日本語は二つの言語なのかもしれない
SNS上でも日本語が読めてない…という批判もそうですが、なぜ文章でのコミュニケーションが難しいのかという点も触れていこうかなと。
日本語っていうと、我々の母国語であり、世界で見ても難しい言語の一つに数えられるほど複雑怪奇な言語だと思う。それもそのはずで日本語は「ひらがな」「カタカナ」「漢字」という3つの基礎パーツを使い分けており、それらの組み合わせで文章を作成するからだ。
でもそれだけではなく、なぜ日本人でも日本語が難しいのかというのを、新しい視点から見てみるとしっくりくる部分があったので解説してみたい。
まずはこの口語と文語という視点から日本語に着目してみると非常に興味深い点がいくつかあります。の前に口語とか文語が何??って人に向けて…
口語とはいわゆるおしゃべりするときに使われる文体の事。まぁ喋る時ってそんなに堅苦しい言葉を使わんやろ?そうそう、そういう喋り方の事を口語って言うんや。書いても違和感はないけど、文章として説明するのにはちょっと変に見えるわな。
文語とは文章を書く時に使われる言葉遣いのこと。文章語や書き言葉とも表記される。公的文書や本なので使われるような文章形態、このNOTEの記事なども、どちらかというと文語としての側面が強い。
さて、ここまで説明してお気づきの方もいるかもしれませんが、今回私が言いたいのは、この日本語口語と日本語文語が別言語ではないのか?という点です。
言語に詳しい人ならダイグロシアとか言語変種とか、そういう厳密な区分で説明できるのかもしれない。自分自身は言語学は知識が乏しいので、専門家による突っ込みは常時受け付けております。(また時間ある時にでも言語学をかじってみよう)
本題はここです。なぜ別言語足りえるのか?という事を自分の視点から書いてみたいと思います。
まずは、口語と文語では文法そのものが違うのではないか?という視点です。そもそも古来の日本でもそのような形式であり、学校でもややこしい古文の口語文法と文語文法を習った事はあるはずです。今でこそ、どの世界でも識字率は上がっていますが、識字率が高いと言われる日本ですら大昔は文字が書ける人が少なかったそうです。
言語において文章を読んだり書いたりするという行為自体が、そもそも難しいという点が挙げられると思います。
その前提を踏まえた上で、さらに日本語の文語と口語の落差を考えてみますと…私たちは普段日本語での会話で、日本語の主語述語といった基礎的なルールを破壊して会話している事が往々にしてあります(主語を抜いたり、文法無視の表現をしたり)
例えば英語は口語と文語の差はそんなになく、かなり文法などをカッチリ守った状態で会話が行われている傾向があります。
「感じたぜ、俺たちはよ…永遠ってヤツをな…」というような口語は口語としては何も間違っていません(厨二っぽいですが…)ただし、これを文語として書いた場合は、意味が伝わらなくもないですが、非常に変な形式になってしまいます。
我々日本人が「日本語の文法」として認識しているものは全て、文語文法であり口語文法ではないという点がミソなのかと思います。
そして人と会話しているときは、文語のルールをベースにしながらも、特定の状況やシチュエーションによって文語ルールを無視しても伝わるという日本語口語文法を使用しており、しかもこの日本語口語の文法は普段日本語を使っている我々も分からないレベルで「文語文法の省略あるいは破壊、口語用の単語や表現の使用」というルールにのっとっている状態です。
ややこしい事に文語文法と口語文法はその2つの基礎となる文字やルールを共有しており、口語と文語をつねに切り替えたり、表現の中に組み込んだりできるという柔軟性も見られます。
これにより文語と口語が入り乱れたり、文語文法だけで形成されるような文章になると、文語の習熟が甘く口語だけでしかコミュニケーションを行わないような人は、上記のような2パターンの文章に対して「口語文法だけ」での判読を試みようとする傾向があります。
難しい文章に対して逆アセンブルに失敗して、意味や意図、感情を読み違えてトラブルになるケースが多いのかなと推測しています。そして注目したいのがこの間違えた時に起こる逆アセンブルのミスの内容、それに伴う状態が下記の症状に似てませんか?
まさにこの動画を見てもらうと分かるような、他言語同士で起こりそうな解釈や言語感情による摩擦を、まさかの日本語内で引き起こしているのではないか?という仮説に至ったわけで…SNSなどでの炎上もまさに、他言語のニュアンスの覚え間違いで起こるようなすれ違いから来ているなという風に感じたんですよね。
僕らが日常的に使っている日本語の真のすがたというのは、そもそも日本人が冗談で言う「日本語って難しい」っていう解釈をぶっ飛ばした更に先の難易度なんだろうと思う。
下手に同じ文字、ルールを共有しているためか、同じ習熟度が前提で交流が行われてしまうという危険性があるという…
つまりSNS上ではこの口語と文語、そしてそれぞれの習熟度の差によるミスマッチを見事に引き起こしちゃっているといっても過言ではないでしょう。同じ日本語なのに、炎上だとか問題が頻発するその真相としては、口語と文語はほぼ別言語レベルで違うものだという認識でも大袈裟ではない…という感想が出てきます。
口語と文語で大きく違う言語は存在していて、それがアラビア語だったりします。アラビア語も習得が難しい言語として有名ですが、その背景にはこの口語と文語の差が良く挙げられます。
日本語もその一種とみていいのかなと感じています。口語と文語での差というのは痛感していますし、アラビア語の難易度に加えてひらがな、カタカナ、漢字という3種の文字を使っているためです。さらに明確に違うなと思うところは、口語と文語を絶え間なく切り替えて使う事も可能な異常さです。言うなれば日本語口語で会話してる時に、次の句で急にドイツ語を喋ってるくらいのレベルだと思います。
そして二言語で構成されているという前提ならば、SNSなどで言いたい事が伝わらない伝わりにくい点も納得できるというものです。2つの言語を織り交ぜて使われていた…と解釈するならば、お互いに理解できない状態で炎上するのも納得がいきます。
この仮説が正しいと思ってはいませんが、こういう解釈をできる点を含めて、これこそが日本語であり、その異常さと面白さなのではないでしょうか?
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