口下手と口上手
今日、注文していた本が届いた。その本のタイトルは『口の立つやつが勝つってことでいいのか』である。ほぼタイトルで買うことを選んだと言ってもいい。
昔から感じていたのは、話上手な人には脚光が当たりやすいということである。それは当然のことではあるのだが、それに対して違和感を感じることもある。以前、元受刑者の人がパーソナリティを務めるラジオ番組を聴いたことがある。元受刑者としての経験談を交えながら、出所後の困りごとについて話すという番組だ。そのパーソナリティの男性は話上手で、自分の気持ちを言葉で表現することがうまかった。彼が語る時、元受刑者の声を代表するものとして発言することになるが、おそらく大多数の元受刑者は、彼ほど口達者ではなく、自分の気持ちをうまく表現できない人たちだろう。そのため、彼が果たして元受刑者を「代表している」と言えるのか疑問が生じてくる。本当に出所者のことを知りたければ、もっとたくさんの、そして口下手な人たちも含めて話を聴くべきなのだろう。
口上手であることを手放しに称揚できない理由は他にもある。口上手な人たちはどの世界でもプレゼンスを高めている。私自身、コメント力を高めたり、うまく説明できるように努力しなければと思いつつも、口上手な人たちに時としてごまかされているのではないかと感じることがある。口上手であることが必ずしも良いことだとは思えない。口上手であることを自分の能力が高いことだと勘違いしている人もいるのではないか。言辞を弄してその場をやり過ごすことが得意なだけの場合もあるのではないか。
一方、口下手な人間は批判にうまく答えることができないがゆえに、それを恥じ、思い悩みながらも解決策を考える傾向があるように思う。誠実な人間であることの条件は、もしかすると口下手であることかもしれない。