僕はそれから無間地獄を生きることにした Part2
薬の話の続き。なんだか久々。
ストラテラ錠を飲んで言葉が整理される話をした。私は言葉にこだわりがあるようだ。記事を読み返して思う。日々、言葉に引っかかって思い悩むことがままある。
今日は視点を変えて、「限界」のそんな話
精神薬を飲む前は、「限界」を知らなかった。無論、良い意味ではない。世の中では、「限界を超えろ」みたいなスローガンがあるが、実際には死活問題だった。
興味のある世界に入り込むと、時間の感覚、自身の体力の残量、空腹感、睡眠欲が無くなってしまっていた。その代わり、無限の集中力と知識欲が手に入った。
主観的にみると、体調が悪くなりおかしいなと思ったら、時計が何周回っているかわからなくなった。長くて丸二日、短くて六時間くらい。
それからも、ウォーキングをすれば、行き倒れるくらい歩いたり、自転車に乗ればハンガーノックを起こして意識が無くなる手前まで、漕ぎ続けた。
客観的に見て、そんな馬鹿なことがと言われるが、そんな馬鹿な事が起きてしまっていた。
精神薬のもたらした「限界」とは?
精神薬を飲み始めて、それはなかなか改善されなかった。一度入った集中力のスイッチが切れるまでの時間が短縮されるくらいであった。
一概にいい面と悪い面を分けることは出来ないし、白黒つかない性質だと思っている。
ただ、体調が悪くなってから気づくのは、下手をすれば死んでしまう。その前に「限界」がある。しかしそれを、知覚することが出来ないことが問題だった。
限界を知覚する。
このことに注目して、しばらく生活してみた。体調の変動によって、限界値を導くと日々の中でその限界値が変動してしまう。なので、一つ一つの行動の疲れ具合の合算によって、また次の行動ができるかどうかで、限界を知ることができると考えた。
掻い摘んで結果のみを書くとする(長文になってきたので)。
仕事に20~25個のジョブを処理すると、限界が見えてくる。そろそろ限界かなとわかっていても振り切れる。つぎの行動ができなくなり、25分~1時間の休息が必要になる。「できなくなる」というなるのは、強烈な疲れによって、行動の手順の組み立てられなさやまとめにくさを高めてしまう。それを脱する有効打として「休息」が考えられた。10分から25分の短く、座位での睡眠が考えられた。
限界の知覚には成功し、脱出する方法が次なる課題になる。