールを知らないで生活していたせいで、「生意気なやつが引っ越してきたな」「追い出すか」などと荒っぽいやつらに目を付けられていた。
面倒をみてやっているうちに、俺は同居人に恋をした。何気ない仕草や、さみしげな表情、時折みせるはかなげな笑顔がとても好きだった。
俺からの猛アプローチの末、同居人の家に転がり込み、同棲生活を始めた。晴れて恋人同士となったのだ。
同居人はよそよそしいタイプかと思いきや、とてもスキンシップが多かった。
ことあるごとに俺に抱きついてきて「大好きだよ」と愛をささやく。
俺も精一杯同居人を愛したが、転職してからは「大好きだよ」が減り、代わりに「なぐさめて」と言うことが多くなった。
まず飯の量が減った。俺のぶんを分けて無理矢理にでも食べさせようとするが首を振る。
夜眠らなくなった。俺に抱きついて寝たかと思うと、はっと覚醒し「すみません」と見えない誰かに謝っていた。
いつの間にか服がぶかぶかになっていた。
日に日に衰えていく生気。
ある休日の午後、同居人は「明日、月曜か」と呟いた。
同居人は「月曜日」のことを特に嫌っていたが、この日はどこかおかしかった。
まるでいいことを思いついたかのように、椅子を運び始めたのだ。
どうするつもりだ、と尋ねても、返事がない。まるで恋人の俺の存在を忘れているかのようだ。
同居人は、フックに紐のようなものを掛けて輪を作り、そこに頭を通して椅子に立った。
「そうだ、こうすれば月曜日が来ないんだ」
目の周りが窪んだ顔で、とても嬉しそうに笑っていた。
嫌な予感がした。
待て! やめろ!
俺は大声で叫んだが、同居人は椅子から飛び降りた。
天井からつるされた紐がビーンと張り、同居人の首に食い込む。
「ぐぅっ」というカエルを捕まえたときのような声がした。
誰か! 助けてくれ!
同時に、紐がぶちりと切れて同居人は床に倒れ込んだ。
俺に倒れかかってきたので、慌てて避けて彼の顔をのぞき込むと、ぽとぽろと泣いていた。
「死ねなかった、こんな細い紐じゃ死ねるわけないよな」
俺は同居人の涙を舐め取った。
同居人はやっと俺を認識して、俺を抱きしめた。
「ありがとう、クロ」
ああ、俺が人間だったなら、今すぐ同居人を抱きしめてあげられるのに。
ああ、同居人が猫だったなら、俺の世界で楽しく暮らせるのに。
種族が違うというだけで、こんなにも愛しているのに俺は同居人を助けることができない。
俺は精一杯の声で鳴いた。神様に抗議するように鳴いた。
それをじっと見ていた同居人は、ぽつり。
「そうだよな、クロのために死ねないよな」
よっこいせ、と起き上がって引き出しから封筒と便せんを出した。
俺を抱きしめたまま、器用に文字を書いていく。
なんと書いてあるのかは俺には分からないが、同居人は「タイショクネガイ」と呟いていた。
お前が元気なら、ちゅーるも缶詰もいらない。
毎日カリカリでいいよ。缶詰は痩せたお前にあげるから、早く元気になってくれ。
ああ、俺の愛しい同居人。
(了)
イラスト:陸兎さま