私と摂食障害~今振り返って思うこと~⑨
みなさん、こんばんは。今日は、私の摂食障害の経験を振り返ってみて、今思うこと その9について書きたいと思います。
私と摂食障害~今振り返って思うこと~⑧ ⇩
昨日は、
必死になって取り組んだり、自分にとって有意義な話があったとしても、なかなか続けられなかったり、耳に入らなかったりする時は、もしかしたら「適切なタイミング」ではないのかもしれません。そんな時には「今は、自分にとってそのタイミングではないのでは」と思い直し、グッとこらえてタイミングを待つ、ということも必要ではないかと思います。
ということを書きました。今日はその続きを書きたいと思います。
摂食障害になっていなかったら、気付かなかったこと
6 物事を追求し過ぎない、ということ
みなさんは「痩せること」や「食べること」に関して、もっともっと、という具合にあらゆることを追求しているのではないかと思います。
例えば「痩せること」については3キロが5キロになり、10キロになり、やがて40キロ代、30キロ代をキープ、といった具合に。
例えば「食べること」については、摂取カロリーは1800カロリーが1500カロリーになり、1200カロリーになり、やがてほんの少しのカロリーでも、水さえも摂取することが怖くなる、といった具合に。
私の考える摂食障害とは、ある意味「痩せたい病」なので、体重を減らすことをとことん追求してしまう、摂取カロリーを極力減らしたい、あるいは長時間運動したり異常なまでの過活動をしてしまう、などというのは、摂食障害の症状としては当然だと思います。
それに加えて「完璧主義」や「0か100か、白か黒かのグレーゾーンを許す(認める)ことが難しい極端な思考」などの性格的傾向、あるいはハードルが高い数々の「マイルール」の存在が、あらゆることを追求する姿勢をより強固にし、継続性が生まれてしまいます。
こんなことは、私が言うまでもなく、みなさんも経験上よくお分かりかと思いますが、「痩せること」も「食べること」も追求し続けて、拘って、そして数値に囚われてしまうと、もはや「何のために」痩せたかったのか、ということはどこかに置き忘れてしまって、体重やカロリーを減らすことばかりを考えてしまう、というかそれしか考えられなくなってしまいます。
これは「痩せること」や「食べること」に限ったことではなく、どんなことにも言えるのではないかと思いますが、物事って、追っかけ過ぎると(追求し過ぎると)逆に追いかけられる(追い立てられる)ことになってしまいます。
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例えば、私は家の床に髪の毛が落ちているのがいやで、結構気になってしまいます。1本1本見つけるとその度に拾って捨てているのですが、そのうち部屋に入ると髪の毛が落ちていないか確認するようになるのです。そして、挙句の果ては、髪の毛が落ちているのではないかと気になって仕方がないので、どんなに疲れていても部屋中髪の毛を探し回るようになってしまいます。これでは、部屋をきれいな状態に保ちたい、という気持ちはどこかに飛んで行ってしまい、正に髪の毛に追い立てられているような状態です。ですので最近は、1本1本ではなく、相当数落ちていたら拾う、程度に留めることにしました。
「痩せること」も、始めは自分が体重を減らすことを追求していたのに、追求し過ぎる(し続ける)と、いつの間にか常に体重に追いかけられる(追い立てられる)ような感覚に囚われてしまいます。
「食べること」も、始めはカロリー制限や食事制限だったのに、いつの間にか常にカロリーに追いかけられる(追い立てられる)ような感覚に囚われてしまいます。
それが正に「摂食障害」、と言ってしまったらそれまでですが、私は摂食障害を経験して、物事は追求し過ぎないで、どこかで自分で線を引くことが大切だ、ということに気が付くことが出来たのではないかと思います。
今日もありがとうございます。