推しの子最終話を読んで思ったこと
毎週連載の度に読んでいた作品が最終話を迎えた。
ヤングジャンプ代くらいは思ったことを書いていく。
ネタバレしかないのでよろしく。
まぁ何というか風呂敷を広げて、読者が色々想像を巡らせてしまったなと。
あの最終話から何を学ぶべきなのだろう。
そもそも漫画はエンタメなので、楽しめればそれで良いというのはあるかもしれないが、終盤は(どんな展開になるんだろうと思いこそ巡らせはしたが)物語的には楽しめはしなかったので、この部分も地味にダメージが入っている。
大将!推しの子の復讐抜き一丁で!!
有馬かなを始めとするラブコメ部分は一体何だったのだろうか。
黒川あかねもあれだけアクアと共に進んでいこうとしていたのに結果がこれ。
「推し」ブームを巻き起こした作品なのに、主人公が亡くなってしまうという残酷さ。
最終話付近で葬式やる漫画って何なんでしょうね。
一大ブームとなった作品なのに最後がこれだとどう三期をやるのか、今から負け戦を始める気なのかそんなことが心配になってしまう。
どう考えても作者がこの物語を終わらせたくて仕方がなかったのではないかと思ってしまう。
普通これだけヒットする作品であれば編集も続けたいはずで、キャラクターコンテンツとしても売り出していきたいはずで。
それらを上回って唐突に最終編が始まり、終わっていった。
前世にまつわる物語も回収までしたので終わりは近いとは思っていたが、それにしても急だった。
まぁ思い返してみれば初めから登場人物死んでばかりだったので、最初からそういう話だったでしょと言われると返す言葉はない。
ただアクアがその命を引き換えにしなければ、本当にそこまでしなければカミキヒカルを止めることができなかったのか。この辺りの記述が弱いので、どうしても無駄死にの印象が強いものとなっていた。
ルビー達のその後を守るための行動であったはずなのに、「その後」の描写も少ないため、アクアが守った大事さも伝わりづらい。
カミキヒカルはまるで悪魔のような存在であった。何人もを悪の道に誘い、しかしながら行ったことは教唆止まり。
明らかに殺ってそうなシーンもあったが……。
「タイトルが【】で覆われているのは劇中劇であることを示している!」という期待はあっけなく崩れ去った。
「この物語はフィクションである」の始まりは一体何だったんだ。
157話でアクアとルビーが「なんにもない日、すてきな日」を過ごしていてこのまま終わるといいなという思いと、ここでこの話が入ってくるということはこの後何かが起こるという不安がないまぜになった。
意味深で居続けたカラスの子って結局何だったんだろう。
せっかくアクアが復讐を止めて、外科医を目指して有馬の気持ちに応えようとしていたのに、結局未来を守るためにこの行動を取ってしまった。
虚しさが大きいのと、160話でナイフを出してからが長かった。
161話最後に崖から突き落とされるカミキヒカルの「やめろっ!!おいっ!!」は読者の声でもあるらしいね。
162話〜164話も沈んでるシーンが長かった。リアルに。
残りの話数がカウントダウンされている中でここに尺使うのか……といった諦めの感情に。
この作品は、「推し」よりも「嘘」がテーマになっていたような気がする。
そんな印象だった。アイの嘘から始まり、ルビーの嘘で締める。
【推しの子】というより【嘘の子】じゃん。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?