自転車系兼業作家への道。
自転車系兼業作家のはらくろと申します。
現在はTOブックス様の協力もありまして、『フェンリル母さんとあったかご飯~異世界もふもふ生活~』という作品を出版。
現在、2巻まで出させていただいています。
今回は、『自転車系兼業作家の道』というネタでお話をしようと思います。
私が自転車をどうやって始めたか、の話ですね。
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あれは、三年前の三月でした。
私はとある持病を患っており(ご想像にお任せします)、主治医の先生より運動をするように言われました。
今は沖縄に住んでいますが、その昔は、東京で徒歩→電車→徒歩の通勤が普通でしたので、歩くのは苦手ではありませんでした。
ですが、私は昔の古傷が両膝にあったため(満身創痍ともいいますねw)、沖縄でもポピュラーな運動のひとつ、ウォーキング(〝歩け歩け〟と呼ばれていますね)は私には無理なものだったんです。
そういう場合は、プールで歩くという事も選択にあるのでしょうけど、わざわざ会員になってお金を払ってまで運動をし続けるのはちょっとと思いました。
あれこれ調べてみると、自転車は膝に負担のかかりにくい運動になるとあったのです。
ただちょっと初期投資がかかります。
ホームセンターで売っているような一万円から買えるような、いわゆる軽快車(ママチャリ)と呼ばれる自転車では運動するモチベーションに繋がりません。
そこでスポーツ用の自転車(ロードバイク)に出会ったという訳だったんですね。
沖縄ではアメリカ本土と同じで『車は下駄代わり』と呼ばれる位の自動車社会です。
大げさな例えで言うと『100メートル先のコンビニにも、車で行く』とも言われる位にですね。
私も沖縄に移住してきてかなりの時間が経ちます。
その間、移動はほぼ車でした。
そのため、運動と言える程の意識的な運動は全くしませんでした。
ただ、内地(沖縄では本土のことをこう呼びます。北海道でもそうらしいですね)では歩くのが普通でしたので、運動しないとはいえ2キロ程度は歩けるんです。
そこで最初の壁がありました。
家からたった2キロの位置にある場所へ自転車で走り、折り返して1キロも行かない場所で、力尽きて動けなくなりました。
30分くらいでしょうか、それだけ経っても全く動ける感じがしませんでした。
後で調べると、自転車アニメの『ろんぐらいだぁす!』本編にも出てきた〝ハンガーノック〟だったんですね。
血中の糖分を使い切ってしまって起きる『ガス欠』現象ですね。
自転車を始めて、今年で三年になります。
真夏の炎天下の中、走り続けるという無謀な事をして、日焼け上等! と頑張ってはいました。
紆余曲折はありますが数ヶ月も経つと、糸満市への往復で40キロを始めに、残波岬、万座毛、糸満から与那原へ抜ける有名なコースなどを経て、気がつけば名護までの往復、約130キロを一日走れるようになってしまいました。
2キロで倒れていたあの頃が、懐かしくも思いますね。
水分の補給も考えていなかったのと、ペダリングというものを考えていなかったのが、当時の敗因でしょうね。
ペダリングについては、後に話そうと思っています。
現在私は、雨天以外は自転車通勤です。
片道2キロ、往復で4キロの短い距離ですが、慣れてしまうとあっという間ですね。
信号待ちで二輪車と並ぶ事があります。
私は冬場は長袖のインナー(今はおたふく手袋さんのボディタフネス)の上に、半袖のTシャツを重ね着。
ただ、二輪車の方々は、もこもこのジャンパーを着てるんですよね。
私は夏場とあまり変わらない格好。
たまーに、ぎょっとされる事もあったりしますね。
そりゃそうでしょう、沖縄でも真冬に半袖みたいなものなんです。
私からしたら、暑くないの? と思ったりもしないでもないんですけどね。
おしまい。