No.4 君こそ命、シマの命
家ごとにウヮンスィ(豚小屋)があった時代、ブタの世話は主に嫁の仕事だった。
私たち豚族はこう見えても清潔でデリケートな動物である。若い嫁女が真心込めたウヮームン(食事)は一層食欲を増進させる。背中を竹箒で掻いてもらおうものなら失神ものだ。
だが女、いや人の本心は分からない。私に注がれ続けたあの愛の目、優しい母性的視線が突如、年の瀬迫るころ、それまでとは全く異質な暗い恐怖のそれに一変してしまうのだ。
私はあのうっとりした視線の先で煮られ焼かれ、しゃぶりつくされている。その人間の豹変を思うだけで、私は震え上がらざるをえない。従って末裔たちよ、決して人間の情愛を勘違いしてはならない。
不況の年の神頼みなのか。この年の元旦の神社は参詣の善男善女で賑わっていた。中に作業服姿の一団が。土木会社の作業員たちで年始め恒例の安全・繁盛の祈願だという。
名瀬の人、都成植義の 『奄美史談』に次のような記述がある。
「ここに一つの宗教に類するものありき、之れ巫覡ノ所為に異ならずといえども時人之を信じ喜ぶこと甚だし。新に子挙げるもの、土木を起こすもの、必ずまず物、米、肴類を献ず。巫覡は常にト筮を以て吉凶を占し、呪圧を以て病を医す」。
かつて島では土木工事や出産時、ユタに供え物をし神頼みをするのが慣例だったが、その「ユタの呪術行為の中心を占めたのが動物供犠であった」(山下欣一 『奄美のシャーマニズム』)。呪術でブタを犠牲(いけにえ)にするプロセスが小宿に島流しになった薩摩藩士・名越左源太によって詳述されている。
「一家内に病者あれば医師は次として直ちにユタを頼んで咒をすれば、ユタいえるには此病何々の障ありて何等を取り殺すべしとの事なり。依りて豚を殺し身替わりに立てずば病快気すべからずと言えば、愚民驚きて其意に同じ豚を殺し、一家親族を呼んで振舞、片はユタに礼物として遣す事なり」。
ブタの供犠は病気平癒だけではない。秋祭りの一種「カネサル」にも供され、伝染病が流行しても豚を殺し、その血を塗った左縄を集落入口に張巡らせた。
いけにえは何もブタでなくとも蛙でもヘビでもよさそうなものだが、敢えて豚牛を選んでいるのは頬が落ちそうなあの肉片を何とかものにしたいユタの深謀遠慮かもしれぬ。邪推はともかく、愚かな占術で貴重な家畜をたいらげるユタの行為は、薩摩の支配者には断じて許せぬ無法だったのだろう。たびたび禁止例で弾圧している。
だがこのブタの供犠こそシマの精神の核心部なのである。
ブタが農耕だけでなく祭りと結びついていたという話の続きをしよう。
中国ではブタが祭りや葬儀に登場する状況はすでに石器時代に始まっている。さらに現在の奄美・沖縄や東南アジアなどブタを伝統的に食する地域では正月や祭りの際にブタを殺し、豊穰を祈顧し悪霊を払う。
そうした「共食」こそ共同体の人々の精神的紐帯を緊密にする役割を果たしてきたと言える。シマびとたちがともにブタを屠る喜びこそ、私たちが求めてやまない「シマ」の核の核なのである。
南島では大半の家が自家用に豚を飼育、自ら解体した。その捌きっぷりを活写した江戸期の『南島雑話』
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