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『まちがいさがし』と発達凸凹


『まちがいさがし』
歌:菅田将暉 作詞・作曲:米津玄師 

まちがいさがしの間違いの方に
生まれてきたような気でいたけど
まちがいさがしの正解の方じゃ
きっと出会えなかったと思う

ふさわしく 笑いあえること
何故だろうか 涙がでること

君の目が貫いた 僕の胸を真っ直ぐ
その日から何もかも 変わり果てた気がした
風に飛ばされそうな 深い春の隅で
退屈なくらいに何気なく傍にいて

間違いだらけの 些細な隙間で
くだらない話を くたばるまで
正しくありたい あれない 寂しさが
何を育んだでしょう

一つずつ 探し当てていこう
起きがけの 子供みたいに

君の手が触れていた 指を重ね合わせ
間違いか正解かだなんてどうでもよかった
瞬く間に落っこちた 淡い靄の中で
君じゃなきゃいけないと ただ強く思うだけ

君の目が貫いた 僕の胸を真っ直ぐ
その日から何もかも 変わり果てた気がした
風に飛ばされそうな 深い春の隅で
誰にも見せない顔を見せて

君の手が触れていた 指を重ね合わせ
間違いか正解かだなんてどうでもよかった
瞬く間に落っこちた 淡い靄の中で
君じゃなきゃいけないと ただ強く思うだけ

https://lyricjp.com/ats/a05c7bf/l04bac0h

歌というものは、気持ちを代弁してくれるから気持ちいいよね。

たくさん過去を恨んだ。もっと早く気づいていれば。
あの時こうしていれば。もっと違う未来があったんじゃないか。
こんなに苦しむことはなかったんじゃないか。
なんで。どうして。

以前まではずっと、過去オール善だと思って生きていたのに、
今回ばかりはどうしてもそう思えなかった。

発達障害は才能?贈り物?
凸を伸ばそうってそんな急に言われたって、27年間自分の完璧主義(ASD特性)に疲れながらも欠点を直そう直そうとしてきて、このままで良いはずが無い、生きていくために変わらなきゃいけない、と終わりの見えない自分改革をそれでもずっと続けてきた。

毎日毎日、自分を変えるための情報ばかりインプットしてきた。
他人といるときは基本擬態(過剰適応した状態)した自分だった。
無理やりポジティブ転換をして思考を捻じ曲げがんじがらめでやってきたんだよ。それを今更なんだ。ふざけんな。

そうこうするうちに蓄積されたネガティブな記憶(ワーキングメモリの関係上?ネガティブな思考ばかりが記憶に残りやすい)はこれからも消えないんだよ。反芻(過去の情景が当時伴った感情と共に目の前に繰り返し現れる現象)し続けるんだよ。

ただただくそ真面目(マニュアル思考)に努力してきただけなのに、あんまりではないか。
もっとわかりやすく変人だったらよかった。わかりづらいところで、ずっと・・・

言ってもしょうがないことを言うのは嫌いだ。こんなのは私らしい思考ではない。それなのに特性(ロジカル思考)すら乗り越えてやってくるこの感情はなんなんだ。

noteで、Instagramで、Twitterで、抱えきれない気持ちを吐き出し、同じ境遇の人たちに出会い、なんとか乗り越えようとしている最中である。

ただ一つだけ事実として納得できるのは、今の自分じゃなかったら、出会うべき人に出会えなかっただろうということだ。

退屈なくらい何気なく傍にいられる人が自分にとってどれだけ貴重な存在か。

正しいか正しくないかなんてどうでもいいけど、私の凹にはまる凸は決まっているということだ。

今後どうするのかは正直わからないけど、正解になろうとすることはもうやめようと思う。

凹は凹なりに、凸だけを求めたい。例えそれが手に入らなくても、凸を求める凹でいることがきっと私らしい。わかる人にだけわかればいい。

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