HIGASHI TOKIO RIOT PART1
事実を事実のまま 完全に再現することは
いかにおもしろおかしい
架空の物語を生み出すよりも
はるかに困難である
(アーネスト・ヘミングウェイ)
これは事実談であり……この男(MUNE)は実在するッ!!
いちばん古い家の記憶は風呂なしのアパート
―生まれは墨田区ですか?
MUNE 病院は足立区になっちゃうんですけど、育ちは墨田区ですね。
―ご姉弟はいらっしゃるんですか?
MUNE 姉ちゃんが1個上で。年子ですね。
―ふたり姉弟で。
MUNE ふたり姉弟ですね。で、母ちゃんはパーマ屋。美容室を経営してて。親父がまたいろいろ面倒くさくて(笑)。俺が生まれる前はダンボール屋か何かの会社を経営してたらしいんですよ。ウチの親父って叩き上げの人らしくて、その前は何やってたか俺はぜんぜん分かんないんですけど。
―お父さんの昔の話はあんまり聞いたことないですか?
MUNE 聞いたことないなあ。12人とか13人兄姉の末っ子だったらしくて。
―お父さんは東京出身ですか?
MUNE 福島です。両親とも福島。
―宗方家のルーツは福島。
MUNE ふたりは東京で出会って。たぶん、お互い福島出身ってことで気が合ったんじゃないですかね。当時はとにかくダンボールの需要があって、家買えるぐらい儲かって。俺が生まれる前くらいまでは、足立区の竹ノ塚ってところで、一軒家持ってたらしいですよ。30歳くらいで。
―ダンボールで当てて、東京で一軒家!
MUNE そんで、ウチの母ちゃんが駒込の美容室で働いてたから、店持たせたんですよ。墨田区に。
―独立させてお店を。
MUNE やりそうじゃないですか、お金持ってる社長って(笑)。「俺が独立させてやるよ」って。あと、兄姉がみんな親の介護をやりたくないって言って、末っ子のウチの親父が介護をやってたらしいんですよ。苦労人というか、人情味あふれる人かな。儲かった金で母ちゃんに店やらせて。たいしたもんじゃないですか。
―とても立派ですよ。
MUNE そういうことがあったんですけど、何やら潰れたらしくて(笑)。俺の記憶にある家は風呂なしのアパートでした(笑)。
―その当時の写真がこちらですか?
MUNE そうそうそう。汚ないでしょ(笑)。
―これはMUNEさんとお姉さんですか?
MUNE そうそう。後ろにいるのは、アパートの隣の部屋に住んでたテルくんですね。テルくんはちょっと年上なんですけど、またクセのある人で。当時はガンプラが流行ってたんですけど、俺がクレーンゲームで特賞を当てて、誰も持ってないシャアザクを手に入れたんですよ。「やった、シャアザクだ!」って言ってたら、すぐテルくんが俺のところに来て「俺さ、すごい珍しいもの持ってるから、このシャアザクと俺のア・バオア・クーで負傷したガンキャノン取り替えてくんない?」って言われて。
―アハハハハ!
MUNE それで俺は「え、そんな手に入らないものと取り替えてくれんの」って、シャアザクをそのまま渡して。で、テルくんからもらったのは、塗装済みなんだけど、片足が折れていて、焼け跡があるような負傷してるガンキャノン…。もちろん立たなくて(笑)。それを渡されたんですよ。「これビミョーだな…」って思って、母ちゃんに言いつけたら「これはおかしいよ。苦情言いに行こう」って、隣の部屋に行って。そっから気まずくなりましたね、テルくんと(笑)。めっちゃ怒られたっぽいですよ。そりゃそうですよね(笑)。その後、テルくんはまともに目も合わせてくれなくなりました。「猿の惑星」のロボトミー手術後みたいな(笑)。
―これはまだ仲がよかった頃の写真で(笑)。
MUNE 小1とか小2じゃないかな。風呂なしのアパートですからね。たぶん、相当安いところだったんじゃないですかね。駅から歩いて15分くらいあったし。ウチのアパートの前が、低所得者が住んでるようなアパートだったんですよ。窓開けてみんな昼間から酒飲んでて、話しかけてくるんですよ。「おお、坊主、いってらっしゃい!」とかって。ウチはアパートの2階だったんですけど、階段が石の急な階段で。記憶にはないんですけど、3、4歳くらいのとき、そこから落ちちゃったらしいんですよ。頭パカッと割れて。ウチの母ちゃんは「死んだ…」って思ったらしいんです(笑)。
―えーっ!
MUNE 頭が割れたからよかったらしくて、内出血だったら死んでたそうです。母ちゃんは洗濯やってたから分かんなかったらしいんですけど、そのはす向かいの酔っぱらいのおじさんが第一発見者で、すぐ飛び出して来て抱えてくれて「救急車!救急車!」って。それで助かったらしいんですよ。
―もしそのおじさんが昼間から飲んでなかったら…。
MUNE 何の仕事してた人なんだろう(笑)。そのアパートの隣はもつ焼き屋でしたね。
―味わい深いですね(笑)。風呂なしアパートのお家はいくつくらいまでですか?
MUNE 小2のときに、風呂のあるコーポみたいなところに引っ越して。親父はかつて一軒家持ってたでしょ。そのあと地に落ちて、そこから這い上がるストーリーを俺は全部見てるんですよ。
―記憶の中のお父さんは一生懸命もがいているところで。
MUNE 「前は家があったんだよ」って母ちゃんからよく聞かされてました。
―お父さんは自分ではおっしゃらないんですね。
MUNE 親父は言わないですね。一旗揚げてやろうじゃないけど、いつかBIGMONEYみたいな。
―会社勤めというよりは、一発いくぞ! と。
MUNE ダンボール屋が倒産した次に、俺が記憶してる親父は郵便局の配達員でしたね。郵便局から帰ってくる親父に「おかえりー!」って窓から手を振った覚えがあります。その後、飲食店に配達する酒の問屋に入って、営業として活躍したんですよ。
―止まってる訳にはいかないですよね、家族抱えてますから。
MUNE 生活がだんだんよくなって来たんですよ。小2の途中でコーポみたいなところに引っ越して「風呂あるねー」とか「子供部屋あるねー」みたいに喜んで。そこから2年後、小4の時、一軒家に引っ越したんですよね。
―返り咲きました(笑)。
MUNE がんばったんじゃないですかね。母ちゃんはパーマ屋だから、その収入もあったんじゃないですか。
―パーマ屋さんは何という名前だったんですか?
MUNE 「ビューティサロン ナナ」っていう名前で。由来は聞いてないんですけど。
―お母さんがナナさんなんですか?
MUNE いやいや、カズエです(笑)。
―ぜんぜん違うじゃないですか(笑)。
MUNE これ母ちゃんですね。
ちいさい時は喧嘩ばかりしてた
―小学校から帰ったら、お姉さんと留守番って感じですか?
MUNE 家の近所にパーマ屋があったんで、鍵もらって、家で母ちゃんの帰りを待つみたいな。商店街にパーマ屋があったんで、商店街の人たちが俺たちの姿を全部見てくれてて。昔の商店街ってそういう関係性があるんで安心なんですよ。商店街に育てられた感じはありますね。
―いまもその商店街あるんですか?
MUNE いまはもう無くなっちゃいましたね。俺が下町の商店街上がりっていうのは、かなり自分のアイデンティティとしてはデカいし、大切にしてる部分ですね。
―おっかないおじさんとかいたんじゃないですか?
MUNE 得体のしれないおじさんがいっぱいいましたよ(笑)。
―引っ越した一軒家も墨田区ですか?
MUNE そうです。何丁目の範囲を転々として、徐々にレベルアップしていった感じですね。一軒家もパーマ屋から走って20秒くらいのところで。親父は酒の問屋の営業だから、新しいお店がオープンするって聞いたら「ウチから酒とってください」って契約を取って、どんどん業績を上げて、結構いいところまで出世したって聞きましたよ。
―敏腕セールスマンですね。
MUNE そうですね。口がうまいんですね(笑)。「ビッグ・フィッシュ」って映画があったんですけど、あれ見た時に親父を思い出したんですよ。あと、親父は疎開で福島に行ったって言い張るんですよ。
―お父さんは何年くらいのお生まれなんですか?
MUNE 昭和12年で、大阪の生まれだって言い張るんですよ。関西の生まれで、疎開で福島に行って、当時は関西弁だから、福島の子たちにバカにされたって言うんですけど、本当かどうかは分からないですね。ただ、家族写真みたいなのがあって。すごい大家族で、親父が赤ん坊の時に抱かれてるみたいな写真があるんですよ。母親いわく、当時そんな写真館で家族写真を撮るのは裕福な家じゃないと撮れないらしくて。だから裕福だったんじゃないかと。親父の話を信じると、福島に疎開してそのまま育ったけど、もともとは関西だみたいな。俺はどうもそれは眉唾じゃないかと(笑)。
―お父さんのご兄弟とはあまりお会いしたことなかったんですか?
MUNE 全員もう感じ悪くて、大嫌いでしたね。母方の兄弟はしょっちゅう会ってたのもありますけど、むちゃくちゃやさしいんですよ。福島の素朴な農家の人たちっていう感じで。親父のほうは何かちょっと、嫌いなおじちゃんおばちゃんみたいな(笑)。
―この写真はおいくつくらいですか?
MUNE 小2くらいじゃないですか。けっこうやんちゃといえばやんちゃでしたね。すぐ喧嘩してました(笑)。これもジッパー上げなきゃいけないのに、ひとりだけ下げて。これ、反抗なんですよ。
―アハハハハ!
MUNE 自分のこだわりなんですよね。小1小2はいちばん喧嘩ばかりしてましたね。揉め事ばっかり起こして。で、当時から自分を客観的に見る癖があって。クラスの中での自分のポジションみたいなのを意識しながら動くみたいな、そういう所があるんですよ。自分が何番目に強いかっていうのは敏感になってました。こいつは一番強い、俺一回負けたから、でも俺は二番目だみたいな感じを思ってて、他のクラスに対してもランキングを自分の中で持ってましたね。
<HIGASHI TOKYO RIOT PART2へつづく>