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ティム・ケイシャー(カーシヴ)インタビュー

カーシヴが2012年にリリースしたアルバム『アイ・アム・ジェミニ』は、あまり評判になることはなかったけど、かなりブッとんだ物凄い作品だ。いつか完全再現ライヴを観たいと思うくらい強力なコンセプト・アルバムで、そのうちこれについては突っ込んで書きたいと考えているのだが、とりあえず、そのリリース・タイミングでとったティム・ケイシャーのメール・インタビューを、ここに再掲載しておくことにする。後半は、ティムのソロ・アルバム『ザ・ゲーム・オブ・モノガミー』についてのインタビューもくっつけてある。この作品のあと6年を経て完成した新作『ヴィトリオーラ』も、また違う方向で強力&強烈なので、こちらについてもしっかりとフォローしていきたいと思っています。

翻訳:平山秀朋


ある男が自分自身の内なる悪を葬り去ろうとするのだけど、その殺人行為を犯すことは、結局は彼こそが悪なのだという証明にほかならないんだ

ーーカーシヴの最新アルバム『アイ・アム・ジェミニ』聴きました。またしてもスゴいアルバムが完成しましたね。2010年の10月には初めて個人名義で『ザ・ゲーム・オブ・モノガミー』を作り、そのままソロ・ツアーなども行なわれたわけですが、そうした活動を経て、今度のカーシヴとしての創作にはリフレッシュした気持ちで向き合えたのではないかと想像します。まず、本作の制作作業が、いつ頃からどんなふうに進められていったのか、ソングライティングとレコーディングの概要を教えてください。

「君の言う通り、とてもリフレッシュした気分だった。カーシヴのアルバムとアルバムの間にはいつも十分な時間があって、メンバーそれぞれ別のプロジェクトにかかることができる。だから、カーシヴに戻ってくるときには、新しいアティデュードとスピリットで音楽に取り組む準備ができてるし、自分たちにとって新鮮な、これまでの作品とは違うアルバムを生み出したいと感じられているんだよ。アルバムの制作を始めたのは2010年の夏で、オマハで作業を開始して、およそ1年後にレコーディング・スタジオに入った。プロセスとしてはこれまでのアルバムすべてとほぼ同じ。つまりスタジオに入る前に、全楽曲を完成した状態にすべく努力する。そうすれば関わる人の時間と労力を無駄にしないで済む。お金もね!」

ーー今作の共同プロデューサーには、元マイナス・ザ・ベアのメンバーで、これまでにマストドンやアイシスを手がけて名をあげたマット・ベイレスが初めて起用されました。先のソロ・アルバムではマイナス・ザ・ベアの現ドラマーであるエリン・テイトと一緒にやっていましたが、彼とのレコーディングはいかがでしたか? 何か具体的に、新鮮に感じた経験や印象深かった現場でのエピソードなどがあれば教えてください。

「マット・ベイレスに初めて会ったのは、だいぶ遡って2000年代の始め頃で、まだ彼がマイナス・ザ・ベアでプレイしていたときなんだ。彼らと一緒にツアーを何本かやったんだよ。彼はとても堅実なエンジニア/プロデューサーで、信じられないくらい働き者だ。バンドにハードルを課して、僕たちから最高の演奏を引き出してくれた。他のプロデューサーとはやったことがない新しいアプローチだったんだけど、彼は僕らのアルバムのデモ音源を聴いて、曲を短く整理したり、曲の構成をつないだりする方法を提案してくれたんだ。曲の構造について外部の視点や意見を取り入れるのはとても興味深かったし、いくつかの彼の提案はとても役に立ったよ」

ーーアルバムの内容に合わせてか、ステレオ・チャンネルの音像がかなり作り込まれている気がしました。これは、あなたが「このパートは左側、これは右側に配置して」とベイレスに指示を出して、このように仕上がったのでしょうか?

「大きく左右に音を振ったりするという突飛なアイデアを含め、バンドからいろいろな提案をしたよ。プロデューサーというのは、そういう普通とは違った決断をバンドのために下すのにちょっと居心地の悪さを感じるものだと僕は思うのだけど、マットはそれぞれの楽器を絶妙に配置して、左右のスピーカーの間に音のフィールドを創造してくれた。特にクリエイティブだと思ったのは、いくつかのギターセクションをかなり遠くに聞こえるようにミックスしたことだね。楽しかったよ」

ーーまた本作は、前回来日時にも叩いていたドラマー=カリィ・シミングトンが参加した初めてのレコーディング作品ということになります。実際に聴いてみても、彼のダイナミックなドラムは全編で活かされていると感じましたが、カリィは本作において、どんな役割を果たしてくれましたか?

「カリィはとても大きな役割を果たしてくれたよ。彼について言っておくべきなのは、バンドが彼を活かしたのではなくて、彼自身が彼を活かしたってこと! 彼はアルバムにとても創造的なアイデアと豊かな表現をもたらしてくれた。カリィが最大限の力でカーシヴの音楽に貢献したいと強く思ってくれていたということは最初からハッキリしていたし、君が言う通り、それはアルバムに明確に表れている。でも作曲者としての僕にとって、カリィの最大の資質は、アルバムを本当にオリジナルなものにするために各楽曲がどこまでよくなれるか後押ししてくれたオープンな心と真摯さだよ。彼は素晴らしいドラマーであるだけでなく、素晴らしい作曲者でもあるんだ」

ーー今回のアルバムは全曲で、ひとつの物語を綴ったコンセプト・アルバムとなっていますね。かなりホラーな感じで衝撃的な内容ですが、この「双子の物語」を思いつき、それをカーシヴのアルバムにしようと考えたのには、どんな経緯があったのでしょう?

「人間の心の中の内なる葛藤と、その相対する感情を体現するキャラクターをなんとかして作り上げたいというアイデアは何年も温めていた。このアルバムに取り掛かり始めた時点では、どんな作品になるか明確だったわけではなかったけれど、音楽を、多重人格がお互いに格闘しあっているようなサウンドにしたいということだけはわかっていた。それが、僕が昔から考えていた心の内なる葛藤を描きたいというアイデアにぴったりに思えたんだ。ひとつに結合していた双子の兄弟が生まれるときに別々になり大人になってから再会するというアイデアを発展させ始めたのは、それからだね」

ーー戯曲風の体裁をとった歌詞カードを読むと、音楽と場面が見事に合致していることに改めて驚かされます。今作の楽曲は、どのようにして書かれていったのでしょうか? 先に歌詞が出来上がっていて、そこからイメージを膨らませていったのか、あるいは先にあった曲をうまくアレンジしながら当てはめていくような作業だったのでしょうか?

「まず曲を書いて、それぞれの楽曲をアルバムの流れとしてつながるように配置した。曲順が決まった時点で、すべての曲を通して物語を書き始めた。1曲目から書いて13曲目で終わるという時系列でね」

ーー双子のカシアスとポロックが争う合間に、セシル姉妹というシャム双生児が登場する不思議な場面が印象的です。このサーカスのシーンは、最初からイメージとしてあったのか、それともアルバムを構成していくうえで後から出来たのか、どちらでしょう?

「”Wowowow”という曲の奇抜さがサーカスのシーンを生み出したと言えるだろうね。この曲は展開が激しくて、ある意味でこのアルバムのハイライトのひとつになっている。彼(ポロック)はシャム双生児を探してサーカスにやってきて、2人を見つけるとすべての記憶が急激に甦ってくる。子供のころに何が起きたか、そしてなぜその記憶を抑えつけてきたか……。セシル姉妹は曲の最後に彼に慰めを与えようとするんだ」

ーーあなたのヴォーカルは、作中の登場人物の台詞を歌いついでいることになるわけですが、通常の歌唱に加え、ある種の演技のような要素も強められたのではないでしょうか? 実際、これまでより低音で歌っている箇所が増えたような気がしましたが。

「その質問をしてくれて嬉しいよ。実際に、演技の要素が必要だと強く感じていたからね。リスナーが物語についてこられるように歌詞の発音をよりはっきりさせたいとも考えていた。あくまでリスナーが物語を追いたいと思えば、だけどね。それと、いろいろなミュージカルを調べてみて、やっぱりリスナーが全てをしっかり聞き取れるように歌詞がはっきり表現されているということに気づいたんだ。キャラクターについても自分なりに演じ分けはしたけれども、やりすぎないようにも注意したよ。おかしなアクセントや演技で曲のクオリティを損ないたくはなかったからね!(笑)」

ーー同じように戯曲仕立ての歌詞カードになっていた『アグリー・オルガン』では、よりエンディングらしい終わり方だったように感じましたが、今作はクライマックスからそのままアルバムが終わってしまう印象で、いっそう話の内容に心が引きずられる気持ちがしました。この物語には、全てが終わった後の、静かな情景を表したようなオチは必要ないと感じていたのでしょうか?

「僕の意見では、このアルバムの方がより物語として一貫性があると思う。『アグリー・オルガン』はどちらかというと、全体を通してテーマを共有しているアルバムだね。君の言う通り、2つのアルバムは違ったエンディングになっている。このアルバムは物語が予想外に展開して終わっていて、ラスト自体がある意味、物語全体のエピローグにはなっているけれど、とても奇妙で強烈なフィナーレだね」

ーーこの物語の底にある意味は何なのか、大きな読み解き甲斐を感じています。簡潔に言うと「葬り去ったはずの、もう1人の自分が蘇り、主人公にとって代わろうとするが、逆襲にあって倒される。だが2人はひとりなのだから結局どちらも滅びてしまうのだ」という感じでしょうか?

「僕は、そういう風に物語を自由に解釈してもらうようにするのが好きなんだ。だから君の解釈は間違っていないと言っておくよ。僕自身の解釈はまた少し違うんだけど、結局は同じ物語を読んでいるわけだから、うん、君の意見は正しいよ。つまり『もう一人の』自分を打ち負かすことで、実は自分自身を打ち負かしているってこと。僕の見方ではこういうことになる、ある男が自分自身の内なる悪を葬り去ろうとするのだけど、その殺人行為を犯すことは、結局は彼こそが悪なのだという証明にほかならないんだ」

ーー分裂した自我との葛藤、という点で、なんとなく『ファイト・クラブ』という映画を連想したりしたのですが、あの作品は見ましたか? あなた個人も、自己内の暴力的/破壊的な側面に悩まされたり、それを部分的に解放する必要に迫られたりしたことはあるのでしょうか?

「ははは、そうだね、たしかに『ファイト・クラブ』に似ているところはあるね。でもアルバムを書いている間は全く忘れていたよ。制作中に気がつかなくてよかったな。気づいていたら別のアイデアにしてしまっていたかもしれない! 僕自身、頭の中にいろいろな葛藤を抱えているから、フィクションにはなっているけれど、このアルバムはかなりパーソナルなものだと言えるね」

ーーさて日本では、先のソロ・アルバム『ザ・ゲーム・オブ・モノガミー』もカーシヴの新作とあわせて、ようやくリリースされることになったので、そちらについてもここで幾つか質問させてください。まず、初めて個人名義でアルバムを出すことにした理由は何だったのでしょうか? ソロ・プロジェクトだったザ・グッド・ライフが活動を続けてくるうちに、当初よりも「バンド」になってきたので、あらためて完全にソロとしてのスタンスから作品をひとつ作りたくなったということでしょうか?

「そういうことになると思う。微妙な違いかもしれないけれど、自分自身の名前で作品をリリースすることは自分のソングライティングにより大きな自由度と柔軟性を与えてくれるんだ。自分では、いずれこういうことをするんだろうなという予感はいつもあったんだけど、やっとその時がきた、という感じだね」

ーーソロ・アルバムの制作背景には、なによりモンタナ州の小さな田舎町=ホワイトフィッシュに引っ越してしばらく暮らしたことによる環境変化があると思います。この人工8000人の町の住みながらのソングライティング/レコーディング体験はどのようなものだったか、簡単に振り返って総括してみてもらえますか?

「ああいう隔離された環境はよかったよ。アルバム作りのための自由な時間がかなりできたからね。こういう風に言うにはまだ時期尚早かもしれないけれど、あそこでの経験からいくつかのことを学んだと思う。その経験はアルバムにもちゃんと反映されているよ」

ーー現地にあるスノー・ゴーストというスタジオはいかがでした? 実際かなりアコースティックなサウンドがいい音質で録れているように感じましたが、ここでの作業がどんな様子だったかも教えてください。

「レコーディングはとても快適だったよ。山の上にある豪華な屋敷の地下にあってね。ものすごくいいドラムの音が録れるし、録音機材も素晴らしかった」

ーー1曲目の"Monogamy Overture"からオーケストラ・アレンジが施されていて驚かされましたが、グラシア・ナショナル・シンフォニーという楽団の人達が参加しているようですね。これまでカーシヴにおいても、一般的な4ピースのロック・バンドの枠にとらわれず、様々な楽器をフィーチャーしてきたあなたですが、やはり今回の作品は、さらにそれを先に進めてアレンジの領域を拡大したいという意図が根底にあったのでしょうか?

「アルバムの曲を書いている段階では、必ずしもそういう計画だったわけではないんだけどね。1年ほど前に映画音楽を作曲したんだけど、それがきっかけでずっとオーケストラのアレンジに挑戦し続けているんだ。僕自身にはとても新鮮で、いろいろ格闘するのが楽しいよ」

ーー"The Prodigal Husband"は殆どハープのみのシンプルなバッキングで、かなり大胆なアレンジだと思いました。この曲がどのようにして出来たのかを教えてください。あと参考までに、ジョアンナ・ニューサムってお好きですか?

「ジョアンナ・ニューサムはとても好きだよ。この曲はナイロン弦のギターで作曲したんだけど、そのパートがハープでプレイされるようなイメージがすぐ思い浮かんだんだ。だから、基本的にはギターのパートがハープで演奏されているだけなんだけど、ハープにはこんなに独特の質感があるんだね」

ーー今作では、カーシヴのサポート・メンバーとしてお馴染みの、パトリック・ニューベリーが大きな力となったようですが、彼との創作作業は実際どのようなものだったでしょう?

「パトリックはレコーディング中、僕と一緒に生活していたんだ。彼は、クラシック楽器のアレンジにおいて大いに助けてくれたよ。楽器のリード・メロディもかなり一緒に作ったしね」

ーーその他のバックの面々としては、カーシヴのマット・マギンと一緒に、マイナス・ザ・ベアのドラマー=エリン・テイトが参加しているようです。彼らはどのようにして参加することになったのでしょう?

「2人ともいいプレイヤーだし、エリンはちょうど時間も空いていて、ホワイトフィッシュからそう遠くないシアトルに住んでいたから、ちょっと飛んできてもらったわけ。そして、マットもホワイトフィッシュに住んでいて、自然に参加することになったんだ。マットとエリンはずっと一緒にプレイしたかったんじゃないかと僕は思っていたから、実現してよかったよ」

ーーで、そのようにして出来たアルバムに「一夫一婦主義のゲーム」と名付けた理由は何なのでしょう? ここにきて、夫と妻が1対1で人生をともに歩んでいくことについて、何かテーマとしてインスパイアされるものを感じたのでしょうか?

「一夫一婦制による結婚というのは、人生で最も大きな決断をしようとするときにまず思い浮かべることだよね。生涯の伴侶を決めること、またはそもそもそういう相手を選ぶべきかどうか、こういう事象はその後の人生を永遠に変えてしまうかもしれない、とてつもなく大きい選択だ。それを『ゲーム』と呼んだのは、僕らのこの社会においては一夫一婦制がどう機能すべきか、一夫一婦制の社会における僕らの役割について、本当に多くのルールがあるからさ」

ーージャケットに写っている、緑色の可愛らしい家は?

「モノポリーっていうボードゲームで使われている、小さな緑の家をモデルにしたんだ」

ーー曲名をざっと眺めただけでも、「ここで死にゆくのは怖い」「冷めた愛」「失ったものがある」「悪い悪夢」など、なかなかネガティヴな印象を受けます。以前のインタビューでも、あなたは「年齢を重ねるにつれて、僕は人間の経験においていっそう落ち込まされ続けるように感じているよ」と発言してましたが、その感覚がカーシヴの前作『ママ、アイム・スウォーレン』からずっと繋がっているのだと考えてよいのでしょうか?

「ん~、そうだね、とてもネガティヴな言いようだねえ……。でも、もう僕自身『落ち込む/絶望する』ことに関しては折り合いをつけたと思ってるよ。ただ、そういうことについて詞を書く傾向は、まだまだあるけれどね。確かに、このアルバムはとてもネガティヴだけど、僕自身はぴったりな相手とであれば健全な一夫一婦制の関係を楽しめると思う。ずっとうまくやっていくには色々と苦労があるとしてもね」

ーーわかりました。さて、この後はカーシヴとしてのツアーが始まるわけですが、全体でひとつの物語を構成する『アイ・アム・ジェミニ』の曲を、ライヴの場で個別にセットリストへ組み込むのは大変なんじゃないかと思います。どのように再現しようと考えていますか?

「このアルバムをそのまま曲順通りにライヴで演奏したら、かなり楽しいだろうし、いつかやるだろうと思うけど、今のところツアーではこれまでのアルバムの曲と一緒に演奏するつもりだよ。会場によってどの新曲をやるかは違うけどね」

ーー最後に、ぜひまた日本にもライヴをしに来てください。

「うん、近いうちにそちらに行けることを楽しみにしているよ」


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鈴木喜之
他では読めないような、音楽の記事を目指します。