HIGASHI TOKIO RIOT PART8
事実を事実のまま 完全に再現することは
いかにおもしろおかしい
架空の物語を生み出すよりも
はるかに困難である
(アーネスト・ヘミングウェイ)
これは事実談であり……この男(MUNE)は実在するッ!!
ロックとの出会い
MUNE ロックの開眼っていうのははっきり覚えてて、聖飢魔II(※1)なんですよ。
―おお!
MUNE 「夕やけニャンニャン」でデーモン小暮が出てきて、「この人は何なんだ、聖飢魔IIってバンドをやってるのか」ってなって、すぐ(レコード)買ったんですよ。
―蝋人形(の館)の頃ですか?
MUNE そうそうそう。それがはじめて買ったロックのレコードで。うちは商店街だったんですけど、ちょっと行くと魚屋と肉屋があって、そこの息子どうしがすごい仲がよかったんですね。で、俺もそこに入れてもらって。肉屋のケンちゃんが2、3つお兄ちゃんで、めちゃくちゃいろいろ教えてくれるんですよ。ラウドネスとか、E・Z・O とか、ヘヴィメタル時代の浜田麻里とか。その中のひとつ聖飢魔IIも入ってて、「悪魔が来たりてヘヴィメタる」持ってるんですよ。
―デビューアルバムを。
MUNE そうそう。聞かせてもらって。そこで「あ、ロックかっこいいな」ってなったんですよ。多分、怪獣とか悪役が好きだってのといっしょなんです。見た目が悪魔ってインパクトにやられて好きになったって感じかなあ。聖飢魔IIがメイクしてなくて、ラウドネスみたいな感じだったらハマんなかったと思いますね(笑)。しかも当時はあれがKISSだって気づいてないですから。はじめて(KISS)見た時に「聖飢魔IIのパクリだ」って。
―「外国人が聖飢魔IIのマネしてる!」って(笑)。
MUNE 純粋でしょ(笑)。
―ケンちゃんきっかけでいろいろロックを聴くようになるんですか?
MUNE ケンちゃんの影響はそれだけなんだけど、それからロックってのがなんとなくわかるようになって来て、その流れで有頂天(※2)とかに出会う感じでしたね。はじめて有頂天を観たのはヒットスタジオで。インディーズ御三家がメジャーデビューした時にヒットスタジオに出て、そこで有頂天のルックスにグッと来て、すぐ「BYE-BYE」を買いに行って。ハマりましたね。そこからは同級生が知らないような方向を向いちゃって。みんなまだファミコンとかやってんですよ。聖飢魔IIや有頂天を好きになって、中3くらいで筋少を好きになって。
―筋肉少女帯は何で知ったんですか?
MUNE ナゴム(※3)の広告ですね、宝島の。
―あの手書きの広告!
MUNE 筋肉少女帯、ばちかぶり、空手バカボン、新東京正義乃士とか覚えていくわけですよ。人生とか。
―木魚とか。
MUNE 覚えていくうちに「ああ、聞きたい聞きたい、買いたい買いたい、どんな音楽やってんだろう」って。新宿の紀伊国屋(書店)の2階に帝都無線があったんですよ。そこに「高木ブー伝説」買いに行って。それが最初かな。そしたらすぐ「冗談画報」に出て、はじめて動く姿を見て衝撃を受けて。やばかったですね(笑)。
―まわりでナゴム聴いてる友だちは…。
MUNE まわりにはいなかったですね。中学に入って塾に行くんですけど、塾の音楽好きな人たちは、みんな洋楽聞いてましたね。ボン・ジョヴィとかホワイトスネイクとか、ペットショップボーイズとか。FM STATION(※4)とかを買ってて、その付録にカセットテープのインディックスっていうのかな、あれがガーッとあって。マイケル・フォーチュナティとかバナナラマとかスウィング・アウト・シスターとかいう名前がバーッと並んでて。負けたくないから、俺もマネしようっつってFM STATION買って、AXIAのテープ(※5)も買って、聞きもしないのにダビングさせてもらいましたよ。「ワム持ってんだったら録音して」ってテープ渡して録ってもらって、FM STATIONのインディックス貼って、ズラーッと並べるのが好きでした。ぜんぜん聴かないで(笑)。
―洋楽はまったくハマらなかったですか?
MUNE 何言ってるか分かんないですからね。
―そもそも歌詞がまったく入ってこないですよね。
MUNE やっぱり歌詞で揺り動かされる部分が多かったかなあ。音楽というよりも。
―歌詞カードもがっちり見て聴く感じでした?
MUNE そうですね。だけどあんまり熱すぎる歌詞は苦手なんですよね。尾崎豊とか、ちょっと寒いなーとか思っちゃって。あと、みんなが好きなのは好きじゃないですね。BOØWYとかハウンドドッグとか尾崎豊とか、みんな聴いてるじゃないですか。それを俺が聴くってことは後追いになっちゃうから、聴かないんですよ絶対に。意地でも聴かない(笑)。だからシルベスター・スタローンとかも大嫌いなんですよ。知られてないシュワルツネッガーっていうすごい奴がいて、カルタじゃないですけど、コマンドーの時に俺がすぐにバッと行って。みんなよりいち早く「アーノルド・シュワルツネッガー」って言えるようになりましたよ。
―アハハハハ!
MUNE ボブチャンチン(※6)言えるみたいな(笑)。難しい名前もすぐに言えるよって。スタローンとかトップガンとか、まったく興味のないフリしてましたね。見たら面白いのかもしんないけど、俺にはもうちょっと違う価値観があるんだと。
かっこつけるのをやめる
―筋少のあとはどんな感じですか?
MUNE 聖飢魔II、有頂天、筋少と来て、中3高1くらいの時には爆風(スランプ)と米米(クラブ)を好きになってました。個性的なバンドが好きだったんですね。で、筋少からいわゆるインディーズの方に入り込む感じになって。ビジュアル系とかそういうところには行かないんですよ。ロン毛で化粧してみたいなのは苦手なんですけど、大槻ケンヂみたいなああいう化粧とか、聖飢魔IIみたいな化粧は好きなんです。キワモノは好きだけど、正統派のメイクは苦手で。
―なるほど。
MUNE 有頂天のケラが当時よく言ってたんですけど、「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」って。それを聞いた時に、「ああ、まさに俺はこの価値観だな」って思ったんですよ。
―早川義夫のアルバムですね。
MUNE ああ、そうだそうだ、その引用ですね。
―思春期の男子には衝撃ですね。
MUNE 衝撃だったんですよ。それでカッコつけるのをやめたんです。「かっこつけないことがかっこいい」って価値観に変わったんですよ。学校生活でもカッコつけてるやつを憎むようになりましたね。ダセーなあいつ、みたいな。なんでサッカーでシュート打ったあとに髪直すんだよって、そういうものにすごい厳しかったです。ダセーなって。
―音楽以外にも、ミュージシャンの発言にも影響を受けて。
MUNE そうですね。あとバービーボーイズもハマりましたね。大人の恋の駆け引きしか歌ってないけど(笑)。それを聴いてました。
―中学生には少しむずかしいですね。
MUNE むずかしいむずかしい(笑)。
パンクロックの洗礼
―そこからパンクに出会うんですか?
MUNE そうです。今言ったバンドの速い曲が好きだったんですよね。聖飢魔Ⅱ「FIRE AFTER FIRE」とか有頂天「ころころ虫」とか、爆風では「無理だ!!」とか。どのバンドも速い曲が好きだったんですよ。それは突き詰めると、そのバンドの中のパンクっぽい曲だったと。じゃあパンクを聴いたら早いんじゃないかって、聴いてみたら一発でハマっちゃって。なんだ回り道しちゃったなって。
―ここだったんだって。
MUNE 当時は、(パンクとの出会いが)すごい遅いってコンプレックスがありました。中2ぐらいで出会ってなきゃいけないのに、高1で出会っちゃった感じで。
―その2年はデカイと。
MUNE デカいです。今思えば何もデカくないじゃないですか(笑)。けど当時の俺の中ではデカくて。
―なんでもっと早く気が付かなかったんだと。
MUNE そうそう。常に人の先を行きたいような性格だったから、今さらラフィン(・ノーズ)なんて言い出すのは、かっこ悪いなってちょっとありましたね。
―ぜんぜん遅れてる感じないですけどね。
MUNE そうなんですけど、俺の性格ゆえに。
―なぜもっと早く(笑)。
MUNE そうそう(笑)。
―最初はラフィン・ノーズですか?
MUNE そうですね。並行してCOBRAがあって。その辺ですね、どっぷり。
―ラフィンとの出会いは?
MUNE 高校の時に中学の友達とアンジーのコピーバンドやってたんです。学校外の活動だったから何となく存在を高校の同級生から不思議がられていたんですよ。「MUNEってバンドっぽい格好してるけどいったい何者だ、バンドやってんのか? どうやら中学の友達とバンドやっててバンドマンらしいよ」みたいな。で、ある時友達が寄ってきて「バンドやってるんだって?この学校でも組まないの?」ってそそのかされたんですよ。それで「ああ、組もうか、何やる?」ってなった。それで「ラフィン・ノーズやんない?」って言われて。その時はじめて(ラフィン・ノーズ)聴いて。名前はもちろん知ってるし、有名だけどそういや聴いたことないわって。で、聴いたらハマって。
―楽器は何をされてたんですか?
MUNE 俺はボーカルです、ずっと。
―そうなんですか。
MUNE 楽器できなくて(笑)。
―楽器できないんですか。
MUNE できないですね。一回ベース買いましたけど、ブルーハーツちょっとやって終わりましたね、無理だって(笑)。いちばんブルーハーツが簡単だと思ってやったんだけど、それすらも。「終わらない歌」と「NO NO NO」くらいしかできなくて。
―ロビンさん(※7)と同じですね(笑)。
MUNE ボーカルがやりたいんですよ。目立ちたがりなんで。(ライブは)中学時代の友人と組んたバンドは江戸川区の区民センター借りてやってましたね。でも通ってた高校が女子7割でほぼ女子校みたいなノリだったんですよ。だから高校でやった時のほうがワーキャーと反響があるんですよ。だから中学からのバンドより、高校のバンドの方にどんどんと傾いて行きましたね。
―アンジーの方は…(笑)。
MUNE アンジーの方は区民センターでやったとしても、知り合い呼んでせいぜい十何人ですよ。それよか学校でやったほうがガーッと集まってくるから、すぐそっちに行きましたね。楽しい!モテてる!って(笑)。それまでは学校では自分を殺してたんですよ。
―あんまり自分を出してなかったんですか。
MUNE 授業終わったらすぐ帰る、みたいな。休み時間とか黙々と週刊プロレス読みながら、ウォークマンで筋肉少女帯聴いてて。
―完全シャットアウトですね。
MUNE イヤホン取るじゃないですか。そしたら会話がくだらなすぎるんですよ。ヤンキー自慢とかチャンピオンやマガジンを持ち込んで漫画の話題してたり、ゲームボーイやってたりとか。だからコイツら別にいいやと思ってシャットアウトして、自分の趣味に没頭してたんです。だけど、だんだん「あいつはプロレスが詳しいらしい」とか噂になって来て。ある日、トントンって肩叩かれるからイヤホン取ったら、「プロレス好きなの?」って聞かれて。「好きだから読んでんじゃん」みたいな無愛想な態度を取ったりするんですよ。
―みんな話しかけたかったんですよ(笑)。
MUNE 音楽に関しても、いちばん知識あるんですよ。けど、学校のバンドはほんとにダサくて。中学の1年2年がBOØWYの全盛期で、3年の時にLAST GIGSで解散しちゃったんですね。だから時代として終わった感があって。高校に上がってメインのバンドがまだBOØWYやってるのに衝撃を受けました。
―まだやってるのかと(笑)。
MUNE なんてダサいんだ、なんて感性が鈍いんだって思ってバカにしてたんですよ。ああ高校のバンド、ダセーなって思って、地元帰ってアンジーやってたんですよ。アンジーなんかみんな知らねえだろうなって思いながら。そしたら、いよいよスカウトの手が伸びて来て(笑)、じゃあラフィンやるかって。
―チャーミーですね。
MUNE そうそうそう(笑)。
―すぐになじめたんですか?
MUNE なじめましたね(笑)。
―何ていうバンド名だったんですか?
MUNE 精神ノイローゼです。
―おお! 精神ノイローゼはどういう経緯で命名したんですか?
MUNE 何となくですね。後にみうらじゅんの「青春ノイローゼ」(※8)ってのがあって、そのことを言ってくる人がいるんですけど。それがまだぜんぜんない時ですからね。
―精神ノイローゼの「GET THE GLORY」が。
MUNE そうそうそう(笑)。高校の他のバンド名がみんなインパクトが足りなかったんですよ。NO TIMEとかブリスとかU-BANDとか。BOØWYのバンド、何て名前か忘れちゃったな。いちばん最初に付けたバンド名は忍者キャプター(笑)。「忍者キャプターがデビューするぞー!」って学校の掲示板に書いてたんです。3年に進級して6月に初ライブをやるって決まって。でも6月の本番まで日にちがあるから、そのあと「忍者部隊月光」に改名するんです。ライブやってないのに(笑)。
―忍者だけが残って(笑)。
MUNE そうそう。で、そのあと精神ノイローゼで正式決定になるんです。
―それが高3のときですか。
MUNE 高3で晴れてパンクバンドデビューしたっていうね。
―衣装とかはどうしてたんですか?
MUNE いやー筋肉少女帯でしたね(笑)。
―えー! 衣装は筋少(笑)!
MUNE 理科の実験の白衣を赤く染めて。もう今じゃ恥ずかしくて見せらんないですね(笑)。
<HIGASHI TOKIO RIOT PART9 につづく>
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【本文脚注】
聖飢魔II(※1)
1985年のデビュー時(当時筆者12才)PATi PATiで見つけた聖飢魔IIテレホンサービスに興味を持ち電話をしていたら、家の電話代が高騰した思い出が。内容はデーモン閣下が地獄から語りかけてくる他愛のないものだった。
有頂天(※2)
現在は劇作家としてのイメージが強いケラが、80年代に率いていたバンド。87年当時、筆者はブルーハーツの「YOUNG AND PRETTY」か有頂天の「AISSLE」のどちらを買うかさんざん迷い「AISSLE」を購入。毎日聴いていたので今でも歌えるのであった。
ナゴム(※3)
ケラ主宰のインディズレーベル。筋少の他にも電気グルーヴ、ばちかぶり、たまなどの数多のスターを輩出した。本文中にもあるように「宝島」に掲載される手書きの広告が毎回すばらしく楽しみだった。
FM STATION(※4)
鈴木英人のイラストによる表紙が印象的だったFM情報紙。筆者のまわりでも洋楽&やさしい邦楽好きが読んでる印象が強かった。
AXIAのテープ(※5)
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ボブチャンチン(※6)
PRIDE初期のスーパースター、イゴール・ボブチャンチン。ロシアンフックを武器に一歩も引かない殴り合いは見るものを魅了した。専属女性通訳の愛称はオバチャンチン。
ロビンさん(※7)
大阪の誇るスーパーバンド赤犬のボーカリスト。MUNE氏と同じく歌ひとすじのバンド人生を送る通称「明石のシナトラ」。
青春ノイローゼ(※8)
1999年にリリースされたみうらじゅんの著作。本文のとおり、精神ノイローゼのほうが10年ほど早くデビュー。
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