見出し画像

私はセーラーマーキュリーになりたかったんだ

今もなお廃れず、人気を誇っている美少女戦士セーラームーン。世代の方や、そうじゃない人をも夢中にさせている漫画・アニメだ。美少女というだけあって、そのビジュアルは可愛い・カッコイイ・スタイルがいいし、個性的なキャラクターに魅了された人はとても多いのではなかろうか。私もその中の一人だった。美少女戦士セーラームーンが放映されていた、毎週土曜日19時を心待ちにしていたことを今でも覚えている。

※ここからは少し、セーラームーンのネタバレを含むので、これから観るよ!と言う方は注意してくださいね※

当時私は小学校低学年で、役になりきる「ごっこ遊び」を盛んに行なっていた。この頃は、友達や姉妹と集まって、セーラームーンごっこに没頭していた。
今思うと少し照れてしまうが、「月に代わってお仕置きよ!」はもちろん、「ムーンプリズムパワーメイクアップ」で変身もしたし、「ムーンティアラ アクション!」で空想の敵を倒しまくったし、色々なフレーズをふんだんに使い、役に成り切って公園を駆け回っていた。

そんなごっこ遊び。まずはおままごとのように「お母さん役」「お父さん役」と配役を決める必要がある。やりたいものが被ればジャンケンや順番で配役を交代するのが主流だった。しかし何故か、私は勝手に「周りが抱いている私というイメージ」を想像して、その性格やキャラクターとリンクしている部分が多い役を選択する傾向があった。あとは、この役はあの子がやりたいだろうと勝手に譲ることもしていた。恐らく長女気質も働いていたのだろう。自己主張=我儘と思い込んでいた。きっと自分なりに人間関係を築く上での処世術だった。その結果、私の役は大体、セーラームーン(月野うさぎ)か妖魔(敵役)の二択だった。頭脳明晰なセーラーマーキュリー(水野あみ)やセクシーでツンデレなセーラーマーズ(火野レイ)にはなれなかった、いや…ならなかったのだ。

決して、セーラームーンが嫌だったわけではない。主役だし、ドジでマヌケな泣き虫設定だけど、とてもキュートだし憎めない性格。そしてなんと前世・未来は王女様なのだ。セーラームーンごっこで主役であるセーラームーンをやりたかった人もいただろう。けれど、当時の私はタイトルどおりセーラーマーキュリーになりたかったのだ。冷静で賢くて優しくて。そんな人に憧れていたし、なりたかった。

そんな風に周りを伺いながら、自分はこう思われているから…と自身を決めつけ、自己主張をせず進んできた道。本当に面白いことに、勝手に自分で描いた周りからのイメージどおりの自分になっていた。今の自分は本当の私じゃない。とは思わない。これが私なのだ。けれど、これらの思考や行動は、暗に自分の気持ちを否定していることに気が付いたのは、つい最近のことだった。

自分の気持ちとのギャップに限界がきてしまったのだろう。体調を崩してしまったことをきっかけに、とうとう勤めていた会社で休職せざる追えない状態となってしまった。きっと今まで誤魔化して誤魔化して誤魔化して…上っ面だけで生きてきたツケが回ってきたのだ。これからもこのままで生きていくことが自分にとって正しいことなのか…自分と対峙せざる追えない状況になった。

自分との対峙…まずは職場復帰をゴールに、体調を元に戻さなければと規則正しい生活を取り入れるべく、一日の予定を立てた。と言うのも、時間の使い方が下手くそな自覚があったから。そして、ゴールを職場復帰としたけれど、これからもこの会社でお世話になっていくのか。も視野に入れた。正社員で毎月お給料が貰えてボーナスも出る。少し仕事はキツイけど、我慢さえすれば今は安定的だ。社会保証も充実している。けど…それと引き換えに、自分の時間はほぼないに等しい。休日は疲れに疲れ切って外にも出れない。起きたらお昼過ぎ。だたテレビやYouTubeを流しているだけの休日。月曜日になれば再び仕事づけの1週間がやってくる…これでいいのか…?と、そんな違和感もあったから。まずはザックリと、自分の本音探しをしていった。

しかし、本音探しは本当にとても難しいことだった。自分の気持ちを無視して、勝手に自分で作り上げた自分像を着々と積み重ねていった私は、頭を使うことを放棄していたから。なのでまずは、頭に浮かんだ気持ちや事柄を紙に書いたり言葉に出すことと、自分が心地いい空間を作ったり、関係性のありそうな本をピックアップして読んだり、少しずつだけど自分を肯定することを増やしていった。人なのだから、みんながみんな何かしらを偽りながら協調性を持って生きていることには違いない。けれど、自分の意見や意思は伝えることは悪いことではないと認識しはじめた。そんな自己流意識改革を経て休職して2ヶ月後、まだ少し自分に違和感を感じつつも職場復帰に成功した。

復帰後は、とにかく意見や想いは言葉にして伝えることを心掛けて仕事はいい方向に進み出した。自分の意思が芽生えてきたのかも!と思うと同時に、この仕事を続けて人生を進めていいのか?と休職中に出てきた選択肢が頭をかすめていた。拭えなかった違和感はこれだったのか。と、気が付いた。根幹にあった気持ち。このままこの会社で時間を使っていてはいけない。という思いだ。どんなに自分の意思や意見を伝えるようになったからって、早々に周りからの私のイメージが変わる訳ではないし、今の私だからこそ、築けた人間関係もある。尊敬できる先輩や同僚達。よく飲んでよく笑い、辛い時は支え合ってきた仲間達。恵まれた環境。でも、きっとこのままで居たら、ずっと悶々と生きていくことになる。なりたい自分になれる努力に、これからの時間を使おうと決めた。

復帰後、半年間考え抜いた決断。退職の意向を上司へ伝え、その2ヶ月後は晴れて無職になった。辞める際、温かなアルバムをいただいた。職場の方々からのメッセージや写真がまとめられたものだ。どれもみんな素敵な言葉たちで、涙を流しながら読み切った。写真はどれも笑顔で、あぁ…私がここで数年働いてきたことは間違いじゃなかった。私で良かったなと心から思えた。なりたい自分とはかけ離れていたけれど、そんな自分を好きになれた瞬間だった。

私はこれからもセーラーマーキュリーにはなれないけれど、セーラームーンのように王女様にはなれないけれど、自分をもっと我儘なまでに肯定してあげて生きていこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?