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Fashion(流行)をArt(自己表現)に変えたい

服を着るって自己表現だ。って考える。
個人的には服を身にまとう、服で遊ぶことを『Fashion』という言葉から『Art』という言葉に変えたい。

なぜなら、この多様な時代だからこそ流行に乗る自分ではなく、自分のメッセージを表現する人たちが増えればいいのにと思うから。

では、なぜ服がFashion(流行)という言葉になったの少し考察したい。

まずはじめに簡単に考えられるのがファッション雑誌の存在であろう。
ファッション雑誌はその名の通り、そのときの流行を追った雑誌だ。
それが服をメインで扱っているから『ファッション=服』となったのであろう。

そして大事なのがフォロアー層と呼ばれる日本の消費者層にあると考える。

日本にはフォロアー層という服の購買層がいて、ここの層の人たちがアパレル業界の経済を支えているのは事実だ。しかし、このフォロアー層と呼ばれている消費者は日本特有のものだ。

フォロアー層とはその言葉の通り流行を追いかけ、その時々に流行している服を好んで購入し、次々とファッションスタイルを変化させていく購買層のことである。このフォロアー層の方々がいるから日本のファッション業界は不調と言われながらも右肩上がりを維持できている。

まさに服を流行を追うものであると行動した人たちだ。
ちなみに今までは(特に学生時代)自分もそうだった。
服はそのときの流行に合わせて着用し、周囲から「オシャレだね!」の一言が欲しくて常に流行を追ってきた。
この自分も含めたフォロアー層が日本のファッション=服というイメージを定着させた。

でも自分の好きな服を着ている人たちに目を向けてほしい。

パンク、ロック、ゴスロリ、ヒッピー、竹の子族etc...
彼ら彼女らは自己表現のひとつとして服を選んでいるではないか。
このArt(自己表現)として服を身にまとっている人たちは流行に流されず常に自分が持っている価値観や社会に対するメッセージを発信している。
服をFashionとして着ているのではなくArtとして着ているんだと思う。

私もそう在りたいと思うし、そうゆう服の着方がカッコいいと思う。

自分の好きを身にまとう。
自分の価値観を身にまとう。
自分が発信したいメッセージを身にまとう。

それが多様な今の社会での服の在り方だと考える。

そうすればカッコよく、服の無駄な消費を抑えられる。
自分にも服にも地球にもいい。
そんな服の楽しみ方をしたい。

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