僕は、無間地獄を生きることにした。Part2
生い立ちの話し。
初投稿で、今を書いた。
少しさかのぼって僕の認識の中にある生い立ちに触れる。
記憶のあるところで、発達障害が関わることを検索してみると、物心が着くかつかないかで父母の寝所から祖父母の寝所に移された。
「ほかの子どもと何か違う」
父母は、保育園に上がった私を今でいう子ども発達センターに何度か連れて行った。当時の私は、母がいつもよりも早くむかえにきてくれることがただただ嬉しかった。だから知らないところに連れていかれることも、知能検査も意味のわからないロールシャッハテストも、泣きも怒りもせず(戸惑った表情は隠せないが)受けた。
結果、ADHDと診断された。
それから両親がなにか手を打ったか。多分支援体制が無かったこともあるが、何も無かった。唯一あるとすれば、障害のある私を否定したことだ。
お前は異常だ。
両親・兄弟達は、やる事にノーを突きつけることで行動を封じることにした。よく(頭が)おかしいと言われる。その度に、普通に見える行動を学習し、言動をおかしいと言われないように意図して修正してきた。場面に合わせた表情筋の作り方から声の調子に語間を読んだ風に話すと話し方(実際はほとんど分からない)を見様見真似した。そして25歳を過ぎて母から「最近普通になってきたよね」というお言葉頂戴するまでこの事は続いた。
けれど社会が広がるにつれて父母におかしいと言われない言動は、周囲とのズレを招いた。父母が求めた言動が社会で規範とされる言動とズレている。この気付きと修正にはかなりの困難が生じた。特に「沈黙」の扱いに関しては、TPOがあって今も自信が無い。
他の人と違うことは他の人に迷惑をかけるわけじゃない。
社会の体裁という見栄えの問題で、本質よりも両親が見栄えを取ったというだけだ。私の成長を考えるなら本質を掴んで欲しかったというのはあるが、過去の話。