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HIGASHI TOKYO RIOT PART20

事実を事実のまま 完全に再現することは
いかにおもしろおかしい
架空の物語を生み出すよりも
はるかに困難である
(アーネスト・ヘミングウェイ)

これは事実談であり……この男(MUNE)は実在するッ!!


1年7組のプロレスなかま

ー中学校は地元(の学校)ですか?
MUNE 地元ですね。中学校のほうが小学校より(家から)近くなったんですよ。徒歩5分が徒歩1分になって。
ーいまもある学校ですか?
MUNE いまもありますね、寺島中学校。
ーチャイム鳴って、家出ても間に合うくらいの。
MUNE そうそうそう。楽でしたね。
ーシンゴさんとかも同じ学校ですか?
MUNE そうですね。ただ、シンゴ(※1)は不良になっちゃったんですよ。
ーうわー!そんな気配があったんですか?
MUNE 小学校のときはぜんぜんなかったですよ。中学になると、よその小学校から新しい人が入ってくるじゃないですか。それで感化される人もいれば、小学校時代のなかまのままの人たちもいるし、いろいろ分かれる感じで。
ーそうですね。
MUNE 俺は小学校の高学年くらいから仲よかったやつらとひきつづき遊んでた方ですね。だけどあたらしい友だちがいないわけでもなく、同じクラスでも友だちできましたけどね。後ろの席にヤギくんっていたんですけど、プロレス好きで阪神ファンだったんですよ。
ーおお!
MUNE マジか!って思って(笑)。
ープロレスファン&阪神ファンどうしで意気投合して(笑)。
MUNE そうそうそう。そんで、もうひとりプロレスファンがいたんですよ。チョンジってやつが。
ーチョンジ!
MUNE チョンジとヤギくん=やっさんと俺の3人が、1年7組のプロレス仲間で。当時、こづかいでプロレス雑誌を買ってたんですけど、3人とも派閥が違ってたんですよ。俺は「週刊プロレス」、やっさんは「ゴング」、チョンジはなぜか「ビッグレスラー」で。
ーあはははは!
MUNE 当時週刊になったばっかりの立風書房のビッグレスラー。読み終わったら、プロレス雑誌を交換日記みたいに渡し合ってました(笑)。
ーグループ結成のおかげで、1冊のお金で3冊読めるじゃないですか。
MUNE そうそう。ただ、「ビッグレスラー」はつまんなかった(笑)。だから「週プロ」読んで「ゴング」読んで、「ビッグレスラー」読む頃には同じ試合のレポートを3つ見てるような感じになるので、けっこう読み飛ばしてましたね。
ーあはははは!
MUNE あきらかに「週刊プロレス」のほうがおもしろいんですよ、文章とかも。
ー時代は1984〜85年くらいですかね。
MUNE 阪神優勝の年なんで1985年ですかね。
ー新日本プロレスにブロディが来た年ですね。
MUNE そう! 見に行きましたよ、両国大会。(※2)藤波とマシンが戦って、ワカマツと仲間割れするやつ。あの頃ですね。

ー3人でプロレス見に行ったりもしたんですか?
MUNE やっさんとチョンジとはじめてプロレス見に行ったのは、その年の10月くらいの東京体育館だった気がするな。
ーおお!
MUNE ドン荒川とコブラがジュニアヘビーのタイトルマッチやってましたね。(※3)
ーあの試合を生で見てるんですね(笑)。
MUNE メインよりそっちのほうを覚えてるんですよ。ドン荒川がタイトル挑戦した!って。
ーひょうきんプロレスで脚光をあびて。
MUNE ブロディが来た頃って大量離脱の後じゃないですか。UWFが帰ってくる前だから、かなり新日本(プロレス)が微妙なときだったんですよ。
ーレスラーがいないんですよね。
MUNE 猪木・坂口・藤波・木村健悟の4強で、その下があんまりいないんですよ。当時はプロレスラーの絶対数が少ないから、海外で活躍してる人を呼んでくるしかなくて。で、ビッグレスラーとか見てると、伊藤正男っているんですよ。
ーいました!
MUNE 伊藤正男とか新日本に入るんじゃないかって、へんな予想を立ててましたね。
ー伊藤正男はまだ見ぬ強豪でしたね。
MUNE あの頃は次期シリーズ参戦予定の大物選手を「X」ってよく発表してて、それは誰なんだみたいなってのが紙面をにぎわすようなことがあったんですよ。あるとき「X」がWWFの大物っていうんですげー期待したら、ペドロ・モラレスで。
ーあはははは! 
MUNE 「なんだよ、ペドロ・モラレスかよ」ってファンの声もあったらしくて、そしたらケロちゃんが「モラレスは昔の王者だし、大物やろー」って怒ってた気がしますね。そういうのも読んだ気がする。ごめんなさい、プロレスの話ばっかりになっちゃって(笑)。

NWE旗揚げ

ー3人ともプロレスの趣味はあったんですか?
MUNE 好きな選手はやっぱ猪木ですよね。で、3人で休み時間にプロレスをやるようになって。それがだんだん拡大されてって、NWEっていう団体がスタートするんです。
ーエヌダブリュイー! これはどういう略称なんですか?
MUNE NWEは「ナショナル・ワールド・アース」って俺が勝手に命名して。ダンボールでベルトもつくって、学校に持ち込んでましたね。
ーおおー!それがベルト初デザインですか?
MUNE そうですね。ダンボールを塗って、ラメの網みたいなのを掛けてキラキラ感を出して。
ーエヌダブリュイー、団体名の規模感がおおきいですね。
MUNE NWEはシングルでリーグ戦やって、タッグリーグ戦もやって、ちゃんと活動してましたよ。
ーリーグ戦の星取表もつけて?
MUNE そうですそうです。休み時間を有効活用して。で、隣の1年6組にもプロレスファンがいるんですよ。そいつらにも外国人チームとして参加してもらって(笑)。
ーあはははは! 1年7組が正規軍。6組が外国人軍団で。
MUNE そうですそうです。そういうことやってましたねー。
ーMUNEさんのリングネームは当時なんだったんですか?
MUNE それが、人にはつけれるくせに自分にはつけられないんですよ。なんか、かっこいいことをやったらかっこ悪いんじゃないかって。だから「ザ・ムネカタ」って名前でしたね。
ー超シンプル!
MUNE 思いつかなくって(笑)。チョンジは「ザ・グレート・チョンジ」なんですよ。
ーいいじゃないですか!
MUNE で、やっさんはヤギミツオって名前なんで、「スーパー・ミツオ」って名前に。
ーあはははは!
MUNE スーパーマンじゃないのにスーパーマンのギミックで(笑)。あとは、カツラギっていうにきび面のやつがいて、そいつは「クレアラシル・カツラギ」。ゆかっちょ(※4)はナチュラルで色が黒かったんで「ミシシッピ・ユカワ」ってつけて。南部のあの感じを出したかったのかなあ。や、偶然です(笑)。


<HIGASHI TOKYO RIOT PART21 につづく>

【本文脚注】
シンゴ(※1)
おさななじみのシンゴさんとのエピソードは HIGASHI TOKIO RIOT PART13 も参照。
両国大会(※2)
1985年4月18日 ビッグ・ファイト・シリーズ 第2弾 両国国技館大会のこと。メインは猪木vsブロディ初対決。
ドン荒川とコブラがジュニアヘビーのタイトルマッチやってました(※3)
1985年10月31日 バーニングスピリットインオータム最終戦 東京体育館大会のセミファイナル。メインは猪木vsブロディ。
ゆかっちょ(※4)
その驚異的な身体能力は HIGASHI TOKIO RIOT PART12 参照。

1985年、あの頃の熱気がよみがえる
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