HIGASHI TOKIO RIOT PART5
事実を事実のまま 完全に再現することは
いかにおもしろおかしい
架空の物語を生み出すよりも
はるかに困難である
(アーネスト・ヘミングウェイ)
これは事実談であり……この男(MUNE)は実在するッ!!
架空の世界を立ち上げるんですよ
―泥だらけでも本屋に通って情報収集にいそしんでたんですね。
MUNE ものしりだとか、そういうキャラクターになってたんですよ。
―そういう趣味の話ができる友だちはいたんですか?
MUNE 中学入るぐらいからは徐々に増えてきたけど、オールマイティでいろんな知識を持ってる訳じゃなくて、パソコンはすごい得意とか、プロレスはくわしいとかで。俺はけっこう全部カバーしてた感じなんで、こいつと話すときはこのジャンル、みたいな感じで話してましたね。小学校高学年ぐらいになると、パソコン買ってもらえるやつがでてくるんですよ。FM-77(※1)とか、PC-9800(※2)とか買ってもらって。すごい高いじゃないですか。だから学年で5、6人しか持ってないんですけど。
―私の田舎でも当時はそれぐらいの普及率でした。
MUNE うちはSEGAだけで、パソコン持ってなくて。持ってないけど興味はあるから、遊びに行ってやらせてもらうんですよ。「サラダの国のトマト姫」(※3)とか「ハイドライド」(※4)とか「ウィーザードリィ」(※5)とか、そういうゲームをやらせてもらって。パソコンは持ってないんだけど、その知識を持ちたいから、本屋で「(マイコン)BASICマガジン」(※6)とか「I/O」(※7)とかああいうのを読むんですよ。「電波新聞社がボスコニアンを移植するのか」とか、そういうのばっかり読んでましたね。「ポニーキャニオンがプロジェクトA出すんだ」(※8)とか。
―そうですそうです、懐かしい!
MUNE そういう知識だけは持ってて。「I/O」なんて、こんなに分厚くてほとんどプログラムが書いてあったんですよ。あとは広告が多いんだけど、その広告を見るのが大好きで。これは壮大な話になっちゃうんですけど、自分のゲームのハードを立ち上げるという遊びもはじめて。
―自分のゲーム機!
MUNE ファミコンとかSEGAみたいに、たとえば「コアチョコ」ってハードの理想の本体の絵を描いて。
―筐体からデザインするんですね。
MUNE そうですそうです。で、次はチラシを描くんです。「すごいゲームが現れた!」とか「コアチョコいよいよ日本上陸!」とかって。「一挙4タイトル発売!」とか、ソフトの価格も全部決めて発売告知するんですよ。そしたら次は自分のハードに新たに移植したいものを書き出して。『「新入社員とおるくん」(※9)移植決定!』 とか。そんなのを書いて誰に見せるわけでもなく、育てるのが好きなんですよ、自分の中で。
―まず本体をデザインして、値段を決めて、広告作って。
MUNE で、このソフトをX月X日に投入って書いて。
―発売日も決めて(笑)。
MUNE インパクトあるソフトをそろえないといけないんですよ。
―立ち上げ時のソフトのラインナップがショボかったらなめられますからね。
MUNE そうそうそう。キラータイトルをそろえないと。そういうのをやってましたね。あと映画、架空の映画。
―おお! 架空の映画!
MUNE それもまずポスターを描くんですよ。
―ビジュアルから入るんですね。
MUNE そうです。クラスの友だちが主演の映画なんですよ。「プロジェクトA」とかをもじって、「なんとかかんとかB」みたいなタイトルでやって、何組のXXと人気のあるXXがダブル主演でやりますよって。共演はかわいい女の子の名前書いて、X月X日公開で、興行収入X億円とか書くんですよ。ただそれだけの遊びなんですけど、それを眺めて喜んでるんですよ(笑)。
―主演候補の子に見せたりするわけではないんですか?
MUNE いやいや、絶対見せたくない。恥ずかしいもん、ばかばかしくて(笑)。
MUNE で、架空のプロレス団体も立ち上げるんですよ。
―これはまた忙しくなってきました(笑)。
MUNE たとえば、宗方プロレスだったら、選手を新日と全日、国際プロレスから引き抜くんです。自分の好きな外国人レスラーも引き抜いて、マッチメイクもぜんぶするんです。後楽園ホールで開幕して、シリーズで全国をまわって最終戦は蔵前国技館。サーキットコースもカードもぜんぶ書いて、大会ごとに何人入ったかも書くんです。
―リアルですね。
MUNE 選手も各団体の中でうだつのあがってないレスラーを取るんですよ。アントニオ猪木とか(ジャイアント)馬場とか(ジャンボ)鶴田とかを引き抜いちゃったら、自分の団体の色が出ないじゃないですか。自分の団体の色を確立させるために、中堅選手や海外に行ってしばらく帰って来ないレスラーを引き抜くんです。
―ちょっと現状に不満を持ってるようなレスラーを。
MUNE それでひとつの団体にして、新日本・全日本の対抗勢力にしてるんです。月刊プロレスとかに載ってる、海外のまだ見ぬ強豪をピックアップして初来日させたりもします、団体の目玉として。
―旗揚げ戦に参加したレスラーとかまだ覚えてますか?
MUNE ケンドー・ナガサキ(※10)とかいましたよ。マッハ隼人(※11)とか、伊藤正男(※12)とかも入ってたなあ。あと、高杉正彦(※13)を結構上の方で使ってた気がしますね。
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―国際プロレス色強めですね(笑)。
MUNE けっこうリアル志向なので、引き抜けるレスラーってそういうところなんですよ。無茶は絶対やらないので。
―藤波(辰巳)(※14)とかには声は掛けなくて。
MUNE そういう遊びがすごい好きだったんですよ。遊びって言っていいのかわかんないけど、ノートにずーっと書き留めて。誰にも見せないんですよ。
こんなことやってるなんて、こいつおかしいと思われそうで
―もうこれはシュミレーションゲームですね。
MUNE そうですそうです。ひたすらこういうことをノートにいっぱい書いてたら、母ちゃんが「こんなにビッチリ書いて」ってうれしくなったみたいで。人に見せたくなったみたいなんだけど、それは全力で阻止しましたね。「絶対こんなの見せるな。見せたらもう口きかないからな」って。
―お母さんも見たところで、まったく意味分かんないですよね(笑)。
MUNE 意味分かんない分かんない。俺の妄想のかたまりだから(笑)。だからある日、はずかしくて捨てましたよね。
―今もうないんですか?
MUNE ないですないです。
―えーもったいない。
MUNE ホントもったいない(笑)。当時はこうやって話せることもなかったですからね。こんなことやってるなんて、こいつおかしいと思われそうで。
―アハハハハ!
MUNE こういうのを書く時間が寝る前に必要で。プロレスに関してはこれがだんだん調子づいてきて、架空のプロレス団体では飽きたらず、学校生活にシフトしました。友だちにリングネームつけて、団体を立ち上げて。自分のクラスを自分の団体にして、他のクラスは外国人レスラーにして。他人のリングネームは悪口込みでサッと出てくるんだけど、自分のは無理で。自分のリングネームは「ザ・ムネカタ」でした(笑)。
―確かに自分に命名するのはむずかしいです。
MUNE にきびだらけのカツラギくんには「クレアラシル・カツラギ」っていう名前をつけて。それは現実の世界でも名乗ってましたね。
―カツラギくんにプロレスラーとしてデビューしてることは…
MUNE 伝えてないです。変なあそびですよね。
―これはいつ頃までやってたんですか?
MUNE 中学2年ぐらいの時にディスクシステムでコナミのエキサイティングベースボール(※15)が出て。それが選手の名前をエディットできたんですよね。のちのベストプレープロ野球(※16)でもエディット機能があるんですけど「これが俺の欲しかったやつだ」ってなって。学校の人に名前を書き換えましたね、6球団ぜんぶ。
―えーっ(笑)。
MUNE 当時7クラスあったんで、6球団だと足らなくて、ファミスタ(※17)のフーズフーズやレイルウェイズみたいに、弱小チームを何組何組連合みたいにして。
―そういう作業が好きなんですね。
MUNE パラメーターをいじるのが好きなんですよ。
―バッティングはいいけど、足遅いんだよなみたいな。
MUNE 前にも話した自分のポジションみたいなのを理解してるっていうのがまさにそうで。こいつは戦力いくつだなとか、足はBだなとかそういうのを考えるのが好きだったんですよね。監督気質っていうんですかね。
―いまでこそ、そういうゲームありますけど、当時はあんまなかった印象です。
MUNE パラメーターをいじれるゲームが出てきた時に、何て俺に向いてるんだろうって思って。ベストプレープロ野球とか延々やってましたよ。友だちに「これ何が面白いの? ただ見てるだけじゃん」って言われて。たまにバントを指示したりとか、ピッチャー交替とかするだけの何が面白いのって不思議がられてましたね。ほんとに面白かったんですよ、あれが。
―こういう話は当時の友だちも知らない感じですか?
MUNE 知らないんじゃないですかね。架空の映画の話なんかしたことないですよ。
―架空の映画で覚えてるのとかありますか?
MUNE 「トリプッカー」って映画はありましたね。
―「トリプッカー」!
MUNE 「スパルタンX」とか「プロジェクトA」とか「プロテクター」とか、ジャッキー・チェンの映画ってそんな感じじゃないですか。そんな感じで適当に作った言葉で。
―アクション映画ですか?
MUNE アクション映画です。
―ポスターも存在してる感じで。
MUNE そうですそうです。3人主役がいて、ヒロインがいて「トリプッカー」って。これたぶんヒットしましたよ。
―ヒットしたんですか!
MUNE ヒットしましたね。トリプッカー2とか3とかありましたよ(笑)。あと友だちといっしょに「まんが道」みたいに漫画を描いてた時期もあって、その時は徹夜して漫画を描くんですよ。で、後日お互いに描いたノートを見せ合うってことをやってて。俺は大河ドラマの「山河燃ゆ」(※18)に影響を受けて、戦争漫画を描いたんです。友だちが零戦でどんどん死んでいくっていうそんな内容の。
―生々しいですね。
MUNE そうなんですよ。イノウエくんやコイケくんが零戦で死んだり、「戦争は終わりました!」って聞いて飛び出したところをアメリカ兵のだまし討ちににあって射殺されたりとか。「山河燃ゆ」のパクリなんですけどね(笑)。そういうのが好きなんですよ、空想にリアルなものを導入させるのが。そういうのにすごい時間使いましたよ。
<HIGASHI TOKIO RIOT PART6 につづく>
【本文脚注】
FM-77(※1)
富士通から1984年に発売されたパソコン。当時の価格で約20万したため、ほとんどの家庭にはなく、あったとしてもこどもは触らせてもらえない代物だった。
PC-9800(※2)
NECが1982年より販売していたパソコンのシリーズ。1983年10月発売のPC-9801Fは定価が398,000円。当時私が過ごしていた民放が2局しか入らず、みかん山の段々畑に囲まれた愛媛県吉田町ではいちども実物を見たことがなかった。
サラダの国のトマト姫(※3)
1984年にハドソンから発売されたアドベンチャーゲーム。当初はパソコン版でリリースされ、88年にはファミコンにも移植された。グラフィックのかわいさもあり、女子のファンが多かった気がする。(筆者調べ)
ハイドライド(※4)
1984年発売のRPG。PCでのハイドライドがはじめてのRPG体験だったという40代はけっこう多いのではないかと思われる。私が友人のヒョウドウ家でプレイしていたのはX1版だった。
ウィーザードリィ(※5)
1981年発売のRPG。当初はAppleII用のソフトとして発売され、のちのドラゴンクエストに与えた影響も大きい。87年にはファミコン版も登場した。
マイコンBASICマガジン(※6)
1982年より電波新聞社が発行していたパソコン情報月刊誌。読んだところでさっぱり分からない内容だらけだったが、ページをめくっていると賢くなった気がするので、当時の小学生男子には人気だった。
I/O(※7)
工学社が発行していたパソコン雑誌。創刊時は若き日の西和彦が編集人を務めていた。マイコンBASICマガジンよりも難解で、当時の私は海外の雑誌を読むような感じで眺めていた。当時の小学生男子はほとんどそんな感じだったはず。
ポニーキャニオンがプロジェクトA出すんだ(※8)
1980年代、ポニーキャニオンはポニカ名義でゲームを開発&発売しており、あのプロジェクトAをリリースするも驚異的な完成度に当時の私は驚いた記憶あり。
【プロジェクトAプレイ動画】
https://www.youtube.com/watch?v=07zxuBxkYBA
新入社員とおるくん(※9)
1984年にコナミからアーケード版、のちにSG-1000でリリースされたアクションゲーム。私が小学生時代に通っていたゲーセンでは1プレイ20円だったのでなかなかの人気筐体だった。
【新入社員とおるくんAC版プレイ動画】
https://www.youtube.com/watch?v=temUKE3_ggQ
ケンドー・ナガサキ(※10)
セメント最強の呼び声も高い、怖さをまとった昭和の名レスラー。小学生の頃に見たミスター・ポーゴとのタッグはうさんくさくて最高だった。この不仲タッグ、ポーゴの彼女とのナガサキの彼女が姉妹だったいうのはまた別の話。
マッハ隼人(※11)
国際プロレス〜全日本プロレス〜UWFで活躍した名覆面レスラー。選手生活晩年、UWFでのどんなにやられても果敢に立ち向かう姿と「練習についていけなくなったので引退する」との正直すぎる最後の言葉はいまでも胸を打つ。
伊藤正男(※12)
私がプロレスを見始めた頃から、ずっと海外遠征中のままだったまだ見ぬ謎のレスラー。当時のちびっこプロレスファンの間での知名度はなぜか高かった。
高杉正彦(※13)
国際プロレス〜ウルトラセブン〜パイオニア戦志〜オリエンタルプロレスで活躍したプロレスラー。山本小鉄私設ファンクラブ『豆タンク』の会長でもあった。
藤波(辰巳)(※14)
マット界随一の城&家康好きで、ある日藤波城建設の見積もりを依頼したところ「総工費120億 納期今世紀中」の返事で、伽織夫人を激怒させたクレイジードラゴン。
エキサイティングベースボール(※15)
1987年にコナミからディスクシステムで発売された野球ゲーム。インタビューにもある通り、チームエディット機能が搭載されセーブできるのが画期的だった。当時の定価は2,980円。
ベストプレープロ野球(※16)
1988年にアスキーから発売された野球シミュレーションゲーム。エキサイティングベースボールよりもさらに進化したエディット機能が搭載され、選手の名前や能力を自由に調整できるのがパラメーター好きにはたまらなかった。1試合ごとの勝ち負けではなく、ペナントレース規模で勝敗を考えるのも、ちびっこプロ野球ファンにはリアルで画期的だった。
ファミスタ(※17)
1986年にナムコから発売されたファミコン用野球ゲームソフト。任天堂ベースボールからの超絶進化ぶりに当時の小学生は大歓喜。ガイアンツえがわのカーブのキレは凄まじかった。
山河燃ゆ(※18)
1984年度のNHK大河ドラマ。山崎豊子の『二つの祖国』を原作に大河ドラマとして初めて第二次世界大戦を描いた作品。私も40歳くらいになれば大河ドラマを見るようになるのかなと思っていたが、いまだに1作も見たことがない。残念ながら本作も未見。