僕はそれから無間地獄を生きることにした。Part3

僕はそれから無間地獄を生きることにした。
不安障害について

前提.障害のADHDによる【優先順位の同列化】【予測困難】【注意の散漫】【過集中】の特性がある。
 
 
さて、不安障害はどこから来たのかとかそんな話し。

1.挫折的体験
一年間の家事手伝いの経験が原体験にある。
私の住む市町村では、中学に上がるための試験を 私立一次試験のみ 県立一次試験のみ(その他・推薦入試・AO入試)の中から選択して受験をする。定石としては、私立高校の合格を滑り止めにして県立高校に受験する。
私立高校を受験せずに県立高校に失敗した。それゆえの結果だ。
事実が分かったのは、受験に失敗してからだ。そこから一年でいろいろなことをやった。


基本的に塾と家庭での自習の日々。親や兄弟の目がきつかったことを覚えている。家の中でかち合わないように時間をずらしたり、登校や出勤するまで息を殺して生活をしていた。気遣いと言いつくろうが、なんとも稚拙な手だ。


そんな中、兄弟が言った「居候のくせに」といった言葉が、両親と私、兄弟と私の間にある種の「空気感」をうまく切り取っていたように思う。それから家族と食事を一緒に取らなくなった。もしとったとしても、長居して団らんに加わることなく、すぐに自室に引きこもった。自ら家族の中でいないもののように扱った。


それが次第に板についてきて習慣化した頃に強く印象に残っているのが、塾での夕食であった。
昼頃に買ったおにぎりを温めずにかじっていた。
塾に電子レンジもなく、冷たいままのおにぎり。外は、サーチライトの明かりで動くとついて、一定時間がたつと、消えてしまう。サーチライトの消えた真っ暗な中、冷たいおにぎりをかじって飲み込みの機械的な作業。

味はおにぎりが受け入れるべき現実かと、打ちひしがれたことをよく覚えている。

ただ15の僕にはきつかった。

2性格的特性
 心配性。楽天的な面と解釈されがちであるが、先が予測できないということの不安を持っている。
 飽きっぽい。熱しやすく冷めやすい。地道に行くことが成功のカギだとわかっていても、途中でほかのものに興味を惹かれてあきらめてしまう。
総評すると、石橋を叩いて渡ろうとしてうまくいかずにいい加減にわたって失敗する、ことが多いように思う。このようにまとめように、自己の評価を否定的に語ることが多い。
1の挫折的体験により、表に出る性格が入れ替わったように思う。体験を境にして、陰鬱として神経質な面が表に出るようになったように思う。以前から待ち得ていたが、それまでは表に出ることが出なかった陰陽の陰の部分。

3.自信の無さと虚勢

自分の気持ちや態度を隠すことが、次第に多くなって、本当の気持ちを話さなくなった。

周囲からの否定とそれに抗う力のなさに、自信を失った。その代わり、はったりを使って自分を大きく見せようと必死だった時期があったように思う。


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