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「書くことは、考えること」について

古賀史健さんの「20歳の自分に受けさせたい文章講義」、今日3回目を読み終えました。好きなものは音楽も映画も何回でも見る傾向があるのですが、この本も同じです。また繰り返し読むと思います。

実は私、この本を読みながら何回か泣きました。
文章術の本ですから泣く要素は多分ないはずなんですよ。
だけど「これでいいのかな?」って悩んでいた答えが全部書かれていた気がして、胸のつかえが取れたのです。

感動ポイントは何箇所かあるので、複数回に分けて書いてみます。
本当はこうやって、本の感想を書くこと自体も憚られました。何かのきっかで書いたご本人の目に触れることもあるかもしれない。するとどうしても「拙い感想をすみません。」という気がしちゃうんです。
でも書きます。「書くことは、考えること」ですから。


「書くことは、考えること」

最初にして最大の好きな箇所です。

”書く技術”を身につけることは、そのまま”考える技術”を身につけることにつながるからである。
仕事や人生で困難にぶつかった時、どんなに頭を抱えて考え込んでも、堂々巡りをするばかりでまともな答えは出てこない。
ところが、悩みを文章に書き起こしていくと、意外な答えが見つかる。

古賀史健 「20際の自分に受けさせたい文章講義」より


これは、私がライターになった動機と重なります。
もともとはブログを書いていて、ライターになりました。

ブログを書くとき、書く前は気づきもしなかったのに、いざ書いてみると
「こんなことで悩んでいたんだ」
「私はこうしたかったんだ」
「これが嫌で怒っていたんだ」

自分の内面に気づかされる、こんな経験を何度もしました。
しっかり文章を書くって、思考を整理することなんです。
だから文章にして整理し、振り返ることで自分の悩みに気づいたり、願望がわかるんです。

「文章を書くって面白いな」
「自分が気づけなかったことに気づかせてくれる」
「書くことをもっと極めたい!」
「よし、ライターだ」→今に至るわけです。



もう少し詳しくいえばこうです。
ある時期から自分のことをブログにたくさん書くようにしたんです。この過程の中で父のこともぜーんぶ書いた。そしたらずーっと閉じ込めてた感情が溢れ出して、気づいたんです。

父が抱いた無念な思いを繰り返したくない。
後悔して何かをやり残したまま人生終わりたくない。

これが父の死を通して感じたことであり、私が生きる上で一番大きな指針です。このこと自体も書いて思い出すことで、忘れていた感情に気づけたんです。
後悔しないためには自分が何を思い何を感じているのか、考えられないといけません。「考える技術」つまり「書く技術」が必要なんです。
書くって、何かを熟考するのに最適な方法ですから。
とはいえね、そんな理由でライターになっていいのかな?この本に出会うまで何度も思っていました。


無類の読書好き。
国語の偏差値が神がかって高かった。
作文、論文などのコンテストで賞を総なめ。

文章を書く仕事につく人って、こうでないとはいけないと勝手に思っていたんです。

私は本を読むよりは、音楽を聞いていた時間の方が圧倒的に長かった。
学生時代得意だったのは英語と世界史で、国語は可もなく不可もなくの成績だった。
小学生の時に読書感想文とか、俳句で表彰されたことはある。だけどそんなの大昔の話。

ライターになる前は、事務職でビジネス文章を書く仕事を10年していました。この経験が今かなり役立ってはいる。とはいえ、ライターとはまた別ですからね。


だから、いわゆる「わかりやすい物書きになる理由や経歴のない私」が、「書くことで人生の答えがでるから」って動機でライターを志すのは変なのかな?こんな風にずっと考えていました、そしてこれは密かなコンプレックスでした。
でもこうして、でかでかと書かれているではないですか!

「書くことは考えることだ」と。
そうです、これがやりたいから書く仕事をしてるんです。

強く背中を押していただけた気分になりました。
ここで第一の号泣ポイントが来たわけです。

と、こんな感じで書評ではなく感想ですが、続きもまた書いてみます。

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浜田 綾(コトバノ):ライター
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