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No.27 作る人、たたえる人

養豚を廃業した秩父の一五郎翁の島ブタは仙台からさらに北、岩手県境に近い仙北の地に移されていた。

広大な田園広がる田尻、米山町一帯はヒトメボレの産地、東北有数のコメどころだ。加えて古くから養豚も盛んである。せっかく軌道に乗った島ブタ生産を絶やすまじ、とこの地の養豚農家「仙台黒豚会」に橋渡しをしたのは消費者団体「大地を守る会」だった。

仙台黒豚会は「大地」に「美味しく健康な豚肉」を提供してきた実績があった。飼育のこだわりは徹底、飼料中の穀物を百%国産ものにし、密飼いをやめ、ゆったり豚舎でストレスのない豚を育て上げる。主力の仙台黒豚はバークシャーに大ヨークシャーを掛け合わせたものだが、バークシャーの血を75%にして出荷する。「75%は健康な交配、美味さを追求した究極値」と胸を張る。

その戦略意識の高い生産グループに平成十一年、島ブタの未来が託されることになった。まず一五郎翁に心酔する愛弟子を訪ねた。

車のGPS装置はボタン一つで方向音痴をも見知らぬ地の目的地にあっという間に導いてくれる。おかげで道に迷うことがないが、さすがに集落の細道に入ると装置は機能不全になった。

「こっちさ行けば豚舎が見えっから」。

草むしりで畑にいた農婦は腰を伸ばし道案内に立った。

遠田郡田尻町(現・大崎市野尻)大沢字夏梨。田園広がる大沢平野の一角、小さな丘の雑木林の中に一塊の住家群があって、探していた伊藤富美男(50)宅の玄関がデンと門戸を広げていた。

私は先を急いでいた。安い切符で余裕のない旅。その日のうちに幾つかの農家を訪ね、ついでに島ブタを食する消費者の声も聞きたかった。来意を告げ、単刀直入に質問事項をぶつけた。だがその性急さが燗に障ったらしい。

「簡単に取材して勝手に記事を書かれたら迷惑だ。関根先生(一五郎翁)とこさ行って一年勉強して出直せ」。

若い伊藤からお叱りをくらう羽目になった。頑固というのは自信の現れでもある。眉間にまだ不満が残る伊藤はそれでも、地元の農業高校を出て、神奈川県厚木の農家で研究、帰郷して家を継ぐまでの足跡を静かに、やがて熱気で語り出した。

伊藤の青年期を鍛えたのは「農業は二の次、まず人間修練」という厚木の研修体験と、その後に出会った養豚指導者・一五郎翁の熱血、大いなる学説だったようだ。その一五郎翁の傑作・秩父ポニーブラックを初めて見た時の「爪も何もかも真っ黒。これは何だと驚いた」衝撃が島ブタにのめり込む契機になり、ついには豚舎横に豚尿をクロレラで浄化する例の装置まで造り上げた。

コメ、野菜、養豚に取り組む中で、安全性を重視し生産者の努力を評価する「大地の会」に出会い賛同、やがて週に豚十頭を出荷するまでになった。仙台黒豚会の中でも伊藤のこだわりは徹底している。その一徹さが更なる出会いを生むことになる。

この夏、わが家に突然「伊藤農場の島豚一五郎」が届いた。伊藤の要請で豚肉を送ってきたのは東京・武蔵野で消費者組織「愛農普及会」を主宰する金光玲子だった。お礼を兼ねて電話で伊藤との出会いを聞いた。

「高齢になって肉類を敬遠するようになった。ふとしたことで伊藤さんの島ブタに出会い驚いた。格別に美味しい。戦前、南京にいたころ少女の私の仕事は豚を料理することだった。あの頃の極上の味が即座に蘇った」

金光は東京で約三十年間、おいしい食べ物を捜し求め、仲間と取り寄せて分配する職のナビゲーター的活動を続けている。最近のヒットは島ブタで、伊藤農場から毎月一頭を取り寄せて、仲間たちとその極上の味を楽しんでいる。金光は島ブタもだが、伊藤をも「純粋」と誉めた。作る人、食べる人。共鳴こそ味を高める最高のスパイスだろうか。

ぶた27

消費者団体・大地を守る会の橋渡しによって、島豚はかろうじて仙台黒豚会にバトンされ、その理念に共鳴する若手米農家の手で、飼育が試みられる(宮城の農家は秋には稲穂の刈り取りに追われ、息つく暇もない)

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