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否定しないことって大事では?
前回の自己紹介でも話した内容なのですが
私は「言葉」に対して過剰に
反応してしまうようです。
それが文章でも話す声でも。
そうなったきっかけはきっと過去の
経験からでしょうが今は触れません。
今回はそこで私が特に気になる
相手を否定しないこと
例えば誰かとの会話があったとします。
「この曲好きなんだよねー、この歌ってる人が
特に好きでー」
とある方が言いました。
「あー俺はあんまり、アニソンとか
聞かないんだよね」
と返されたとしたらどうでしょう。
心優しい方は、「いや、一回は聞いてみてよ」や
「じゃあ、どんなジャンルが好き?」と
お話を広げてくれるでしょう。
しかし、すべての人間が
そこまで寛容ではありません。
表面は善く言えても心は分かりませんし。
ここで、相手の話を折ることは
ある意味「否定」に近いニュアンスなのでは?
我慢なんて大層なことは言いませんが、
その言葉で本当に相手が笑顔になるのか
本当に相手のためになるか、傷つけないか。
幼ない頃からきっと教育上言われてきてるはずなのに何故かできません。
私も失敗はします。
気づいたら謝るようにします。
冗談なら関係性を築いた上で言いますし、
ちゃんと伝わるようにもします。
そう努力するのが当然だと思います。
ハンムラビ法典というものが世には存在します。
(目には目を、歯には歯を→つまり、
やられたことは同じように返す)
現存して続いてるわけではありませんが、
形を変えてそのことは紡がれているでしょう。
もちろん、悪いことをされたら復讐心で返すのは
同意しませんが善いことを頂いたら
相手にも善の気持ちで返すのが世界が
優しくなる秘訣でしょう。
インターネットで気軽に悪口を言える時代なのが
影響か知りませんが。。。
最近、外でも日常会話に暴言が簡単に
冗談まがいとして使われているケースに
出会(でくわ)します。
なぜ、コミュニケーションを雑に簡単に
してしまうのでしょう?
毒は体にゆっくりゆっくり溜まります。
時間をかけて染み込んでいきます。
使い方を間違えれば
言葉は毒にもなります
絶対に忘れないようにしてください。
誰かと話すときは寧ろ採掘してる気分で
「相手の魅力を広げる、相手をより好きになる、
心の距離を近付けようとする」
誰にでも優しく接するのは案外難しいです。
嫌いだと感じる人がいても必ず、
自分にはない魅力や力を持っていますので
どれだけ近しい中でも雑な関係にならないように
将来信頼し合えるように
常に尊敬の念は忘れずに生きていきたいと
思う今日この頃です。
コミュニケーションはまるで風船ですね。
膨らませないと魅力はありませんが、
膨らませすぎると割れてしまいます。
美しく大きくしながら、割れないように気を遣って楽しみましょう。
病まないように病ませないように。
止まない雨はないです。
病まない人間もいません。なんちゃって。