続・「誰か」を大切に。「自分」を大切に。
以前書いたnoteから、思考の進展があったので書きます。
自分らしさについて前にこんなことを書いた。
自分が「自分」でありたい。そのために、自分に関心を寄せて悩み続けると、「自分」という沼にハマって抜け出せなくなるときがある。ある種のパラドックスがそこには存在している気がする。
むしろ、誰かに関心を寄せ、愛し、その人の幸せを願い、努めるときには、自分への関心は薄い。しかしそのときの自分の状態こそ心地よく、自分が「自分」であるかのような気もする。
つまりは、誰かために尽くすことが「自分が在る」ことに繋がるのではないか、ということ。
最近はこの考え方に納得しているのだけど、ここにはもうひとつ大事な要素があると思ってきた。
それは「負担」という言葉。
誰かのためにという想いが強すぎると、それが自分にとって負担になってしまうケースもある。自分を犠牲にしてまで相手に尽くしてしまうと、自分を消耗してしまう。それでは「自分が在る」ことが難しい。
中には「依存」の状態にまでいってしまう人もいるようだけど、そこまでいってしまうのは考えものだと思う。
そうならないためにも、ある程度自分がつくられている必要があるなと感じる。自分の軸がしっかりある、みたいな。
ツラツラ書きましたが、つまりはいつでも「誰かのためにすること」が、「自分の幸福」とリンクしていたいと思うわけですな。
写真は春の後楽園
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