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建築の本義

世界にはサントリーニ島(ギリシャ)、コルマールの旧市街(フランス)、サンセバスティアン通り(スペイン)をはじめとする美しい街並みが数多く存在する。

日本でも北海道の小樽運河、石川の金沢、京都など美しい街並みはたくさんある。

街並み。

それは住む人の日々に満足感を与え、訪れる人の心を揺さぶる。

Nocturne第4週目のテーマは『建築』ということで、思ったことを書いていきたいと思います。笑


建築とはなんだろうか。伊東忠太氏による「建築の本義」という著作によれば

「建築とは善美である。善とは科学的条件の具足で美とは芸術的条件の具足である。」

という。芸術的条件はなんとなく意味する所がわかるが、科学的条件とはどういうものなのか分かりづらい。

ので、自分なりの解釈で理解していきたい。

建築物とはなんだろうかと考えてみると二つの側面が浮かんだ。ひとつは「人間が暮らす」という側面、もうひとつは「街の構成要素である」という側面だ。

モニュメントなどの例外はあるものの、大方の建築物は人が生活をするために建てられているし、街を構成しているのでこの二つの側面を併せ持っていると言えそうだ。

この観点から建築の科学的条件とはヒトという動物が生活するのに適しているかという条件であると考えた。

芸術的条件とは建築物の持つ芸術性の高い装飾、さらには建築物を街の一構成要素と捉えた時に芸術的であると言えるか、といった条件であると解釈した。

帰納法的に考えると、芸術性の高い建築物は一般的に外的圧力が大きい場合に建てられやすいようだ。

権力による統制という面では金沢のような大名の城下町は理路整然としている。また環境による圧力という面では1番合理的であるような建物に収束し白川郷のように統一感のある街が作られる。

日本はヨーロッパの国々と比べて、建物を建てる際の条件が緩いという。ヨーロッパでは景観を壊さないように高さや色などが厳格に定められているのに対し、日本では特定の地域を除いてそのような基準が低いために各々が好きなように建物を建てた結果、雑多な街並みになることが多い。雑多な街並みは嫌いじゃないが、僕の場合芸術性の高い街に住んだほうが精神的に満足する。

しかし芸術性の高い街ではしばしば生活に不便な場合が多いと聞く。部屋の間取りが昔のままで狭かったり、床暖房などの最新設備がなく寒かったりするようだ。ホームステイしたイギリスの家も寒かった。

暮らす人間の幸福を求める上では科学的条件と芸術的条件どちらかに偏りすぎても良くなさそうだということだ。

建築における物理的な豊かさと精神的な豊かさ、その両方が高められて初めて理想の建築と言えそうだ。

だがやむを得ず欠点だらけの家をつくってその中に不愉快を忍んで生活しているのが大多数、と著者にあるように実際に100%の満足感を感じながら生活している人は少なくないようだ。


とここまで書いてきて、結論として何が言いたいのか分からなくなってしまったので終わりにします🤦


ただ理想の建物を建てるには金がかかるのはっきりしてそうなので将来頑張って稼がないとなあと思います。あ、空き家でもいいです笑

では。

















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