春よ続け

風が強いと、コンタクトレンズがゴロゴロとして痛い。
高校デビュー、と言うには控えめかもしれないけど、眼鏡からコンタクトに変えてもうすぐ3年になる。それでも毎年、春先の強風は慣れず、目が痛くなってしまう。

今日は雲ひとつない、快晴だ。
春の晴れた日は気分が良い。あの人の一番好きな顔を、すぐ思い出せるから。
こんな天気の良い日は、きっとその顔を見せてくれるだろう。

鼻の頭を真っ赤にして、目尻に涙を溜めて。

私が一番好きな、先輩のかわいい泣き顔。

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3年前。
高校に入学したてのころ、背の高い上級生とすれ違った。
あ、同じ中学だった先輩だ、とすぐ気づいた。

先輩は、中学生のころから背が高かった。
スラッと手足が長く、上級生の男子たちと比べても、頭ひとつ分は大きかった気がする。
私と接点があったわけではない。
たまに廊下で見かけると、妙に大人っぽく見えて、少し憧れていた。
そんな一方通行な関わりだ。

複数の運動部を掛け持ちして、あちこちで活躍していたらしい。
それはそうだろう。中学女子であの身長は、圧倒的に有利だ。
高校でもそれは変わらないだろうし、これからも私と関わることはないだろう。そう思っていた。

だから、私が入部届を持って文芸部を訪ねたとき、先輩がいることにひどく驚いた。
あの先輩が、文化部の、それも私と同じ文芸部だなんて、思いもよらなかった。
あれだけ運動部で活躍していたんだから、体を動かすことしか興味ない人だと、勝手に思っていた。

文芸部に入部したあと、しばらく経ってからそのことを先輩に言ったとき、「失礼な、アタシだって文芸少女だぞっ?」と、笑っていた。

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先輩は、自称文芸少女だ。
いつも細めている目は、本の読みすぎで目が悪いからだと言っていた。
高校では運動部に入らなかったのも、その影響があるかららしい。
眼鏡をかけるか、コンタクトをつけたらいいのにと伝えると、「眼鏡は似合わないし、コンタクトは恐い」と言う。
子どもっぽい理由に心の中で苦笑しつつ、自分はコンタクトだと伝えると、「やっぱり?すごいね!」と爽やかな笑顔を返された。
コンタクトごときで、すごいも何もないだろうと思う。
だいたい、やっぱりってなんだろうか。
そんなことをつらつらと考えていたせいか、その日は本を捲るペースが、いつもより遅くなってしまった。

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文芸部の活動は、部室代わりの教室に集まって、各々好きな本を読むことだ。
自分で何か書きたい人は書いてもいいし、読むだけの人もそれだけでいいという、緩い活動である。
かくいう、私は後者の立場なので、この雰囲気はとてもありがたい。
その代わりというわけではないが、教室は授業などでも使われる場所なため、私物なんかは置いていけないのが不便だ。

とある日、先輩が読んでいる本が妙に目についた。
表紙を見ると、私が中学のときに一番よく読んでいた詩集だった。
先輩にその本について聞くと、「アタシの一番好きな本なんだ」と少し恥ずかしそうに答えてくれた。
私もその本が好きだと言うと、「そっか」とはにかんでみせてくれた。

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先輩は意外と「はにかみ屋さん」だ。
口調は元運動部らしく明朗快活なのに、私に笑いかけるときは控えめな笑顔になる。

そんな先輩は、本を読むときに表情がコロコロと変わる。
読んでいる内容は関係ないようで、数学の教科書を見ているときでもコロコロと表情を変えていた。
そのことを本人に聞いてみたら、「リラックスしたいとき、わざと顔に力を入れて、それから弛めているんだ」と言っていた。
よく分からなかったが、私も真似をしてみたら、「なんでいきなり変顔してるのっ」と思いきり爆笑されてしまった。

理不尽だと憤慨していると、「貴女はいつも通り、背筋をピンと伸ばして本を読んでる方がカッコいいよ」と目をまっすぐ合わせて言われた。

なんだか恥ずかしくなってしまい、そのあとはずっと本から目を離さなかった。

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先輩は、目力がすごい。
視力の話ではなく、視線の話だ。
目は口ほどに、と言うが、先輩は視線に感情がよく乗る。

あるとき、私が同級生とメッセージアプリでやりとりしていると、先輩の視線を感じた。
どうしたのか聞くと、「だれと、なんの話をしているのか気になったの」と言う。
同級生と休日にカラオケに行く約束をしていたと答えると、なんともうらめしそうな目で私を見てきた。

まさか、先輩も行きたいのかと思ったが、さすがに違うだろう。
もう一度、どうしたのか聞くが、無言でやっぱりうらめしそうな視線をこちらによこす。
念のため、先輩もいっしょに行くかたずねると、「ううん、いいの」と返してくる。

なんなのだろうか、首をひねっていると、「あのさ…2人で今からカラオケ行かない?」と先輩が誘ってきた。
私が戸惑っていると、「ごめん、今のナシ!」と言って、そのまま部屋から出ていってしまった。

去り際の先輩の横顔は真っ赤で、私もつられて同じくらい、真っ赤になっていた。
やりとりを見ていたはずの文芸部のメンバーが、何もなかったかのようにスルーしてくれたのが少し複雑だった。

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文芸部のメンバー達は、私を『おきにちゃん』と呼んでいる。
あの『先輩』の『お気に入り』だから、『おきにちゃん』らしい。
あだ名は別になんでもいいが、先輩のお気に入りとはなんだろうか。
仲良くさせてもらっているが、あくまでも部活の先輩後輩の範疇だと思う。

そう先輩に話したら、「そうだね」と短い返事とともに苦笑を返された。
先輩は悩むそぶりを見せつつ、「なんていうか、みんな勘違いしてるみたいだけどね?」と私の耳に顔を近づけながら言う。

「私が貴女に気に入られたいんだよ?」

その言葉の衝撃に、私は完全に呆けてしまった。
先輩が?私に?気に入られたい?

先輩を見ると、いつの間にか読書に戻っていた。
読んでいる本は、中学のとき私が好きだった、あの詩集だった。

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高校一年生の春はあっという間に過ぎていった。
思い出すことは、どんな本を読んだかと、先輩と何を話したか。そんなことばかりだ。

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先輩は三年生、つまり受験生だ。
夏休み前からは、部活中に参考書を開いている姿も見るようになり、週の半分は塾に行くからと、部活を休むようになった。

大変だな、と他人事のように思ったが、自分も再来年には同じ立場になる。
あまり想像できないが、そのときはやはり本から離れて、ああやって机に向かい続けるようになるのだろうか。

先輩の姿を眺めながら、そんなことを考えた。

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夏が過ぎ、秋は印象に残らないまま、冬がやってくる。
いや、印象に残っていないのは季節ではなく、この頃の曖昧な生活そのものだろうか。

夏休みが明け、しばらく経った秋口に三年生は部活を引退し、本格的な受験勉強に専念するようになった。

先輩と話す機会がなくなり、春頃に比べると、なんとなく本を読むペースも落ちてしまった。
そのせいか、時間が進むのは遅く感じるのに、記憶は薄くなっている。

そんな日々は、まあ、つまらないものだった。

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冬休みが間近に迫ったある日、帰ろうとしたところを先輩に呼び止められた。
廊下などですれ違えば挨拶くらいは交わしていたが、話があるなんて珍しい。
先輩と話すのもずいぶん久しぶりだと思いつつ、用件を聞く。
「ちょっと早いけど、クリスマスプレゼントを渡したいなって」先輩はそう言って、紙袋を私に手渡した。

私が恐縮していると、「たまたまかわいいのを見つけて、貴女にあげたくなったの。お返しとかはいらないから、使ってくれると嬉しいな」と早口で捲し立てるように言い、そのまま去ってしまった。

残された私は、とりあえず中を見てみようと紙袋を開けてみた。
中身は、かわいい小鳥のモチーフのブックマークだった。

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冬休み中は久しぶりに読書が捗った。
夏ごろから貯まっていた未読の本もほとんど消化することができたのは、先輩からもらったブックマークのおかげだろう。
本に挟むたびに、先輩のことを思い出してなんとなく楽しい気持ちになった。

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年が明け、短い冬休みが終われば学年末までも、すぐだ。
あっという間に三年生は自由登校となり、先輩の姿も見かけることがなくなってしまった。

クリスマスプレゼントのお礼をしなければと考えていたが、受験勉強の邪魔をするわけにもいかず、すっかりタイミングを逃してしまった。
このまま先輩が卒業すれば、私との接点も無くなってしまうだろう。

私がまごついている間にも、時間は進んでいった。

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2月も半ばを過ぎたある日の放課後、なんとなく気分がのらなかった私は、部活をサボり、家に帰ろうとしていた。
すると、ちょうど校門を出たあたりで先輩にばったりと会った。
たまたま用事があって、学校に来ていたらしい。
ちょうどいい、チャンスだ。
私は先輩をお茶に誘った。先輩は忙しいだろうに、ふたつ返事で了承してくれた。

先輩を誘ってやって来たのは、学校からそう離れてはいない個人経営の喫茶店だった。
注文を適当に済ませ、他愛の無い話をし始める。
だらだらと先輩が身の回りで起きたことを話せば、私は最近読んだ本の話をする。

気がつけば外は暗くなっており、どちらともなくそろそろ帰ろうかという雰囲気になった。
私は鞄に入れていた包みを取り出し、先輩に渡した。
「なんだろ?なんのプレゼント?」と言いながら開けようとする先輩に、バレンタインのチョコだと伝える。
包みのリボンにかかっていた手を止め、先輩は私に目を合わせると、「嬉しいな、ありがとうっ」といつものはにかんだ笑顔を見せてくれた。

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「すっかり暗くなったね。お家まで送ってあげるよ」
「いえ、悪いですよ」
「いいの、楽しかったから、そのお礼だよ。ね?」
「…じゃあ、無理のないところまでお願いします」

「あー、もうすぐ高校も卒業かあ、実感ないなあ」
「そうなんですか?」
「うーん、気持ちはまだまだ若いからねえ」
「なんですか、それ」
「いや、本当に。まだまだ子どもだから、アタシ」
「先輩は大人っぽいですよ」
「んーん、身体がでかいだけだよ。中身は子どもが背伸びしてるだけ」
「そんなこと、ないです」

「…アタシはね、貴女の方が大人だなって思うよ」
「私?」
「実はね、中学時代の貴女のこと、よく見てたの」
「え?」
「図書室で本を読んでたでしょ?アタシ、その姿に憧れてたんだ」
「憧れて…?」
「こう、ピンと背筋が伸びてて、オシャレな装丁の本を開いてて」
「…」
「外で部活してると、よく見かけてね。年下なのに、すごくカッコよく見えてたの」
「そんな、ただ本を読んでただけです」
「それだけなのに、カッコよかったんだよ」
「…」

「ホントはね、高校で文芸部に入ったのも、貴女の影響なの」
「…」
「大人っぽくて、カッコよい貴女みたいになりたいなって」
「…」
「そしたら、同じ学校に入ってきてくれて、いっしょに本を読めて、話ができて」
「…」
「楽しかったな」
「…私も楽しかったです」
「ありがとっ!」

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三年生の卒業式の日。
私の学校は、一年生は卒業式には不参加ということになっている。
私は、家でゆっくりと本を読んでいた。
ふと、手元にあった小鳥のモチーフのブックマークを手に取る。
先輩は今日で卒業だ。
前日まで見送りをするか迷ったが、私は結局行かなかった。
先日の話が気になってしまい、気恥ずかしくなっていた。
しかし、先輩が卒業したら、私との接点はまた無くなってしまう。
そう考えると、体がソワソワとしてくる。
時計を確認する。ちょうど式が終わるくらいの時間だろうか。
私はさんざん迷いつつ、出かける準備をし始めた。

学校に着いたのは、思ったより遅い時間になってしまった。
卒業式はとっくに終わっており、すでに帰ってしまったのだろう、人はまばらに残っているだけだった。
先輩の姿は見えない。やはり遅かったのだろう。
そのままUターンして帰るのもどうかと思い、私は思いつくまま、文芸部の教室へ向かった。

扉を開けると、教室に先輩がいた。
先輩は窓際の席に座り、本を開いていた。その本は、例の詩集だった。

私が入ってきたことに気がついた先輩は、本から顔をあげる。その顔は泣いていた。

「あっ、ちょっと待って」先輩はそう言って、持っていたハンカチで急いで目元を拭った。
泣いてたんですか、と聞くと、「ううん、ただの花粉症だよ」と答える。
そして、誤魔化すように、「貴女はどうしたの?忘れ物?」と聞いてくる。
私は手に持っていた、小さな花束を先輩に向けた。
「これ、蓮華草の花?」先輩は花束に目をやりながら、呟くように聞いてきた。
卒業祝いに、急いで用意してきた、そう答えると、「そっか、ありがとう」と言って受け取ってくれた。
「蓮華草って、この詩集にも出てくる花だね」先輩は、自分たちにピッタリの花だと喜んでくれた。

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「どうして、まだそんな顔してるんですか?」
「花粉症だってば、ほら、お鼻も真っ赤でしょ」
「先輩は花粉症じゃないですよね」
「…」
「じゃあどうして?」

「…寂しくて」
「卒業が?」
「ううん、これから先、貴女がいなくなるのが、寂しいの」
「私がいなくなる?」
「うん」
「…どちらかというと逆じゃないですか?」
「アタシの視点だと、そうなんだよ」
「そんなもんですか」
「うん」

「…別に、メッセージでやりとりしたり、またいっしょにお茶に出かけたりすればいいじゃないですか」
「ダメだよ、アタシが行く大学って遠いし」
「ちなみにどちらでしたっけ?」
「───」
「あ、本当に遠い」
「それに、中途半端にメッセージなんてしちゃったら、さらに寂しくなっちゃうよ」

「先輩って、重い女だったんですね」
「そうだよ」

「…わかりました」
「?」
「私もそこ受けます」
「え」
「そしたら、寂しくないですよね?」

「約束しましょう。2年後、またいっしょの学校でお話するって」
「約束…」

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この日は、卒業式の日に相応しく、雲ひとつない快晴だった。

窓から差し込む太陽の光を浴びて、先輩の顔が明るく輝いて見えた。

鼻の頭を真っ赤にして、目尻に涙を溜めて。

私が一番好きになった、先輩のかわいい泣き顔だ。



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