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なぜダンスレッスンを開いたのか

カップヌードルは好きですか?

私は好きです。
カップヌードルは「誰でも簡単に短時間」で美味しく作れます。
一方で、ラーメンを作れますか?と質問されると答え方に困る人が結構出てくるのではないでしょうか?

①カップヌードルなら作れる
②ラーメンスープと麺がセットになっているやつなら作れる
③チャーシューから拘りのラーメンを作れる

これがダンスになると、途端に①の人が居なくなるのです。
②や③ではありません、①が減ります。
カップヌードルが作れないわけないだろ!!うちのお父さんでも作れるぞ!
…なのに減るんです。

それはなぜか、出来る動きが凄く簡単な動きであったときに
「こんなのラーメン作ったには入らないでしょ」
「こんなのダンスとは胸を張って言えないでしょ」と考えてしまうのです。
これは私自身が何度も思い悩み、いまでも抱えていることです。
ゆえに私は後述する理由もあって「ダンサーです」と名乗ることはほぼありません。

でも、カップヌードルを食べたとき、"ラーメンを食べていない"と主張する人はまず居ないと思うのです。
私はカップヌードルであっても"ラーメン"であるし、それは素晴らしいものであると思っています。

これはダンスにおいても同様のことが言えます。
なんなら音楽が流れていなくったって、身体を動かしていたのであれば私にとってはそれはダンスであり、否定されるべきものではないと思っています。

こだわりの一品のラーメン、研ぎ澄まされた高い技術のダンスをしたい人は各自頑張ってほしいですし、その作品を食べる、鑑賞する側として素晴らしいものだと思っていますが、断じて万人が"かくあるべし"という姿ではないのです。万人がプロを目指す必要はないのです。
もしそうなら世の中の食べ物屋さんがラーメン屋さんだけになってしまう。
それもありかもしれません…。糖尿病率やばそう。

ダンスはダンサーだけのものではない

ダンスはダンサーだけのものではありません。
これはとても大切なことです。
誰がなんと言おうとこれは絶対に譲れない想いです。

急にカラオケの話をするのですが、日本人でカラオケにいったことがない人は探すことが難しいくらいだと思います。カラオケでなくても良いのです。
産まれてから一度たりとも、歌を口ずさんだり、鼻歌を歌ったことがない人なんて世界中でもほぼ存在しないとすら思っています。

では、カラオケにいく人はすべて"歌手"や"歌い手"になると思いますか?
そんなことはありえません。
カラオケってもっと自由で気楽なものですよね。

この気楽さをダンスでも可能にしたい。伝えたい。
カラオケで歌が歌えるのは、歌自体が生活において身近な存在だからだと考えています。なによりもみんな日常生活で声を出しますよね。声を出すことの延長線上に歌があります。言語でなくても良いのです。
ダンスだって実は身近な存在なのです。日常生活の中でしていても自分が気が付いていないだけで。名前のついたダンスの技じゃなくてもダンスはダンスなのです。

しかしながら、"ダンス"という言葉には正直に申し上げると、私自身、今でも固いイメージを持っています。
ダンスにとても真摯に取り組んでいるフレンドさんを見ていると「これこそがダンスだなぁ、私のはただ暴れているだけだなぁ」などと思ってしまうことが度々あります。

だから私はVRに入るときに「運動するぞ!」と言い換えることが結構あります。1年の間、同居している家族にもダンスを始めたことは言っていません。「運動をしている」と伝えています。
でも皆さんがVRやTwitter上から私を見ていて私は"ダンスをしている"ように見えているのではないでしょうか。技術は未熟でも、楽しんでいることは伝わっているのではないでしょうか。
だからきっと、ダンスは未経験の方々が思っているよりも、私が思っているよりも本来はずっと気楽な存在なのだと考えています。

ダンスに対するハードルを上げているのはきっと自分自身。

ダンサーと一般人の壁を壊したい

これが私が「超入門者向けダンスレッスン」として今回取り組んだ一番大きな原動力だと思います。
VRChatで過ごしているとたまにこういったことを耳にします。

・あの人はダンサーだから…
・ダンサーこわい

これがとても寂しい。
私自身はカラオケで声を出すのと変わらない感覚でいるのに、踊っているだけで線引きをされ、距離を取られてしまう。
確かに現実世界の道端で踊り狂っている人をみかけたら怖いかもというのはわかるのですけれど。もし大人ではなく子供が踊っているなら微笑ましく見えるかもしれませんね。

先ほど私は「ダンサーです」と名乗ることはほぼないと書きました。
ただ、ステージに出演者として呼んでいただけた時などは"そういう役割"として「ダンサーです」と言いますし、そういう振る舞いが出来るように精一杯のことをしているつもりです。

レッスン中も"講師"として振る舞いました。
それがその時に適した役割だから。役割を演じるのです。
それ以外のときはただの一般人なのです。
役割を演じているときの私も、それ以外のときの私も、すべてひっくるめて"ありのままの私"ではあるのですけれど。

Twitterをみているとよく"VRChatで私は何者にもなれない…"と思い悩んでいる人をお見掛けします。
以前の私はニコニコ動画に音声ソフトでのゲーム実況動画をアップロードしていたのですが、よく「〇〇の人」というタグに憧れている人たちをみかけました。多分これは本質的には同じ感情によるものなんだろうなぁと思っています。

この感情に対して私は理解はできるし、「〇〇の人」タグには少し憧れたこともありました。
しかし、VRChatではそうは思っていません。むしろ逆かもしれません。

私はVRChatではあくまで一般人でありたいのです。
ダンサーだからって距離を取らないで。

自分のことを褒めていただけるのがとても嬉しいのはもうこの上なくその通りで、どんどん褒めてほしいし、承認欲求もバリバリにあるのでハチャメチャに大喜びして日々を過ごさせていただいているのですが、
「うちのフレンドがいい動きしてる!楽しそう!いいね!」
とかそんな気持ちで接してほしいなって思っています。
いいねとリツイート、チャンネル登録、動画の高評価もよろしくお願いします(Youtuber風)

今回の取り組みで私のことを知って下さった方々へ、
「好きな曲があるからこれ今踊ってみて!」
とか言われて急に音楽流されても普段通りの雑なクオリティで良ければ全然やりたいと思っているので、それくらいの気持ちで声かけてください。私は誰かが喜んでくれることをしたい、私の”楽しい”を共有したい。
人前で踊るときは緊張はめちゃくちゃしますけどね。それはたとえカラオケであっても同じなのです。

それにしても、一般人でいたいのに、ダンスレッスンの講師をやるとかほんと矛盾していますよね。自分でもそう思います。
でも、今の自分に出来ることを考えたときにやるしかなかったのです。
私にとっての”楽しい”や”好き”を共感してもらったり、ダンスの一歩目を教えてくれた人に感謝を伝えたかったから。

ダンスへの第一歩がわからない

今のVRChatをはじめとした日本文化ではダンスはまだまだ気楽な存在ではありません。1年前の私にとってもとても遠く、華やかな世界でした。

学校のカリキュラムでダンスとか地獄すぎるでしょ…とか思っていました。
学校でいきなりパラパラの振り付け考えて発表しろとか言われたのいまだに許さんからな…とか思っています…
今の私が当時にいたとしても学校で「やれ」って言われたら死ぬほど嫌です。

ダンスは無理やりやらされるものではないと思っています。
自分が動きたいから動く。
楽しいからやる、楽しくないことはしない。

だから、私みたいに学校の体育が嫌いだった人でもきっと楽しめるようなものにしたいと思っていました。
「出来た!」の実感で「楽しい!」を伝える。
"ダンスの始め方"ではなく、"音楽のひとつの楽しみ方"を伝えるものかもしれません。

トリガーになったのは、VRChatで音楽活動をしているフレンドさんが何名か「ダンスはじめてみたいなー、でもどこから始めたらいいかわからない」とツイートしていたことだった記憶があります。

ならばどうするか。
VRChatでは「開催して欲しいイベントがあるけど、開催されないなら、自分でやる」そういう文化があると思っています。
いわゆる言いだしっぺの法則ですね。誰かの役に立ちたい。

なぜ動画をみるレッスンにしたのか

私がダンスを始めたきっかけとなったイベントが2021/7/30の「でお講」というイベントでした。もうすぐ私にとってダンス一周年ですね。
そこではダンスを一切やったことがない人や、ダンスに興味をもっている人へのダンスレッスンを開いてくださっていました。
このイベントが無ければ今の私は間違いなく存在しません。

ターゲット層としては私のレッスンとほぼ同じで、難易度も私のレッスンと同じくらいだと思います。
私がレッスンの構成を考える上でかなり参考にさせていただきました。

実は私、このときのレッスンで、かなりついていけてなかったんです。
レッスンが終わってから数日間、何度も何度も講師の方に相談をして、1,2,1,2のリズムを2週間ほどかけてようやく理解しました。
いわゆる”ダウン”もびっくりするくらい出来なかったのです。
生まれてこのかた、音楽にほとんど触れてこず、私の中にはリズム感など存在しなかったことが非常に足を引っ張っていたと思います。

そしてもう1つ、VRのダンスレッスンの大きな弱点が私が理解する妨げとなっていました。講師の方の声でのカウントと、VRでのアバターの動きにどうしてもラグが発生するのです。つまり、受講者側はズレを脳内で補完した上で、自分の動きに反映させる必要があります。
私はいまだに脳内でズレを補完出来ません。

まず、私が一番苦労したこの障壁をどうにかして取り除かなければならないと考えました。
そして、動画で自分の動きを録画して見せればカウントがズレることなく伝えられるという判断になりました。

また、こちらの「でお講」は内容のバリエーションも豊富でとてもしっかりした運営をされていることもあり、開催頻度が決して高くはないのです。
つまり「まさにいま!ダンスを始めたい!」という方にはタイミングが合うかどうかかなりの運が絡むのです。私も行けなくて涙したことがありました。
さらには当日のレッスン直前にHaritora無印が壊れて、その日の晩にViveフルトラ一式を注文した記憶があります。

であるならば、私がその穴埋めを少しでもできるようなものを作りたい。
「まず第一歩にこれをやってみればいい」と誰かが提示できるもの、そうなると紹介する側も動画一本で流せる形式のものを作るべきだ。

こうして動画形式でレッスンをすることにしました。

『いつでも誰でも均一なスタートを』

こちらでは私がレッスンの準備をするにあたって"指導方針・理念"として文章化し、他の方に監修していただくにあたってまとめた内容をそのまま紹介いたします。長いので覚悟してください。


現状のダンスレッスンは大概の場合、基礎の基礎はもうできている前提で進んでいきます。
その結果としてなにが発生するかというと、「ダンスを始めてみたいけど、どうしよう」という層がレッスンに参加してみると「難しすぎて無理…私にダンスは無理だったんだ…」と心が折れてしまうケースがあります。これは私の周りで発生しています。

"本気でダンスを始めるなら自分で調べるだろ、もしくはわからなかったら誰かに聞くでしょ"という意見はもっともですし、私自身もそうして育ったところがあるのですが、大多数の人は軽めな気持ちで「ダンスかじってみたいな~」「動くきっかけが欲しいな~」といったくらいのものです。

楽しさを求めてくるものなので、基礎をすっとばしてでも成果物を得られた実感がなければ続きません。
そういった需要に対して、ファストフード的なレッスンを考えています。
お手軽に、事前知識なしで、ぱっと見でダンスだとわかる動きを軸に展開をしていきます。
よって座学は極力省きます。

通常のダンスに限らずレッスンというものは最初はかならず基礎的な内容から始まります。
そして段階を踏んで難易度をあげていきます。これは当然のことです。
難易度があがらなければ受講者側も成長を感じられませんし、飽きてしまいます。
では、その序盤の内容が済んでしまったタイミングで初めてレッスンに来た人はどうなるか。
根性と熱意を受講者が、手厚いフォローを指導者が、もっていなければ継続はしづらいでしょう。

また、ダンスを独学で勉強しようという場合、個人で調べてなにをやるかを決めていくのは難易度が非常に高いため、こちらも継続はしにくくなっています。
そもそもの部分で検索すべきワードすらわからないので求めているものにたどり着けません。

ここを乗り越えてなにかしらの名前のあるムーブを単品で覚えていくと、”ムーブ単品ではできるけれど、自由に踊るとなると難しい、フリームーブができない”ということになりがちです。結果として「踊れない」という反応になります。

本レッスンでは、上記のような
・ダンスをがっつりはやる予定ではないけど、少しかじってみたい人
・レッスンにいってみたらついていけなかった人
・フリームーブの増やし方に困っている人
をターゲットとしています。


レッスンの時間としては1コマ30分を想定しています。
最初の10分はその日使う部位のストレッチ、その後15前後のレッスン動画を流します。
レッスン動画は私が作成したものを使います。ボイスロイドでの解説音声・字幕をつけます。
必要な解説は動画内で説明してしまうので質疑応答がない限りは動画を流すだけで完結します。

【いつでも】同じ内容のレッスンを短めの日数の周期で繰り返します。
これにより「今」始めたいという人がいつ参加しても共通して同じレベルからスタートできます。

【誰でも】インスタンス主は質疑応答に対応することがメインの役割となります。
よって、インスタンス主は私である必要性はかなり低くなります。

【均一な】動画単品でも完結するように作るため、動画のURLさえ知らせれば復習も簡単です。
また、インスタンスに来るのが恥ずかしいという方であっても動画だけで学ぶことができます。

これが『いつでも誰でも均一なスタートを』の方針になります。


何度か来てくれる人は当然すぐに飽きるようになります。飽きてもらうのが狙いです。
大事なことなのでもう一度書きます。飽きてもらうのがレッスン全体での狙いです。

私にとってのフリームーブとは、飽きることから生まれるものだからです。
そして、ダンスを始めたいという人は、自分の好きな曲で踊りたい、楽しく過ごしたいというのが結局のところの目的だと考えています。
これに一番適合するものがフリームーブによるダンスだと考えています。

私はいわゆる名前のついたダンスのムーブを覚えることが非常に苦手です。
そのため、覚えたムーブを1つの曲の中で何度も何度も繰り返してしまうことになります。
踊っていて「また同じ動きしちゃってるな…なんか味気ないな…」と思ったときに「いつもより大きく動かしてみよう」だとか「重心の置き方を変えてみよう」だとか考えて実行しています。実際に覚えているムーブは少なくてもバリエーションは作れます。
そのバリエーションの増やし方の入口として、こんな増やし方があるよという紹介になります。

そしてそれが出来るようになったら

飽きたからバリエーションを増やす、試してみる。
飽きたからもっと難しいことを覚えるために他のレッスンに挑戦してみる。
飽きたから自分で調べて新しいことを覚えてみる。

私のレッスンをタネとして、早々に飽きて卒業をしてもらい、
次の一歩を踏み出す入口になれたらと考えています。


なんというおカタい文章を送り付けているんだ私は。

ちなみに私はラーメンの麺はちょっとカタめが好きです。
名前やわらかなのに。

チキンラーメンは好きですか?

お前またラーメンの話か!!
最後に意味不明なことを書き散らしてこのnoteを終わりとさせていただこうと思います。

このnoteを書くにあたって、一番最初に「カップヌードルは好きですか?」という問いを投げかけさせていただきました。

なんでコイツいきなりカップヌードルの話始めたんだ?と思われた方も多いのではないかと思います。一方でこのnoteを読み進めていき、そしてレッスンの内容やコンセプトを知るにつれておそらくは
「あっ、これはレッスンの内容のことだな!すぐできる、すごくおいしい!的な!」
という風に思われたんじゃないかと予想をしています。
いかがでしょうか。

すぐ出来るようになる動きで、ダンスをしている実感を簡単にインスタントなタイミングで得られるレッスンの構成という意味では大正解です。
「すぐできるー!すごくおいしー!」はチキンラーメンのCMです。
うちの父がたまに口ずさみながら作っています。
そういう意味で私のレッスンはチキンラーメンです。

でもチキンラーメンって個人的には食べてる途中で飽きちゃうんですよね。
食べる前のにおいをかいでる時が最高潮みたいな気持ちです。
私のレッスンも受講者側はすぐ飽きると思います。

でも、不思議とカップヌードルは食べてる途中でも飽きないんですよ。
それにいろんな種類があるし、国によって全然違う味が販売されています。
1年やりつづけたダンスが私にとってはカップヌードルなのです。

飽きない。どこでも出来る。誰でもできる。すぐ出来る。色んな味がある。
なによりもとっても楽しい。

コンビニの音楽に合わせて、エレベーターで待っている間に、信号で待っている間に、そしてなにより歩いている間に。
私の生活の中にダンスはもう沁み込んでいます。
長くて嫌だった片道1時間の通勤時間が「今日はどんな曲にしよう」と思えるようになりました。人に見られたら完全に不審者ですけれどね。

「人間は変な動きをすると、元気がでてくる」という研究も発表されています。これを読んでいるそこのあなたも、今日も元気に不審者ライフ!!

以上、駄文乱文を読んでくださりありがとうございました。

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