ボランティア考察
ボランティアに対する抵抗感に関する思うところ。
筆者は福祉従事ワープア。ボランティア経験は洪水1回大雨2回。特別な専門的知識は無いものとして読んでください。
まずは、行政のボランティアに対する認識。金を出す出さない論争に関しては日本の国の中では「ボランティア=無償奉仕」が固定観念として植え付けられすぎてて水掛け論になるだろう。
強いて言えば交通費(ガソリン代)ぐらいは出してもいいんじゃないかと考える。昨今の物価高騰はさて置き、被災地に向かうのはタダじゃない。これに関しては行政も検討してくれていて、高速料金無償化の措置を迅速に実施しており、どちらかというと出しているものと言える。しかし高速料金無償化としたところで、実際ボランティアに向かう人間というのは被災地から50km100kmの災害による影響を受けていない地域の人間が多く、広島も秋田も九州も北海道も茨城も人口密集地からは遠い位置が被災している為、移動費用は各々結構かかっていて、何の報酬もない活動のためにその移動費用をポンと出せる人間は普通はいない。何故遠い人間がボランティア(※行政の)に行く割合が多いのかというと、近距離は親戚や知人の知人とか会社の繋がりで既に動いているからだ。
具体的にどうすべきかと言うと、この高速道路又は線路を移動する距離に応じた還元があって然るべきなのだ。インターチェンジや駅の間の距離であれば50~100、100~150kmで区別出来る。勿論現金やポイントは悪用する人が出かねないので当該市町村のみで使える地域振興券的なものとか、長期間の支援に入るのであれば宿泊費の補助等。これを市町村が負担することは難しいだろうし、都道府県規模での負担を考慮する必要があるが、それすらも個人に負担させるというのは、休日返上で来る人や、本来出さなくていい出費を強いるただのたかり、搾取と言われても仕方ないのだ。
この搾取というのが、ボランティアに対する現実的な社会の認識であり、多くの人間が「馬鹿らしい」と結論付ける所以だろう。
日本人というのは世界的に見ても優しいだの勤勉だの、自己犠牲の価値観がどうだと持ち上げられ素晴らしく強請易い国民性だと認識されている。実際の日本人とはどうだろうか。確かに親切と義理を第一に重んじてお祝いにお祝い返しをする珍しい風習がある。しかし多くの日本人が考えているのは「そうしないとハブられる」ことが裏を返せば見えてくるのではないだろうか。親切にしないと親切にされない。施さないと施して貰えない。人の為に働かないと自分のために働いて貰えない。この背景には宗教的な教えも関わってくるが、多くの日本人はこの考え方を相互的強迫観念を以て他者と関わることが日常となっていると言っても、差し支えないのではなかろうか。東日本大震災以降、恩返しのボランティアという単語は散見されるし、その志の元に行動する人はあれど、ボランティアを求める側はそんなこと全く考えていないのである。それどころか、ボランティアのお陰で生活を再建出来た人が大勢いるのだろうから、ボランティアに参加して当たり前という価値観すら行政には感じられる。
この行政の、ひいては社会のボランティアに対する認識が事実上の搾取構造を形成している。ボランティアというのは言葉の響きこそ奉仕活動であるが、奉仕活動の上でかかる人件費以外の経費については無償であっては間違っていると、考える。
ボランティア参加にあたり用意するもの。資材については大部分を行政は負担してくれている。最近ではスコップ、バケツ、土嚢袋といった消耗品や専用道具一式は準備されているし、かなりの予算を費やしている。ただ、人々がボランティア参加に抵抗を感じる一因となっているのは個別に準備する装備品の敷居の高さがあると思う。
ボランティア参加者への呼びかけで服装の説明があるが、長靴、踏み抜き防止ソール、防塵マスク、ゴーグル、と、無償奉仕にしては装備品1式の経費があまりにもかかりすぎるのだ。勿論それらが必要だと説明する行政の行為は正しい。それらの装備がないと怪我やトラブルを引き起こす原因になる。保険こそあれど、大前提は現場で怪我をしないことだ。万が一怪我をした場合に責任を取る(感じる)のは行政でもあり、その現場の被災者であったり、チームのリーダーでもある。だからこそ身につける装備を万全なものにしないといけないという志願者のあるべき姿として決めつけられている。しかし、移動費用、装備品、5000~10,000円、あるいはそれ以上の費用を出して、助けられるかどうかすらわからない、世間には褒めてもらえるだろうけど、内心自己満足、偽善や酔狂と笑われてもおかしくないような行動をする人が、どれだけこの社会に居るのだろうか。まぁ、自分のことだけど。
この装備品については、災害の程度によっては不必要とも言える部分は多くある。よっぽどの瓦礫や崩れた建物を歩くのでなければ踏み抜き防止や安全靴は不要だし、湿度が低くて空気全体が乾ききっているのでなければ防塵性はそんなにいらない。ただのマスクでも十分な効果は望めるだろう。例えばだが、災害の程度、ボランティア募集に際して支援レベルの設定をするのはどうだろうか。前述のようなフル装備を必要とする現場もあるだろうが、そうでもない場合。泥出しや家財搬出程度に留まるレベルの支援であれば「汚れてもいい服装、靴、軍手、汗ふきタオル、マスク」程度でも十分ではないだろうか。洪水や津波後、建物が多く損壊している現場であればフル装備が必須となることは明白だ。この支援レベルの設定を使えば志願者が参加する敷居が低くなってもっとボランティア参加がしやすい環境にならないだろうか。
終わりに。
ボランティアが足りてないとか行政が言うのどうなんよって思ったのでだらだら書き詰めてみました。ボランティアの現実についてはもっと大切なことはあると思いますが(被災程度が重い人ほど支援依頼するまでが遠いとかボランティアが出来ることはそんなに多くないとか偽善行為だとか)ボランティア参加の抵抗感について今思うことを書いてみました。
以上。
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