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私は沈黙を放棄する

長い間、このことについて書ける場所を探していたし、書くタイミングが来るのを待っていた。
長年の沈黙の後、この苦しみを墓場まで持っていく訳にはいかないという思いから、私はこれまで何度もブログなどを書き始めては、思い出すことや書くことに伴う大きな苦痛のために投げ出すということを繰り返してきた。

そして今、 #MeToo#TimesUp というキーワードが、私の背中を強く押してくれている。

あまりの出来事に、作り話としか思えない人も居るだろうし、そうでなくても不幸自慢かよという感想しか持てない人も多いだろう。

だけど、不幸自慢の何が悪い?
そう開き直ることも大切だ。
私はこの文章を、書くことによって救いを得ただとか、不幸と苦難を乗り越えることで成長しただとかのポリアンナ的教訓で飾る気はない。
あなたはこの文章を読んで何かを学ぶかもしれないし、気分を悪くするだけかもしれないが、どっちに転んでも私の責任ではない。

私は沈黙を放棄する。
私の身に起こった出来事は、自分ひとりの胸の内にとどめておくには轟々しすぎるものだ、背負いきれないのだからぶちまけて何が悪い?

性暴力、セクハラ、性的虐待…あなたはこれらの言葉からどういう光景を思い浮かべるだろう。
殴る蹴るの暴行を加えて被害者の自由を奪う加害者と、必至で抵抗しながら大声で助けを求める被害者という構図だろうか。
事件後に暗く落ち込んで涙ながらに辛い体験を告白したり、度々起こるフラッシュバックに取り乱す被害者像だろうか。

しかし私が経験したものを含め、多くの性犯罪の風景はそうではない。
心の中で嫌だ嫌だお願い止めてくださいと唱えながらも、実際には抵抗らしい抵抗すら出来ない被害者は多い。

そして多くの被害者が、事実が知られることを恐れ、努めて傷ついた様子を見せないように振る舞い、または自分が傷ついているという現実すら受け入れることが出来ないでいる。

小学4年生のあの時、私の心の中もそんな状態だった。
小学校4年生の夏、私は当時通っていた音楽教室の個人レッスンで、指導者であったはずの男に強姦された。
そしてその後20年、誰にもその出来事を打ち明けず、涙も流さなかった。
しかし私の内面は深く傷つき、その傷は人間性を大きく歪めた。

元々、困難の多い家庭に育った。
長い闘病の末に私が小学1年生の時に亡くなった父、家族の看病と自分の仕事と育児の3本を掛け持ちして疲れ果てていた母、私が小学3年生の時に精神疾患で不登校になった姉。
そんな環境で育ったこともあって、私は大人の要求に応えることと大人の都合に合わせることを自らに強く課す子供だった。
只でさえ困難の多い家庭なのだから、ワガママを言ったり問題を持ち帰ってこれ以上母の手を煩わせてはいけないという意識を常に持っていたし、親や教師からワガママを言わず気遣いの出来る良い子として扱われていることを、自尊心の拠りどころともしていた。
今振り返ると、そんな私の従順さは私を食い物にした加害者にとって都合の良いものでしかなかった。

私はその年の3月に小学校入学前から続けていた音楽教室の入門コースを卒業し、その後も何か音楽を続けさせたいという母の意向のままに4月からギターを習い始めた。
入門コースと同じ女性指導者の元でピアノの指導を受けるなど、他に選択肢もあった中、ギターを選んだのは単なる気まぐれだった。
それまで通っていたのは、音楽教室自身が所有するビル内の、ガラス張りの防音壁を備えた教室で行われるグループレッスンで、指導者は女性。
そして今度通うことになったギター教室は、薄暗い雑居ビル内の、鋼鉄の防音扉の向こうにある一室で行われる個人レッスンで、指導者は男性。
この時の選択を、私は後になってどれほど後悔したか。

音楽の個人レッスンでは楽器の構え方などを手取り足取り指導するためにどうしても身体的接触が避けられない。
しかしその指導者のボディタッチは、まだ10歳だった私にさえ「そんなところまで触る必要ある?」と思わせる程執拗だった。
あの男は恐らくその段階で、私が獲物として相応しい子供かどうかを吟味していたのだろう。
ボディタッチの多さを疑問に感じながらもそれを口に出すことが出来なかった私は、大人の指示や意図に従順かつ無抵抗な、イージーな獲物と理解されたかもしれない。

しばらくすると、行為はボディタッチと呼べる程度では済まなくなった。
その男が一線を越えて、つまり自分の性器を触らせるという、法的に見ても完全に犯罪の領域に踏み込んできたのは、7月ごろだった。
その男は私の背後に立ち、ギターのネックを握っていた私の左手を取って何か別のものを握らせた。
抵抗どころか疑問も挟まない私の態度に気を大きくしたのか、その男は私に目隠しをし、何かを私の口の中にねじ込んできた。
温度と感触と臭いから、それが恐らく人間の身体の一部であることは理解できたけれど、本当は何なのか、その男の目的が何なのか、全くわからないままその男の指示に従うしかなかった。

同じことが次の週もあった。
その時も、抵抗や抗議はおろか感じた疑問を口に出すことも出来ず、文字通り、されるがままだった。
私は口の中に出された液体をトイレで吐き出してから、帰路で自問自答を繰り返した。

これは音楽の指導に必要なことか?
ーNO
これは私にとって不愉快な経験か?私は屈辱を感じているか?
ーYES
これは徐々にエスカレートしているのではないか?
ーYES
あの男は私の無知に付け込んで、私を食い物にしているのではないか?
ーYES, 恐らく
あの男のやっていることは、他の大人が見ている前でも堂々と行えることか?
ーNO, 恐らく

セックスという言葉も、性犯罪や虐待といった概念も知らない10歳の子供が乏しい知識と勘を頼りに導き出した答だが、大筋では間違ってはいなかった。

その時の私は教室内で起こったことを、率直に母に話すことは出来なかった。
それが犯罪行為であるという考えはまだ頭に浮かんでいなかったし、自分がされたことを、何故それほど不愉快に感じているのかを含めて的確に説明して理解させる自信もなかった。
くだらないことで不平不満を言うワガママな子と思われることを恐れてもいた。

代わりに思いついたのが、これ以上あの男に同じことを繰り返させないための対抗策だった。
あの男の行為は、音楽教室という密室であの男と私が1対1の状況下にあることを利用して行われている、つまり他の大人が見ている前では堂々と行えないことであることは確信していた。

だったら、教室に他の大人を連れて行って、それを行えない状況を作れば良い。
それは正面から「やめてください」「何故そんなことをするのですか」と抗議するより賢い方法のように思えた。
10歳前後の子供が音楽の個人レッスンを受ける際に、その保護者が付き添うのは全く不自然なことではない。
私の母は比較的時間の自由が利く仕事に就いていて、平日に家に居ることも多く、実際に姉の通院や進路相談のためにそれらの時間を利用することが多かった。
それもあって、練習について来て欲しいと頼むだけなら出来そうな気がした。
母が無理なら、家族同然の付き合いがあり、半年前まではグループレッスンに通う際の送り迎えをしてくれていた友達の母親に頼むことも考えた。
しかし、そのアイディアは母の都合により却下された。

その代わりに母が提案したのは、姉が付添うという案だった。
当時の姉は中学3年生で不登校の真っ最中、人付き合いを嫌い、精神科で処方された薬を何種類も飲んで、不機嫌を撒き散らして家庭内の雰囲気を暗くする存在であり、5歳下の私にとって頼りになる存在どころか気遣いを強いる厄介な存在でしかなかった。
良い案ではないと思ったが、こんな姉は頼りにならないという本音を口に出すことが躊躇われて、反対できなかった。

当日、姉は予想以上に頼りにならなかった。
私は姉にレッスンが行われる室内にまで入って来てくれることを期待していたのに、姉はその部屋の扉の前で足を止めたのだ。

ー姉に、部屋に入ってもらうよう頼んだ方が良いのか?
ーでも姉が部屋に居れば変なことは起こらないはずだ
ーそうなると、姉は私の依頼の必要性を理解できずに、機嫌を損ねるだろう
ー心を病んでいる姉の機嫌を損ねるのは避けたい
ーそれ以上に、姉も危険に巻き込まれる可能性もあるのではないか?
ーやっぱり母か他の大人について来てもらうべきだった
ーそうすれば部屋に入るように懇願することも出来たのに
ーやっぱり姉を頼るべきじゃなかった、私一人なら練習に行くフリをしてどこか他の場所で時間を潰すこともできたのに

その部屋の重い防音扉の向こう側へ姉が消える際の僅かな時間に、10歳の私の思考力はフル回転した。

私が援軍を連れて来たことと、その援軍が結局は役立たずだったことがあの男の犯罪心理にどう影響したかは解らない。

その日、その部屋で起こったことは、私の予想をはるかに超えていた。
死を覚悟するほどの痛みに襲われ、その男の目的は私を殺すことなのだと錯覚もした。
事が起こっている間、私はずっと目隠しをされていたが、その男が勝ち誇ったような表情をしているのが脳裏に浮かんだ。
私は強い痛みと恐怖と屈辱を感じながら抵抗も抗議もできなかった。
事が終わり、身体の自由を取り戻したとき、自分がまだ生きていることが不思議で仕方がなかった。
先週までと同様に、私はこの時もまた、傷ついた様子を見せないよう怒りや恐怖の感情をもらさないように努めながら退室した。

扉一枚隔てた場所で30分間ほど待っていた姉は、室内で異変があったことに全く気付いてなかった。
帰り道では姉との間に会話はなかった。
姉が心を病んで以来、会話が途切れることは珍しいことではなかった。

帰宅後、今度こそ母に報告してギター教室を辞めなければと思った。
この時の私はセックスという言葉も強姦や虐待という概念も知らず、私は自分の身に起こったことの意味を正確には理解できていなかったが、このまま通い続けると命すら危ないという危機感だけは持っていた。

それでも、心の準備は必要だった。

どうすれば言葉に詰まらず言うべきことを全て言い切ることが出来るのか、どう説明すれば理解してもらえるのか、私が嘘をついてないと信じてもらえるのか。
自ら望んで習い始めたはずのギターを、たった数ヶ月で辞めることを咎められるのでは、という心配もあった。

母に打ち明ける前に、私は胸の中にシナリオを用意した。
まずはギター教室を辞めたいと切り出せば、母は私の飽きっぽさを笑うか怒るかするだろう、決して同情的な態度はとらないだろう。
母に笑われるか怒られるかしたら、カウンターで怒れば良い、キレても良い。
そうすれば言い難いことを最後まで話しきるエネルギーが湧いてくるだろう、この説明が難しい事情を最後まで話しきるには勢いが必要だ、泣いたって良い、私には泣いても良い理由がある。

10歳の子供が覚悟を決めてここまで周到に用意したシナリオは、しかし殆ど水の泡となった。

「お母さん、私ギター教室辞めたい」
「そう」

会話はそこで途切れ、私は泣くことも出来ず、本題へ進むきっかけを失った。
言い難いけれど聞いて欲しかったことは何一つ切り出せず、私の胸の内にとどまることになった。

元々、困難の多い家庭に育った。
長い闘病の末に私が小学1年生の時に亡くなった父、家族の看病と自分の仕事と育児の3本を掛け持ちして疲れ果てていた母、私が小学3年生の時に精神疾患で不登校になった姉。
もし事件のことを知れば、姉は自分を責めるだろう、そしてそれは心の病気にひどく障るだろう。
私は、途切れた会話に未練を感じ、母の注意と手間を独占している姉に強い嫉妬を抱きながらも、あの恐ろしい出来事を胸の内に仕舞い込んで、忘れる努力をしようと決意した。

ーもう終わったことだ
ー奪われたと思っていた命が残っているだけで充分じゃないか
ー身体はまだ痛むけれど、すぐに治るだろう
ー我が家は姉の病気で大変な状況なんだ
ー多くの課題を背負っている母をこれ以上煩わせる訳にはいかない
ー既に心を病んでいる姉にこれ以上悩みのタネを与えてはいけない

強調しておかなければならないことだが、私は性犯罪被害者であることを長い間誰にも打ち明けなかったので、いわゆるセカンドレイプ的な被害には遭っていない。
加害者や捜査関係者、あるいは本来自分の味方である筈の人たちから、沈黙を強いるような圧力や、気にしなければいいという無責任な気休めの言葉をかけられるような経験はしていない。
それでも被害に遭っている真っ最中にさえ「加害者に対して傷ついた様子を見せてはいけない」「加害者の悪意に気付かなかった振りをしなければいけない」と思ったし、実際にそのように振舞ってしまった。
そして事件後は、起こったこともそれに伴う感情も自分の胸の内に仕舞い込んで沈黙することを、誰に強要されるでもなく選択した。
自分の内面が深く傷ついていることにも、それが一生の傷になりえることにも気付かないまま、忘れる努力をすれば忘れられると自分に言い聞かせた。

数ヶ月の間、その出来事に関する記憶は私の胸の内で大人しくしていたが、その後、自分がされたことの意味を理解し、傷ついている自分を発見する瞬間がやってきた。

きっかけは、有名な学園ドラマの再放送だった。
そこでは、中学生の女子がクラスメイトと恋愛関係になり、様々な困難を乗り越えて在学中に妊娠出産するという筋書きが、美談として描かれていた。
性教育は全くと言っていいほど受けていなかったが、私はこのドラマの中の女子中学生と同じことが自分の身体に起こっていると理解した。

私は再び死を意識した。

ー私も妊娠させられたかも、いや妊娠しているに違いない
ー私がこの年齢で妊娠出産したらどうなるだろう
ーこのドラマは作り話だ、現実は周囲から歓迎されるはずがない
ーそれより、10歳の身体は妊娠出産に耐えられるのだろうか
ー母に打ち明けたらどう思うだろう、姉の病気が発覚した時のように暖かく支えてくれるだろうか

死ぬしかない、という気持ちが私にとり憑いた。
最大の理由は性犯罪被害とその結果としての妊娠の恐怖だが、それだけではなかった。
7歳の時の父の死、姉の精神疾患、そしてそれらに振り回される母、私にとって家庭とは子供には不相応な気遣いを強いられる場所であり、気の休まる場所ではなかった。
母は私を悩みのない気楽な立場の妹として扱い、病気の姉への気遣いを求めていたが、私自身も疲労困憊していた。
学校でも友人に恵まれず孤立し、ひとりで過ごす時間は死ぬ方法とタイミングについて考えてばかりいた。

ーどこか高いところから飛び降りるなどして死ねば遺体は解剖されるだろう
ー遺体から妊娠が発覚すれば、同時に死を選んだ理由が理解されるだろう
ー自殺は許されないことが、これだけの事情があれば責められはしないだろう

私の味方になってくれる人を探すことも、妊娠しているか否かを調べることも何もかもが億劫で、死以外に悩みと苦しみから抜け出す方法はないように思えた。

しかし結局のところ、自殺を実行に移すことは出来なかった。
まともな性教育も受けていない10歳児が自分なりに知恵をかき集め、初潮も迎えていない少女なら強姦されても妊娠の可能性は低いのではないかと思えるようになり、5年生になる頃にはこの時点でお腹が前に出ていないなら妊娠していなかったということだろうと納得できるようになった。

強烈な希死念慮からは脱したものの、心の傷から解放された訳ではなかった。

中学から高校時代は小学校時代より友人に恵まれたが、それは自分の心の傷の深さに気付くきっかけにもなった。
恋愛や異性についての感じ方や考え方において、私と周囲の女子との間には大きな溝があった。
好きな男の子が居るとか誰と誰が付き合ってるとかの話題で友人たちが一喜一憂する様子は、私にとっては理解出来ないだけでなく嫌悪の対象ですらあった。
私はスポーツをしていたので生理の際にタンポンを使っていたが、ひとりの友人がそれを使うと処女膜に傷がつきそうで怖いと言った時、既に膜を失っていることを打ち明ける訳にもいかず、ただその友人の悪気ない一言に傷ついた自分を哀れむしかなかった。
友人達は私に対して「ちょっと変わった子」というレッテルを貼り、それ以上深く追求することは避けてくれたが、私はあのときの出来事が心の傷となって私の人間性まで歪めていることが自覚できた。

私は男性に対して、特に男性教員に対しては異常な警戒心を抱いていた。
中学や高校では指導や授業の準備など、男性教員と2人きりになる機会が日常的にあったが、私はそのたびに強く警戒し、身構えた。
部屋の外に大勢の人の声がしている間は、例えその教師があの男と同じ悪意を持っていたとしても今はそれが起こるときではないと思えて安心できたが、静まり返った校舎の中の一室で2人きりになると、内心はパニック状態だった。

ー手に届く範囲内に武器になるものはあるだろうか
ー来るなら来い、今度こそ反撃してやる
ーもう2度と無抵抗のまま終わるもんか

何の間違いも犯していない善良な男性教員に対して、毎回こんなことを本気で考えていた。

深い溝は、私と友人の間だけでなく、私自身の心の中にもあった。

誰かを好きになった時、そして心が通じた時でさえ「私はこの人に相応しくない」「私には恋愛をする資格がない」という絶望が、恋心が生み出す幸福感を上回った。

全てを打ち明けてしまいたいと思うことはあった。
だけど、どこから説明すればいいのだろう。
心を病んでいる姉が居ることは友人たちに話したことがないが、強姦被害について語るなら姉に関する説明も避けて通れないのではないか。
誰が作り話だと疑わずに最後まで聞いて、聞き終わった後も私に対して今までと同じように接してくれるだろう。
父の死、姉の精神疾患、妹の性的虐待被害という偶然と呼ぶにはあまりにも奇異で、平均的な家庭像からかけ離れた不幸の連続する家族の物語を。
私自身も、何故自分の家庭だけが連続した不幸に見舞われるのか不思議でならなかった。

でも今はその理由が解る。
ニュースで触れる児童虐待やDVは、多くの場合貧困家庭が舞台だ。
インフルエンザが平和な街でなく戦場の兵士の間で流行ったのや、ライオンが狩りをする際に、健康な個体より弱ったり親からはぐれたものに狙いを定めるのと同じ理由だ。
最も卑劣な性犯罪は、ハリウッド女優や大企業社員ではなく、無知で無防備でものを言えない立場の少年少女を狙ってなされるのだ。
私を犯したあの男が、私の家庭の事情を事細かに把握してたとは思えない。
しかしあの男は様々なテストを通じて、私が大人の理不尽な暴力に抵抗しないイージーな獲物であることを見抜いていた。
子供に対する性犯罪の多くは、保護者とか指導者といった子供に対する優位な立場と、それに対して子供が寄せる信頼が悪用される。
もし事件後に子供が訴えても子供ゆえに正確に証言することが難しい、例え内容が正確であっても子供ゆえに信頼され難いといった残酷な現実すら、加害者は最初から計算に入れてことを優位に運ぶための材料にしている。

私の場合、最も身近な母と姉にこのことを打ち明けるまでに20年の歳月を要した。
そして顔と本名を知らないネット上の知人やカウンセラー以外の、現実世界での知人友人たちに知らせる勇気はまだない。

予想通りと言っていいのかどうか、たった数ヶ月前に始まった #MeToo というハッシュタグが、今や不毛な詰りあいの舞台になりつつあるのは知っている。
多くの加害者が、そして傍観者が、黙っていたり遠慮がちに訴えるだけの被害者を見て「大して困ってるように見えない」と言って無視し、今度こそと思って大声で訴えたら「訴え方が大げさで気に入らない」と言って叩く理由にする。

一体どうしろと?
私たちがどれだけ慎重に言葉を選んで身を削るような思いをしてまで辛い経験を打ち明けても、聞く耳を持たない、または逆ギレして私たちを黙らせようとする人たちは居る。
そんな彼らの言い分に配慮してさらに言葉遣いに気をつけたり声のトーンを下げたりして、一体何が得られる?
私たちが完全に黙るまで彼らも攻撃をやめないのは解りきってるのに。

どうせ彼らとの対話が成立しないなら、大声で叫ぶ方が良い。
そうすれば、同じ被害にあったもの同士が繋がり、心の傷を乗り越えるための手段を共有し、将来の犯罪予防のための情報の蓄積に繋がる。
だから私たちは努力して、ネット上に、職場に、友人達の輪の中に、男も女も協力して、それが可能な場所を築き上げなければならない。
困難な課題であることは解っているし、私の中では未だに人類が生き延びる限り男女の格差や性犯罪も滅びないのだろうという悲観的な気分が勝っている。
だけど最早それは私にとって沈黙を正当化する理由にはならない。

私は沈黙を放棄する。


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