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ジョーディー・グリープ インタビュー

2024年、個人的に最もブチ上がったアルバムのひとつは、ジョーディー・グリープのソロ・デビュー作『The New Sound』だ。ブラック・ミディ無期限活動休止の報に対する驚きと悲しみも吹き飛ぶ、迸る才気に圧倒されながらインタビュー。その発言も、サウンド同様にキレキレで、同時に音楽への誠実さに満ち溢れている。2025年2月に予定されている来日公演が、心から楽しみだ。
なお、以下の記事は、『CDジャーナル』誌の2025冬号に掲載されたものと併せ読むことで完全版になるので、ぜひチェックしてみてください。そちらでは、スティーリー・ダンのこととか話しています。

通訳:青木絵美
写真:Yis Kid

最近の人々は、音楽を聴くことに慣れすぎてしまっていると思う。音楽に何の力もないというか……当たり障りのないもの、不快感を与えないものというのが、音楽の目的になってしまっている。自分の音楽も不快感を与えるものではないと思うけど、少なくとも、音楽は人を感動させたり、何らかの効果を与えるべきだ。

ーーソロ・デビュー・アルバム『The New Sound』は、当初は別の形でアルバム制作を進めていたものの、途中で物足りなくなり、ブラジルでレコーディングすることを決意したそうですね。ブラジルで、あなたが用意したコード・チャートも必要としない地元のミュージシャンたちと演奏したことによって、当初のデモからはどのような変化が起きたでしょうか? それはアレンジ面で大きな改変をもたらしましたか? オリジナルのデモ音源と聴き比べるチャンスが、私たちに将来もたらされることはあり得るでしょうか?

「おかしな話だけど、デモとレコーディング音源は、全く同じなんだよ。曲は全然変わらなかった。ただ、楽譜に書き出してみても些細なことに感じられるかもしれないけれど、曲を大きく変えた要素はあった。それはミュージシャンが演奏する雰囲気だね。例えば、テンポを少し緩めたことで、曲の雰囲気がグッと良くなったりしたんだ。今作で演奏したミュージシャンたちは、みんな派手なプレイや目立つプレイをするのではなく、曲に忠実に、グルーヴを感じながら、ストレートに演奏してくれた。オリジナルのデモ音源をチェックしてみて、いつか公開するかもしれないけれど、曲自体は全く同じだよ。でも、もしその2つを比べて聴いた時は、些細な変化が曲の感じに大きな変化もたらしていることに気づくと思う」

ーー『The New Sound』は、特にミルトン・ナシメントや、ファニア・レコード一連の作品から影響を受けているそうですが、本作と合わせて聴くと特に楽しめそうな作品などがあれば、参考までに教えてください。

「そうだなあ、ミルトン・ナシメントは『Clube Da Esquina 1 & 2』や『Minas』が素晴らしいし、あと『Journey to Dawn』もいい。でも一番好きな曲は、彼が最初に書いて、初めてリリースした曲だ。ビル・ウィザースと同じように、初めて書いた曲で初リリースが完璧な作品だったというケースだよ。ミルトン・ナシメントが初めて作った曲は“Travessia”と言う曲で、信じられないくらい素敵なんだ。3分もしくは4分の間で、本当にたくさんの感情、サウンド、雰囲気を表現している。ものすごく良い音楽を聴いた時って、聴いてからほんの10秒で《理由は分からないけれど、すごく良い!》って思うだろう? 何か素敵な気持ちになる。この曲にはそんな力がある。この曲を初めて聴いた時、《知らない曲だけど、どこかで聴いたことがある気がする》と思った。なぜか親近感が沸いたんだ。それから、ファニア・レコードに関しては、僕は以前からファニアのレコードを集めていて、今では多すぎて困っているという状態(笑)。エクトル・ラボーの『Comedia』は、アレンジされたサルサ・アルバムの最高峰だね。金管楽器と弦楽器の2つのセクションを扱うのって、実はすごく難しいんだ。例えば、今回の僕のアルバムでも、両方のセクションを使っている曲は無い。どちらか1つだけだ。金管楽器が入っている曲もあるし、弦楽器が入っている曲もある。でも、その2つとも起用してしまうと、両方が上手く機能している曲に仕上げるのはとても難しい。『Comedia』ではそれを見事に成し遂げている。ほぼ全ての曲で金管楽器と弦楽器が使われているんだ。とても巧みにアレンジされているから2つのセクションが上手く同時に機能している。素晴らしいよ! あとファニアからでは、ルーベン・ブラデスとウィリー・コロンの『Siembra』とかだね。でも僕が一番好きなのは、やっぱりエクトル・ラボーだね。素晴らしいサルサ・シンガーだ」

ーーあなたのアルバムに戻りますが、“Walk Up”という曲は、目まぐるしく展開しながら、最後には口論の相手が「家なんてねえよ」とカントリーを歌い始める面白いエンディングとなります。こういうジョークみたいなアイディアはどのようにして思いついたのでしょうか? また、こうした演出を盛り込むことで、作品全体にどんな効果を期待しているのでしょう。

「あの部分は、僕とシャンク(※共同プロデューサーのセス・エヴァンス)が夜遅くまでスタジオで作業していた時にできたものなんだ。細かいディティールを色々と調整してアルバムを仕上げているところだった。僕たちはおかしなテンションになっていて、《よし、こうなったら、サウンド・エフェクトを入れてみようぜ》という話になり、曲の色々な箇所にサウンド・エフェクトを入れていった。車が衝突する音や、人々が街中を歩いている音、"Walk Up"では火がパチパチと燃える音や、窓を叩く音などを入れた。そして《火の周りには人が集まって話しているだろう》と思い、次に自分たちの声を入れていった。で、最後は歌うべきだと思って、シャンクに歌わせたんだ。馬鹿げた歌詞を2人ですぐさま思いつき、彼が歌って、僕がギターを弾いた。10分くらいの作業だったよ。本当におふざけでやったことだから、アルバムには入れるわけないよなとシャンクとは話していたんだけど、僕は思いとどまって、結局、入れることにした。長い時間をかけて、磨き上げられたアルバムがあって、曲にも意味が込められている一方で、その同じアルバムの中に、あまり考えずに5分で仕上がった部分が入っているというのも面白いと思ったんだ。アルバムに軽さを持たせてくれるという感じかな」

ーーなるほど。では、アントン・ルビンシテインの“Romance”をもとに書かれた、フランク・シナトラの"If You Are But a Dream”のカバーで、アルバムを締め括った理由は何かありますか? この曲と一つ前の12分超の大曲”The Magician”で、あなたが「ロック・バンドのヴォーカル」以上のシンガーとして、大きな成長を果たしていると実感させられましたが、歌手として、今作ではどういうところに力を入れましたか?

「今回のアルバムの曲には、様々なコード変化や、曲に合わせたメロディがあったから、色々な歌い方をする機会があったし、そういう工夫が求められていたと思う。ちゃんと歌う、ということが目的としてあったんだ。“If You Are But a Dream”は何年も前に聴いた曲。12歳くらいの時に初めて聴いて、とても美しい曲で、大好きになった。昔のジャズ・スタンダードにしては珍しく、歌詞も良いと思った。古いジャズ・スタンダードの多くは、歌詞がすごく陳腐で、はいはい、という感じになるんだけど、この曲にはオーセンティックな、ユニークなものがある。切望や欲望、情熱といったフィーリングだ。それがメロディやパフォーマンスと合わさって、とても上手く表現されている。そこがすごく良いんだ。ただ、あまり知られていない。もっと知られてもいいはずなのにね。このアルバムを作っている時に聴き返していて《この曲は、自分のアルバムの曲の歌詞やフィーリングに共通するところがあるな》と思った。華麗で、少しオールドスクールで、ショーマン的な感じが共通していると思ったんだ。そこで自分のヴァージョンをやろうと思った。ブラスバンドを使って、しめやかな感じにしたいと思ったんだ。そこで、ある人に依頼して、そういうスタイルにアレンジしてもらった。すごく素敵な感じにまとまったと思う。満足しているよ」

ーー今後のライヴでは、歌に集中するためにギターを誰かに任せる、またはその逆というパターンが増えてきたりする可能性はあったりするでしょうか?

「もちろん。実際のところ、そういうことを既にやり始めている。アルバム・リリース時にロンドンでライヴをやった時、もう1人ギタリストを入れて、彼にメインのギター・パートを担当してもらい、僕は曲を歌いながら、たまにギターを手に取ってソロを演奏したり、リフを弾いたりした。その逆パターンもあったよ。ニューヨークで、アメリカのミュージシャンたちと演奏した時には、パーカッション奏者のサンティアゴというコロンビア人がいてね。そのライヴでは“Quaquaraquà”っていうサルサの曲を演奏したんだけど、彼に歌ってもらうことにした。ライヴ中にいきなりスペイン語で彼が歌い始めたんだ。クールだったよ。バンド・メンバーに色々なパートを担当してもらうのはいいことだと思う。多様性のあるライヴになるから飽きることもないし」

ーーアルバムから"Holy, Holy”, "The New Sound”, "Terra”の3曲をスタジオで演奏している映像が先日公開されました。一緒にコンガ、ピアノ、ドラムスを演奏しているミュージシャンの皆さんは、いずれも素晴らしい腕前ですが、彼らがどんな人たちか紹介してくれますか?

「それがいま話していたニューヨークのバンドだよ。ラジオでセッションをやったんだ。実はあのミュージシャンたちはインスタグラム経由で見つけたのさ。インスタグラムの"発見"タブで色々とスクロールしていたら、ピアノを演奏する男性を見つけた。インスタグラムで音楽を演奏している人たちの中で、惹かれる人は滅多に見つからないけれど、彼はすごく上手で、演奏スタイルも気に入った。アカウントをチェックしたら、一緒に演奏しているドラマーがいて、そのドラマーもすごく良かった。そこで連絡をとって、他にも一緒によく演奏している上手なミュージシャンはいないかと訊いてみたんだ。そうやって彼らに関わってもらったんだよ。最初はどうなるか分からなかったけれど、結果として、すごくいい感じになった。僕はニューヨークへ行って、彼らに会い、リハーサルを一度やっただけで《これは素晴らしいことになる》と確信した。そして曲を何度か練習して、彼らと4公演を行なったんだ。素晴らしかったね。あまり事前の準備がないまま臨んだけど、すごく上手くいった。で、ラジオのセッションも同じメンバーでやったんだ。とても才能あるミュージシャンたちで、演奏も最高だった。僕の計画としては、アメリカではまた彼らと一緒に演奏して、イギリスではイギリスのバンド・メンバーと演奏して、いつか南米に行ったらアルバムに参加したくれたミュージシャンたちと再び演奏して、2月に日本に行った時は、日本人のメンバーと演奏する。つまり大陸ごとに違うバンドと演奏するんだ。クールな感じになると思う。ロンドンのバンド・メンバーの中には10年前から知り合いの人もいれば、知り合って6ヶ月しか経っていない人もいるから、新旧のいいバランスが取れていると思うね。メンバーに選ぶ条件を挙げるとしたら、ポジティブな姿勢で音楽を楽しんでいて、曲によっては即興的な演奏もできて、その一方で他の曲では指示通りの演奏ができること、それくらいかな」

ーーこの3曲分の映像を見ただけでも、アルバムがライヴの場においてさらに進化・深化していくことが容易に予想でき、とても楽しみです。実際のコンサートでは、インプロヴィゼーションの割合をどのくらい入れるつもりですか?

「結構な割合で入れるつもりだよ。制限ある範囲内で即興を行おうと思っているんだ。例えば、アルバムに“Bongo Season”という曲があって、アルバムでは2分ちょっとの曲なんだけど、ライヴで演奏する時は、10分、15分、 時には25分くらいになったりする。色々なヴァリエーションにしたり、セクションごとに違ったことをやったりしてさ。すごく面白いアイデアだと思うし、常に新鮮味を保てる。特に、曲が完成されているというよりは、ビークルのようなものである場合にはね。つまり、ライヴで色々なことを試したり、曲がどの方向へ行くのかを試したりするためのビークル(手段)である場合」

ーー歌詞はすべて「すぐに浮かんだ」もので、レコーディング・セッションに向かう途中に思いついて、「やばい、今、何か歌わないといけない」というような状況だったとか。そうして書かれた本作のテーマが「絶望」であると聞くと、特に英語を聞き取れない日本のリスナーなどは、驚く人が多いのではないかと思います。全体的に大きな高揚感を聴く人に与えるサウンドなので、それと絶望とはアンビバレンツな印象も受けますが、あなた自身は、本作の音楽性に、絶望というテーマが合わさったことをどう感じているのでしょうか?

「作品の目的として、常にそういった対比を表すということがあったんだ。歌詞がすべてダーク・ユーモアである必要はないと思うけど、この音楽の歌詞がそんな内容であるということに面白味を感じてもらいたい。アルバムの曲を聴いていて、《え? 今の歌詞って、本当にそんなこと言ってた?》と一瞬驚いてほしいのさ。例えば、通勤中に電車で音楽を聴いているときなんかにね。最近の人々は、音楽を聴くことに慣れすぎてしまっていると思うんだ。音楽に何の力もないというか……当たり障りのないもの、不快感を与えないものというのが、音楽の目的になってしまっている。別に、自分の音楽も不快感を与えるものではないと思うけれど、少なくとも、音楽は人を感動させたり、何らかの効果を与えるべきだ。今では音楽は多くの場合、通勤中だったり、他の作業をしている時に聴くもので、集中して音楽だけをメインに聴くというケースの方が少ない。ただ再生しているだけで、耳に心地よく響けばいい。だから、自分の音楽に関しては、聴いていて心地よいけれども、時々、変な歌詞が耳に入ってきて《自分は一体何を聴いているんだ!?》と思わせることができたら面白いと思ったんだ。トリックというか、ちょっとした冗談さ。それに、曲に登場する人物たちは、状況のコントロールができていなかったり、状況をどうやって上手く乗り切ればいいのか分からなくなって、結局は乗り切れないという人たちなんだ。そう考えると、曲の音楽性の部分が、人物の空想世界を作り上げる様を表現しているという風に捉えることもできる。歌詞で歌われていることとは裏腹に、音楽性は、その主人公が虚勢を張って空想している世界を表しているのかもしれないということだね」

ーー今作に、日本の文化から影響があるとすれば、その最大のものはジャケットに佐伯俊男の絵を用いたことだと思います。かなり刺激的な絵で、youtubeからリンクを貼ると表示されなくなることもあるようですが、この絵に惹かれた理由を教えてくれますか。”Bongo season”という曲は歌い出しの歌詞に「ハラキリ」という言葉も使われていますが、特にグロテスクな内容を含んだ日本の表現に惹かれたりするのでしょうか?

「いや、特にそういうわけじゃないよ。この2つの要素が同じアルバムに入っていたのは偶然だ。どの国のインタビューを受けても、そういう質問をされるよね。僕は今まで自分の音楽に、世界の様々な地域の影響を取り入れてきた。すると、インタビューで《この国に対する特別なこだわりがあるのでしょうか?》みたいなことを訊かれるんだ。このアルバムでは南米に対するこだわりがあるのかと訊かれるし、ブラック・ミディのファースト・アルバム『Schlagenheim』ではドイツに対して特別な思い入れがあるのかと訊かれたり、セカンド・アルバムでも、マレーネ・ディートリヒについて訊かれたりしたな。色々な国の人から、その国に対して興味があるのかという質問はよく受けるよ。今回のアルバムのジャケットに関しては、ただ単にとても美しいイメージだと思っただけ。これまでにアルバム・ジャケットとして使われていなかったことが意外なくらい。調べてみたところ、まだ使われていなかったんだ。じゃあ使おうと思った。アルバムのジャケットとしても機能するし、アルバムのテーマにも合っている。この絵は刺激的だけど、下品だったり、意地悪な感じではないと思う。佐伯俊男の作品の中には、もっと強烈なものもあって、全ての人に見せるべきものではないというのもある。でも今作のジャケットの絵に関しては、セーフな領域だと思うし、この絵を見たらびっくりするかもしれないけれど、不快感を覚えるまでにはならないと思う。ちょっとびっくりするくらいじゃないかな。すごくクールな絵だし、僕のアルバムに合っている」

ーーちなみに、あなたは昨年、バンド活動を離れた形で日本にしばらく滞在していたようですね。ただ遊びに来ていたわけでなく、今後の活動のために、色々とリサーチしていたようなところもあったのでしょうか? 日本滞在期間中の、印象深い思い出なども教えてください。

「素晴らしい滞在だったよ。日本にいた理由はいくつかあって、友人のバンド、ブラック・カントリー・ニュー・ロードが日本でライヴをやる予定だったから、そのタイミングで日本に行ってライヴを観たら楽しいだろうなと思ったんだ。その前にちょうどオーストラリアにいたから、フライト代も安かったしね。それから色々なライヴに行って、日本の音楽シーンもチェックしたかった。あと、実際に自分もライヴに出演したんだ。ギターも買ったよ。日本の方がギターが安くて、それも理由の1つだった。日本でギターを買ったら、日本人の友達でサックス奏者の松丸契が《ライヴをやろうよ!》と言ってくれて、下北沢のSPREADという会場でライヴをやったんだ。すごく楽しかったよ! 即興で2時間ほど演奏したんだ。雰囲気も良かったし、楽しかった。日本の音楽シーンを体験できてすごく良かったよ。UKとは違うスタイルだと思ったな。日本のシーンの方が活発で健全な感じがしたんだけど、日本の人は《そんなことないよ、日本のシーンは終わってる、全然ダメだ》みたいなことを言うね。でも、もし彼らがUKに来て《UKシーンは活発でいいね》と僕たちが言われたら、こちらも同じようなことを返すと思うから、隣の芝は青いということなのかもしれない。ただ、日本では色々なライヴが毎晩のように開催されているし、クールな雰囲気だし、素晴らしいミュージシャンもたくさんいると思った。いつか日本でレコーディングできたら最高だと思う。まずは来年、日本のバンドとライヴをやって、それが上手くいくかどうか様子を見てからだね」

ーー質問は以上です。今日はお時間を取ってくださり、ありとうございました!

「こちらこそありがとう! また日本で会おう」

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鈴木喜之
他では読めないような、音楽の記事を目指します。