奄美の作業療法士、宿を建てるまで。#6
おはようございます!
以前、自分の母がパーキンソンだということを話したと思います。
比較的ゆっくりと進行していたのですが、最近、それが結構な速さで進んでいるように感じます。
歩幅が狭くなったり、方向転換時のふらつき、右手の振戦だけだったのが左手にもみられるようになり、表情も乏しくなってきました。
そのため、母も動けなくなっていくことにイラつきや不安、落ち込みなど精神的にも不安定になり毎日のように父に対して「家を出ていきたい。」「居場所がない。」「死にたい」など、、様々なことを言うようになりました。
また、精神的にも鬱的になり友人が電話にでないだけで、「私は嫌われた。どうしたらいいか分からない。」と、泣いて崩れることも多々見られるようになってきました。
母は畑に行くことも大分減り、家でテレビをみる時間が増えました。
1人でぼーっと過ごす時間が長ければその分ネガティブな考えも増え、余計に落ち込むと思い、畑に誘ったり色々声かけなどをしましたが、母は嫌な顔をしたりため息をついたり、、、。
自分はどう接したらいいのか?
と、思うようになりました。
そんな時、父が仕事でしばらく家を離れることになったので、兄夫婦にも協力を依頼して一緒に母を支えて行こうね!と、話し合いをしてきました。
そんな矢先、
父が家を離れたその日の朝から、母は自分に対してヨソヨソしく返事もしないなどおかしな様子でした。
なにがあったのかを母に尋ねてみると、
「母ちゃんは、あんたに前からずーっと気を使ってきてた。本当にきつい。2人の生活になると思ったら耐えきれないから家を出て行こうと思った。けど、行く場所もないからここにいるの。」
・・・。
開いた口が塞がりませんでした。
また、母は「こんな体になって、周りに迷惑しかかけてない。こんな状態なら死んだほうがマシ。ずっと死にたいって思ってる。」
と、言いました。
私は、「誰も母ちゃんに迷惑かけられてる。なんて思ってないよ?なんでそんなふうに思うの?母ちゃんが気を使って生活してきてたのに気づかなかったよ。それで、母ちゃんが悩んで出て行きたいとか、死にたいって思うなら出て行くから大丈夫だよ。」
と、伝えました。
支えて行きたいと思ってたのに、自分の存在が母を苦しめていたと思うと、母に会うのも話しかけるも難しくてなりしばらく家を離れることを決めました。
兄の家にいったり、友人の家にいったり、1人でキャンプをしたりしました。
母と離れる時間は不安もたくさんありました。
また、考えすぎて余計に落ち込まないだろうか?自発なんてしてないだろうか?など。。
自分が離れてるあいだ、甥っ子や兄の奥さんが母のもとを訪れ様子をみてくれていたので安心できました。
しかし、今朝父から電話があり、「母ちゃんに電話したら声に元気がない。母ちゃんを支えて、話を聞いてほしい。早く家に戻ってくれんか?」と、父の今にも涙が出そうな震えた声。
父のその声を聞くと、すごく辛かった。。
その後、帰宅して母に「ただいま。ごめんね。」
と、伝えると
母も「ごめんね。母ちゃんも悪かった。」
と言いました。
けど、それからどう接したらいいのか未だに分からない。昔のように仲良く話して笑っていたい。
自分は、これから障がい者や高齢の方々に旅行を通して元気になって欲しい。と思っています。
しかし、1番身近にいる母ですら幸せに出来ないことに自信を無くしそうです。
しかし、今を乗り越えてまた家族みんなで笑顔になれたら、きっとHARERUはいいものが出来ると信じています。
母との関わり。。
普通にしてたらいいのかな。
何かいいらアドバイスがあったら教えて欲しいな。
※写真は1人キャンプの様子です。
キャンプのおかげで結構気持ち的にもスッキリしたような気がします。。
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