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旅行と私と編プロ

ひょんなことから編プロに入る

 大学卒業して最初の就職先は、旅行雑誌の編プロだった。
 本当はディスクユニオンがやっているカルチャー系書籍の出版部門とか、大学のとき読んでいた芸術・音楽に関する学術書とかそういう本を作れる編集者になれたらいいなと思って応募したものの受からず、ひとまず出版業界に入れたらと思って、卒論を持って面接に行ったらたまたま受かったのが、その編プロだった。
 今思えば大学時代、旅行とはほぼ無縁だった田舎から上京した貧乏学生(ウチの家庭は貧乏ではないけど、下宿組だからおのずと旅行に行く経済的・精神的余裕などなかった。あと私自身の興味もそれほど)が、旅行雑誌の編プロを受けるのも「なんでそこ選んだんだ?」と当時の自分にツッコみたくはなるのだが、まあ当時の私はそんな感じだったのだ。

当時作っていた紙面

三十路を過ぎて旅行の楽しみを知る

 1年弱で編プロを辞めて、そこからバイトしたり転職したり私なりに頑張った神奈川での6~7年を過ごし、31歳の年に地元の静岡に戻ってきた。
 現在は地元の会社で事務職で働きながら、8~17時のほぼ残業ゼロで1日を終える生活。会社カレンダーによる出勤日はあるが、以前の会社に比べると土日祝は比較的休みが多く、いわゆるライフワークバランスが整った生活を送っている。
 地元に戻るまでの1年ほどは毎朝だるく肩こりや便秘に悩まされていたが、身体は正直。高い基礎化粧品を使ってもちっとも治らなかった肌荒れが今はすっかりなくなり、腸の調子もいい感じ。なんなら寝る前に肩こりをほぐすヨガすらやる時間的余裕もある。年収は前職よりは下がったが、ボーナスの支給はある会社でなんとか貯金もできている。
 仕事に関しての刺激やモチベーションは正直物足りなさを感じる(これはこれでまた別の記事に)が、それだけ生活と金銭面に余裕ができた今は連休や夏休みに泊まりがけの旅行に行く余裕もできた。

2023年の夏、岐阜へ旅行に
岐阜市の長良川で初めて鵜飼を見た

自分で作った誌面を手に10年ぶりの茨城へ

 「るるぶ茨城」を作ったのが新卒1年目の2014年11月。それから時は経ち、2024年になった。あんこう鍋が美味しい11月に再び自分の足で、今度は心から楽しめる旅行マインドを胸にその地を訪れてみようと思っている。
 たまに脳裏に浮かんでくるカメラマンさんと二人で取材した茨城のお店や景色。それは地元に帰ってきて、平穏である意味少し退屈な日々を2年ほど過ごしたいま、より刺激的できらびやかな思い出として蘇ってくる。思い出補正で美化されている部分もあるかもしれないけど。
 そんなことを考えながら、旅の計画を立てる今日この頃。旅行と私と編プロの話でした。

あんこう鍋が私を呼んでいる・・・

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