若気の至りで甘利俊一先生に喧嘩売った話
甘利俊一先生といえば、情報理論やニューラルネットワークなどの研究で名高い。今日の人工知能の理論の礎を築いた人物といえるだろう。東京大学を退官後、理化学研究所の脳科学部門長を長年務め、文化勲章も受賞されている。
さて、時は1995年。私はまだ高校3年生で、甘利先生は東京大学教授だった。甘利先生は雑誌にエッセイを寄稿された。なんでも、中学生のころ、鶴亀算の問題集を購入して熱中したが、1問だけ穴が100個ぐらいある超大作があり、それがどうしても解けなかったという。
まだ子供で、分別もなかった私は、3時間ほどで解答を作成して編集部に送り付けたのだった。私の解答は翌々月の紙面に掲載された。
私は雑誌をすでに紛失してしまっていて、今となっては、どんな問題だったかわからない。
エッセイの掲載は、「クォーク」講談社, 1995年11月号。解答の掲載は同, 1996年1月号と記憶している。最近になって、愛知県立大学の図書館に所蔵されていることが分かったが、私の健康状態ではもう見に行くことは叶わないだろう。
あと、編集部からノベルティをいただいて、それは未開封のまま残っているが、埃をかぶって真っ黒になっている。とても写真をアップすることはできない。
だいぶ後になって、仕事で甘利先生の弟子だった方(お名前は失念)の研究室(理化学研究所)に出入りする機会をいただいたのだが、当時の体調はとてもひどいものだったので、その話題を出すこともなく契約を満了した。
健康さえ、それなりだったなら、もう少し活躍したところを甘利先生にお見せできたかもしれない。残念でならない。雑誌に掲載されたのは穴に数字を埋めた結果だけだったので、解法について意見を交わしてみたかったとも思う。返す返すも残念なことだ。