置いていかれる悲しさと引き換えに得る束の間の安堵
私は大学で非常に短期の任期で雇われている研究者だが、今年度で任期が切れるため、次の職場を見つけなければならない。元々、次のポストを得るまでのつなぎのポストであるため、出ていくことが前提となっている。そのため、全国の大学の公募に応募しているところだが、今のところ次の新天地は決まっていない。
ところで、私には同じタイミングで採用された同僚がいて、有期雇用研究者の悩みや苦しさを共有していた。彼女も昨年度は次の職場が決まらず、今年度も私と業務を分担しながら働いてきた。
つい先日、上司から「来年は〇〇(同僚の名前)がいないけど、引き継ぎは大丈夫?」と言われて、びっくりした。どうやら、次の職場が決まったらしい。そう言えば、先日、彼女が珍しく私の研究室に来て、雑談をしたことを思い出した。何か言いたげな様子だったから、その時に伝えようとしたのかもしれない。
同僚の新天地が決まって喜ばしいと思う反面、まだ決まっていない自分に対する情けなさ、苦楽を共にした同僚に置いていかれる悲しさ、先を越されたことへの悔しさ、いまだに自分には伝えられていないことへの不満など、マイナスな感情も押し寄せている。比率で言うと、喜ばしさ:マイナス感情=1:9だ。彼女から報告があったときに、笑顔で祝福するにはもう少し時間が必要だ。
しかし、心の中では安堵を感じてもいた。同僚と私の任期は今年度で切れるが、一人であれば来年度も雇ってもらえる可能性があるからだ。だから、私がどこも決まらなくても、とりあえず来年度も今の職場に居続けることはできる。でもそれは束の間の安堵に過ぎない。今の職場にいつまでも居られるわけではない。しかも来年度は同僚が抜ける分、二人分の仕事が私一人にのしかかってくることは明白だ。私も一刻も早く出ていかなければ。