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ドリー・ファンクJr.

昨年、テリー・ファンクが亡くなり、もうドリー・ファンク・ジュニアにも会える機会はないだろうと諦めかけていた。
しかし、2024年8月23日に開催されるドリーのトークショーがあると知り、迷わず申し込んだので記録しておく。

ドリーもすでに83歳。
会場に入場する際にはかなりよぼよぼした様子で、ステージに上がるときには30cmほどの段差でも補助が必要だった。

しかし、昔から老け顔だったためか、その高身長でスラリとした外見はほとんど変わっていない。
驚くことに、年齢の割には声も大きく、会場中に笑い声が響き渡るほどの元気さ!他の高齢者と比べても、かなり元気!


ドリーはかつてお酒が大好きで、大阪から広島までの移動中に、仲間とともに食堂車の酒をすべて飲み尽くしたという逸話がでた。
20年以上前にお酒をやめてからは、今ではアイスクリームが彼の楽しみだとか。

ドリーとテリーが運営していた「ファンクス道場」は、日本でも多くの名選手を輩出したことで知られている。
ジャンボ鶴田や天龍源一郎、ハンセンをはじめ、数々のレスラーがここから育った。
しかし、その実態は、ただ車のガレージにマットを敷いただけの簡素なもので、練習時には車を外に出してマットを敷き直していたとか。その話には驚いた。


ドリー自身もアメフト経験者で、プロレスを始める前から基礎体力をしっかりと養っていたそう。彼は今でもコーチとして若手選手を指導しており、その功績は計り知れない。
前述の選手に加え、カートアングルもそうだ。
鶴田=レスリング、天竜=相撲、ハンセン=アメフトと彼らのようにスポーツ選手は、基礎体力がしっかりしており、カートの場合は2か月でTVデビューできた。
NWAはアメリカをサーキットしており、シニアがアマリロでは中心的存在だったそうだ。
ドリーは、父シニアから事業を引き継ぎ、プロモーターとしても長いキャリアを持っている。
その中でも、ジャイアント馬場は世界一のプロモーターとして評価した。

トークショーのメインテーマは、やはり弟のテリー・ファンクとの思い出話であった。ドリーは冷静でクラシックスタイルのレスラーであり、一方テリーは感情豊かで激しい動きを特徴とするレスラーだった。
そんな二人だからこそ、タッグコンビとしてのコンビネーションが生まれたという。
ファンクスより前の時代には現在のようなタッグコンビネーションは存在せず、それを築き上げたのがファンクスである。
特に、ドリーが右利き、テリーが左利きという点が、彼らの技の自然なコンビネーションに繋がったのだろう。

確かにロープに振ってからの二人のエルボー、二人の投げ技は彼らの代名詞だ。
ちなみにプロレスの教科書にスピニングトーホールドは、左足にかけるとあるようだが、ドリーの特徴として、右足にかけることにこだわっているとの事。

印象に残るタッグチームとして、馬場・鶴田組の他に、ブリスコ兄弟(ジャック・ブリスコ、ジェリー・ブリスコ)の名前が挙がった。
また、ダスティー・ローデス、テッド・デビアス、そしてディック・マードックといった選手たちも彼の記憶に深く刻まれていた。特にマードックは、コミカルなプロレスでいつも笑わせてくれたそうだ。

さらに、翌日に控える大仁田厚との電流爆破デスマッチ(川崎球場、弟子の西村修と組んで、大仁田、矢口組と対戦)についても言及があった。大仁田との試合では、ドリーは正統派のレスリングを貫き、ラフファイトはしないと強調していた。


トークショーの最後には、ドリーと2ショット写真を撮らせてもらうことができた。ちょうど1年前、新日本プロレスの後楽園ホールで偶然開催されたテリーの追悼式で購入した「テリーフォーエバー」のTシャツを着ていたので、ドリーも「テリーか?」と嬉しそうに聞いてくれた。

私は「イエス」と答え、彼から握手をしてもらった。
その手は大きく、まるで大人と赤ちゃんの手のように差!


またひとつ、プロレスのレジェンドとの思い出が増えた。プロレスファンで本当に良かった。

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