母のこと
文章を綺麗に書こうとすると、うまく進まないので思いついたことをとにかく書いた。ここで書いたことは別の機会に、書き直すかもしれない。
今年の6月に母親を癌で亡くした。母は2月にステージ4の胆管癌と発覚し、6月に亡くなった。
当時、38歳だった私は今年の1月には子どもと一緒に実家のある茨城県鹿嶋市に帰省して元気な姿を見ていたので、2月に姉から母親の入院の連絡を受けた時は、あまりに突然すぎて動揺した。
入院の連絡を受けた時は癌の話ではなく、黄疸が酷くて緊急入院したとかそんな感じの連絡を受けた気がする。母親は健康な人でこれまで病気が原因で入院したことはなかった。
母、父、私、姉2人の家族5人で主治医から説明を受けた。先生は母が胆管癌という病気に侵されていて、治療をしなければ余命は2年と言った。癌宣告を受けた母親の様子は状況を飲み込めていない様子だった。
母の癌には化学療法と手術療法が選択肢としてあるけど、場所的に外科による手術は困難で化学療法しか選択肢がなかった。病気の完治は無理で、延命する対処しか取れないことを意味する。化学療法で癌の進行を抑えられれば、余命が2年くらい。
病院から真ん中の姉の車に乗って実家まで送ってもらった。車内では母が癌になったことについて会話をした。母は9人兄弟の末っ子で親戚で癌になった人はいないので、遺伝的には癌になる家系ではないと姉も私も思っていたので、なぜうちの母なんだろうとお互いに嘆いた。その時に泣いていた気もするけど、記憶が曖昧。
母は3月から通院しながら化学療法を始めた。母親と一緒に住んでいる父や、両親と近くに住んでいる姉に母のことは任せて、自分は普段と変わりない日々を過ごしていたので治療中の母の様子は知らない。
2月に一度母に会ったあと、次に会ったのは5月だ。1泊2日で長女と私の2人で5月11日、5月12日と実家に滞在した。母は元気ではなかった。普段は2階で父親と同じ部屋で布団で寝ていたけど、1階に治療用に用意されたベットで生活するように変わっていた。私が1泊2日で滞在していた時間は、母ほとんどベッドにいた気がする。医者の説明で化学療法は食欲が落ちるとは聞いていたけど、母は食欲が大分、落ちていたみたい。
自宅に戻った翌日、真ん中の姉から母が脳梗塞で病院に入院したと連絡があった。母の日の翌日のことだった。仕事から戻ってきた父が倒れている母を見つけて、病院に連れて行ったらしい。
今にして思えば、家族の誰かが常に家にいる状態にしておけばよかった。そうすれば、仮に脳梗塞になっても早期発見できて、軽い後遺症ですんだかもしれない。というか余命がいくらもないのだから、残り時間をもっと大切に一緒に過ごせばよかった。
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