『美術の物語』1.不思議な始まり(先史、未開の人びと、そしてアメリカ大陸の旧文化) まとめ

・美術がどのように始まったのか。その問いは、言語がどのように始まったのか、という問いと同じで、私たちには答えられない。

・絵も彫刻もたんなる美術作品ではなく、一定の役割を持つものと考えられてきた。建物が何のために建てられたのかを知らないで、意見を言えるわけがない。それと同じように、昔の美術が何のために作られたのか、その目的を知らなければ、理解は始まらない。

・原始的な人たちにとっては、建物を建てることも、何らかの像(イメージ)を作ることも、実用という点では、まったく同じだった。

・絵も彫刻も呪術の道具として使われたのだ。

・彼らにとって、絵は見て美しいものなのではなく、「使って」威力を発揮するものなのである。

・世界中あらゆる地域で、呪術師や魔術師が、こんな考えで霊力を発揮しようとしてきた。

・こんな奇妙な考え方に私がこだわったのも、それが、現在まで残っている最古の絵を理解する手助けになるからだ。
※アルタミラ・ラスコーの壁画の例示

・これは結局、絵を描くということの霊力を、みんなが信じていた時代の最後の遺品だと考えるしかない。つまり、原始時代の狩人たちは、獲物の絵を描くだけで、そしてたぶん、それを槍や石斧で打ち付けるだけで、本物の動物も自分たちに屈服するだろうと考えていたのだ。

・現代の未開民族の美術も、たいていは像(イメージ)の魔力についての原始的な考えかたと深く結びついている。

・代々伝えられてきた儀式の意味をそのまま受けついで、すっかりそこに入り込んでいるから、一歩身を引いて自分たちの行為を批判的にみるようなことは、ほとんど起こらない。

・こんな話は美術と関係ないと思われるかもしれないけれど、実際には、そういう社会的背景が美術にいろんな影響を与えている。

・そこで大切なのは、現代の基準で美しいかどうかではなく、それが「効く」かどうか、つまり霊験があるかどうかなのだ。

・作るべきものは決まっていて、あとは自分の技術と知識を精一杯つぎこむだけなのだ。

・未開美術もまた、あらかじめ決められた線に沿って作られたが、それでも、作り手には、自分らしい特色を残す余地は残されていた。

・未開美術について語る際に忘れてならないのは、未開といっても、工芸の知識が未開だというわけではないことだ。

・現代との違いは技術水準ではなく、考え方だ。このことを最初に確認しておく必要がある。

・この本を通して私が語ろうとしているのは、美術における技術の進歩の物語ではなく、美術についての考え方や社会的な条件の変化の物語なのだ。

・未開人の作り手にとって、これはたぶんとても大きな発見だった。位置関係がだいたい同じなら、多少変化をつけても顔に見えるのだから、体や顔を作るのに、自分の一番好きな形を、自分の技術レベルに合わせて選べるのだ。
※タヒチの神像・ニューギニアの仮面の例示

・世界のいくつかの地域で、未開の作り手たちは、いろんな神話上の人物やトーテムを装飾的に表現する、手の込んだ形式を発展させてきた。
※トーテム・ポールの例

・美術の不思議な始まりの時期へとさかのぼると、この種の優れた品々にたくさん出会うけれど、それについて正確な説明をすることなど永久にできないだろう。それでもすばらしさに変わりはない。

・コロンブス以前のアメリカについても、その偉大な文明を知る手立てとしては「美術」しかない。美術という言葉にかっこをつけたのは、こういう謎めいた建物や像に美しさが欠けているからではない(なかにはうっとりするような美しいものもある)。楽しみや「装飾」のために作られたという考えで作品を見てはいけないからだ。

・熱帯地域の人たちにとって、雨はときには死活問題になる。雨が降らなければ作物は実らず、飢え死にしてしまう。雨と雷の神が、彼らのなかで強く恐ろしい魔物の姿をとったとしても不思議はない。空にひらめく稲妻は、想像のなかでおおきな蛇となってあらわれた。
※アステカ神話の雨の神 トラロック像の例示

・聖なる蛇こそは稲妻の力を宿しているのであり、その蛇の姿をもとにして雨の神の像(イメージ)を造形することは、理にかなったことではないか。

・初期の文明では、像(イメージ)作りが呪術と宗教にむずびついていただけでなく、文字の始まりとも関係していたことが徐々に見えてくるだろう。

・絵と文字が本当は血縁関係にあるのだということを、ときには思い出してみるのがいい。





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