花屋の花と道端の花
比較的大きめの駅にはだいたい花屋さんがある。華やかで色とりどりの花が並んでいる。雨の日の鬱々とした日は、こうした花を見るだけで少しは気持ちが明るくなる。
コロナ禍では会社に行くこともままならなくなり、時々運動もかねて近所を散歩するようになった。不思議なものでこれまで目に入らなかった道端に咲く花に気づくようになった。花屋の花も美しいけれど、道端の雑草の中で花を開かせている野草も美しい。
こういう仕事をしていると、とかく華やかなものに目が行きがちだ。例えば、有名経営者が出した本は読まねばとなる。例えば、有名経営者が読んで感動した本があればすぐさま読んでみようと思う。
でも、最近はちょっと変わってきた。華やかな世界の人たちは何でそれが成り立っているのかということに意識は回らない。絶えず同じような人々を惹き付け、だからこそ同じような人たちに囲まれた世界で生きている。利益と刺激でみれば、あるようでない刺激を求めた結果、利益の世界で生きている。
道路は、多くの人が見ていない時間帯に舗装されている。当たり前のように歩いている道路は名も知れぬ誰かがメンテナンスをしてくれている。こうした人たちがいてその上で快適に歩けているのに、なかなかそれに気づこうとはしない。
要は価値観が変わってきたのかもしれない。「できるだけ近く」ではなく、「できるだけ遠く」、「できるだけ浅く広く」ではなく、「できるだけ濃く狭く」。道端で可憐に咲く野草の花たちは、有名人といるよりも有意義な時間を与えてくれる。
それこそ、大事にしたいものだ。
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