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アラン・ヨハネス インタビュー

多くのミュージシャンが天才と認めるアラン・ヨハネスのことを、みなさんはどのように知っただろうか。初期レッド・ホット・チリ・ペッパーズと因縁深く、妻のナターシャ・シュナイダーと優良オルタナティヴ・ロック・バンドのイレヴンとして活動し、そのまま夫婦でクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジに参加したり、クリス・コーネルの傑作ファースト・ソロ『ユーフォリア・モウニング』を共同制作したり。はたまた、ゼム・クルーキッド・ヴァルチャーズやPJハーヴェイのツアーで堅実なサポート・メンバーを務め、アークティック・モンキーズやジミー・イート・ワールドのアルバムをバックアップし、氷室京介や吉井和哉の作品を手伝ったりもしている。彼の半生を捉えたドキュメンタリー映画『Unfinished Plan: The Path of Alain Johannes』は、もし機会があったらぜひ見てほしい。
さて、そんなアランは、2019年の暮れに気管支と肺の病に倒れ、生死の境を彷徨ったという。先に世を去った最愛の妻ナターシャと、盟友クリスのもとへ急ぐことなく、どうにか回復した彼は、何かに導かれるようにして『Hum』というアルバムを完成させた。ギター、ベース、ドラムだけでなく様々な民族楽器を全て自ら演奏し、またしても「死・運命」と対峙する傑作を作り上げたアランに、色々な質問を投げかけてみた。以下のインタビューは、『CDジャーナル』2020年秋号の記事では掲載しきれなかった発言を再構成したもので、合わせて読んでもらえれば幸いです。


ナターシャの音楽的なマインドは、今なお私の中で本質的に生きていて、それは私がすること全てにおいて常に存在している


---年末年始には病に倒れていたそうで、回復されて本当によかったです。その後『Hum』を完成させてから、ロックダウンの間は生まれ故郷のチリに滞在していたそうですが、どのような日々を過ごしていましたか?

アラン「当初は従兄弟といっしょに、4月下旬からは1人で、Airbnbに泊まっていた。週に2回、物資を補給するためだけの3時間しか外出が許可されなくて、実にキツかったよ」

---『Hum』の1曲目 "Mermaids' Scream"は、ポルトガルで変則チューニングのギターを手に入れたことをきっかけに出来た曲だそうですね。あなたは世界各地の民族楽器の収集家であり、それを弾きこなす様子をインスタグラムにアップし続けてくれています。そうした珍しい楽器から曲が生まれることは、やはり多いのでしょうか? ちなみに、日本の和楽器も持っていたりしますか?

「そう、私は楽器と、それらが創り出す質感や雰囲気にずっと魅了されてきた。子供の頃から異なる文化や様々な時代の音楽を聴いてきたことで、楽器に対する情熱が生まれ、それらを集めて自身の音楽に応用することを学び続けたんだ。楽器はしばしば私を特定の曲に導いてくれたり、ユニークな方法で曲に雰囲気を加えてくれる。まだ日本の楽器は持ってないけれど、尊敬できる製造元から純日本製のものを購入してみたいと思ってるよ。これまで2回ほど日本に行ったことがあるのに、そういうものを探すだけの十分な時間がなかったんだよね。私は、武満徹の音楽と黒澤映画のスコアの大ファンだ。それらの作曲とテクスチャーは信じられないくらい素晴らしい」


---『Hum』のリリース元は、マイク・パットンのレーベルであるイピキャクになります。マイクとのつきあいはどのように始まったのですか。確か、かつて彼はレッド・ホット・チリ・ペッパーズと険悪な関係だったのではないかと記憶していますが、あなたには関係ないことなのでしょうか?

「ずいぶん昔に、ジョシュ・ホーミ主催のパーティーで知り合あったんだ。私はずっと前からマイクのファンだったし、すぐ親しくなれた。彼は最初のソロ『Spark』と今回の『Hum』をリリースしてくれただけでなく、アラン・ヨハネス・トリオのファースト・シングル"Luna A Sol"で歌ってくれてもいる。Connie Converseのカバーでコラボしたこともあるし、数年前にはサンティアゴでMondo Caneのオープニングを務めたよ。チリ・ペッパーの件は、私にはどうでもいいことさ、ハハハ」


---その、アラン・ヨハネス・トリオのフル・アルバムはいつ頃に完成しそうでしょうか? それから、モノラルのアニス島田さん、ジョーイ・カスティーヨと組んだNone Of Onesとしての予定は?

「うん、トリオは今まさにフル・アルバムを完成させてようとしているところ。もう2曲が仕上がりそうで、アルバムの残りをリモートで書いてレコーディングしている。None Of Onesについては、フル・アルバムが出たら来年にはツアーに出られるようにしたい。アニスやジョーイとの仕事は最高で、アルバムを作るのを心から楽しめた」


---アラン・ヨハネス・トリオでは、やはりイレヴンの音楽性を継承していこうという意識があるのでしょうか。また、このバンドで、クリス・コーネルのソロ・アルバム『ユーフォリア・モウニング』収録曲をカバーしていこうと考えているようですが、どの曲をどんな形で演奏しようと考えていますか?

「3人のケミストリーがどんな風に響くのかを探っていきたい。ナターシャの音楽的なマインドの一面であるイレヴンの感覚は、今なお私の中で本質的に生きていて、それは私がすること全てにおいて常に存在していると思う。今年の3月に開催される予定だったロラパルーザ・サンティアゴでは『ユーフォリア・モウニング』全曲を演奏することになっていたんだ。(それが実現できなかったので)私たちは"Can't Change Me"のロックダウン・ヴァージョンを、なんとかしてYouTubeにアップしたよ」

---ナターシャの死後、40数年ぶりに生まれ故郷のチリを訪れて以来、自らのルーツを再訪した経験が、現在まで自らの音楽表現にどう影響したと感じていますか?

「ミュージシャンであった父をはじめ、それまで会ったことのなかった家族と再会したり、フォンセア兄弟とトリオでの活動をスタートさせたり、懐かしいチリの文化や歴史的な音楽に触れたりしたことが、この10年間の自分に大きな影響を与えたと思う。特にリズムの部分でね。そしてもちろん、"Luna A Sol"では、初めてスペイン語で歌詞を書いたんだ」


---あなたは、日本のロック・ミュージシャン、氷室京介や吉井和哉とも仕事をしていますよね。どんな経験だったか、感想を聞かせてください。

「彼らは素晴らしかったよ。ヒムロとの仕事では、何曲かのトラックにゲスト参加して、ミックスも担当させてもらった。彼は、アダム・ランバートが映画『2012』のためにカバーした、ナターシャと私の曲"Time For MIracles"もレコーディングしてくれたんだ。ヨシイとの仕事ではギターを、ソロ・パートも含めていくつか弾かせてもらった」


---ところで、ラーキン・ポーのことをお好きみたいですが、彼女たちのことをどう評価していますか?

「何年か前に出会ったんだけど、素晴らしい才能だと思う。私はずっと彼女たちのことを人々に言いふらしてきたから、その音楽と、信じられないほどの天賦の才能が、より世界で知られてきたことをとても嬉しく思っている」


---また、おとぼけビ~バ~もインスタグラムでフォローしていて、たまに「いいね」をつけたりしてますよね?

「私は、おとぼけビ〜バ〜が大好きだ。数年前に初めて知って以来、2枚のアルバムをずっと聴きまくってる。驚異的なエネルギーとグレートなケミストリーを持つ素晴らしいバンドだ。音楽的で、クレイジーで、楽しい。超いいね!」


---これまでに、ジミー・イート・ワールド、アークティック・モンキーズ、Dead Comboといったバンドをはじめ、数多くの作品にプロデューサー/エンジニア、そしてプレイヤーとして関わってきたあなたですが、そうした裏方仕事やセッション・ミュージシャンとしての参加と、自分自身が主体となる作品とでは、なにか意識の切り替えのようなことを心がけたりはしていますか?

「シンプルに、音楽を最も純粋で最良の形にするため必要なものへ適応するだけだよ。その点では、自分自身の音楽に取り組んでいる時と大きな違いはない。考えすぎず、その瞬間に集中し、恐れず、信頼して、自然発生的に、音楽の女神と通じ合うべく努めるだけだ」

---マーク・ラネガンが、『Hum』のリリースに寄せて「アラン・ヨハネスは、我々の時代のピカソだ。誰も、彼と同じ土俵に上がることさえできない」とツイートしてましたね。マークの作品にはレギュラーで参加してきていることを見ても、とても相性がいい関係性なのだろうと想像します。彼との仕事で特に印象深かった出来事などあれば教えてください。

「最初に会ったのはランチョ・デ・ラ・ルナでの『Desert Sessions 7/8』の時だった。私はちょうど"Hanging Tree"を書きあげたところで、それを録音する際にマークが歌ったんだけど、5/4という変拍子だから、彼は私に指揮を頼んでね。かなり集中して真面目にやったつもりなのに、マークは吹き出してしまって、ずっと笑っていたんだ。そんな感じで、私たちは最初から、すぐに親しくなれたよ。彼が自分の曲のために何を聴いているのか、どんなテクスチャーや雰囲気を考えているのか、それを感じとって想像するのが私の仕事で、マークは私を頼りにしてくれている。私は、彼のヴィジョンの延長上にいるような存在なんじゃないかな。なんというか、楽器のようにね」


---2005年にハリウッド・ボウルで、あなたとナターシャ・シュナイダーの参加したクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジが、ナイン・インチ・ネイルズとやったコンサートを見ました。あの頃のQOTSAに参加していた時の思い出を教えてください。

「あの時のララバイズ・ツアーは本当に激しくて、どのショウも熱気に満ちていた。パワーを感じることができたし、ユニットとしての尋常ならざるエネルギーを感じることができたよ。絶対に忘れられない。これまでにやったステージの中で、いちばん好きな瞬間のひとつだ」


---近年、『Tom Clancy’s Ghost Recon』というゲームのサントラを「Wildlands」「Breakpoint」の2作にわたって、担当しましたね。後者では、あなたの信奉者と言っていいほどのファンであるアレッサンドロ・コルティーニも共作していますが、ゲームのサントラを制作するという仕事はいかがでしたか?

「どちらのサウンドトラックも、ゲーム内の文脈や環境、ドラマチックな展開に即興で反応することに主眼が置かれている。これほどハイレベルかつ大規模なスケールでそれを実現するには、特別な信頼とケミストリーが必要だった。ユービーアイソフトのManuとGhislainには、このような素晴らしい方法でプロセスを明確にし、導くことができたことを感謝してる。アレッサンドロ・コルティーニ、ノーム・ブロック、ジョーイ・カスティーヨ、ニック・オリヴェリといった友人やミュージシャン仲間がこのプロセスに参加してくれたことは、インスピレーションを与えてくれたし、これらのサウンドトラックを作るための鍵となった。
『WIldlands』はシガーボックス・ギターやチャランゴ、ナイロン弦ギターを多く取り入れたより土臭いサウンドで、ヘヴィなパートではデザート・ロックやストーナーみたいな感じがあった。『Breakpoint』の方は、アレッサンドロのモジュラーによる驚異的なエレクトロニックのテクスチャーと、ノームのメタリックなパーカッションを使って、より冷たく、より威嚇的なサウンドに仕上がっている」


---最近も自分のインスタグラムに、イレヴンよりさらに昔やっていたバンド、ホワット・イズ・ディスの写真をあげてくれたりしていますよね。チェイン・リアクションとかアンシムも含め、あなたの初期音源をリイシューする予定はないのでしょうか?

「チェイン・リアクションとアンシムは、ジャック・アイアンズ、ヒレル・スロヴァク、そして私が15歳の時に始めたバンドの初期の名前なんだ。ホワット・イズ・ディス(ベースはクリス・ハッチンソン)は、1984年にデイヴ・ジャーデンがプロデュースした『Squeezed』というEP、1985年にはトッド・ラングレンのプロデュースでセルフタイトルのLPをリリースした。両方ともMCAレコードからリリースされたんだけど、その版権を取り戻そうと思っているところだよ。ヒレルがチリ・ペッパーズに戻った後の1985年にトリオ編成でレコーディングした音源も10曲ほどある。それらをまとめて全部リイシューできたらクールだね」


---ジャック・アイアンズは、現在ジョッシュ・クリングホッファと一緒にやっていますが、あなたもそこに参加したりする可能性はないのでしょうか?

「特にそういう予定はないけど、ジャックと私とで近いうちに何か始めるつもりだ」


---それから、ジョン・セオドアとセッションしている様子も2018年10月17日に、やはりインスタで報告されています。これはどのような仕事だったのですか?

「ジョンとは何度かジャムってみて、とてもよかったからランチョ・デ・ラ・ルナまで出向き、3日間ジャムをレコーディングしたんだ。それらも近いうちにリリースしたいな」


---2019年10月に、スティングのバンドでドラマーとして来日したジョッシュ・フリーズにインタビューしました。その時、クリス・コーネルの『ユーフォリア・モウニング』制作秘話として、あなたの家で叩かされたヴィンテージのドラムがとても演奏しにくかったという思い出を話してくれました。あの時、どういう理由でその機材にこだわっていたのか、今度はあなたの立場から話してもらえますか?

「ジョッシュが難しいと感じていたことには、気がつかなかったな。彼は素晴らしい演奏をしていたしね。11AD(※アランのスタジオ)には70年代初期のクリアーなLudwig Vista Liteのセットがあって、ジョーイ・カスティーヨ、ジャック・アイアンズ、マット・キャメロン、グレッグ・アップチャーチ、バレット・マーティンなどが演奏した。また、グレッチの1957年製バーガンディ・スパークルのジャズキットもある。私たちはこれらのキットの音を気に入っていたので、みんなにそれをプレイしてもらうように提案したけど、彼らはいつだって自分の機材を選ぶこともできたはずだよ、ハハハ」


---これまでに、ゼム・クルーキッド・ヴァルチャーズや、PJハーヴェイのバンド・メンバーとして来日していますが、次はあなたがフロントに立ったアラン・ヨハネス・トリオ、もしくはソロでのステージを見たいです。いつか可能性はあるでしょうか?

「日本でのソロ・ライヴはぜひやりたい。私は日本を愛しているし、そこでもっと色々なものを見てみたいね。PJハーヴェイのショウの後に数日だけ滞在し、京都に泊まってから、東京もちょっと探索したんだ。料理もお気に入りだし、胸の前で手を組んで、実現するのを待ち望んでいるよ!」

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鈴木喜之
他では読めないような、音楽の記事を目指します。