単身中国に渡るまで2

前回の続き。
初上陸した2004年、上陸即日に過去に書きましたボッタくり被害に会います。
そこから、北京での仕事がスタート。
立上げ時期は、ほぼ休みが無く、現地出張員の中で交代休みで、中々の激務でした。残業時間も150時間超えていて、固定給の課長が、何で俺より貰ってんだよと言っていたのを覚えています。
繁忙期間が終わり、落ち着いた頃に、同じ現場で働く、素敵な女性とめぐり逢います。出稼ぎ中国人で、日本語が全く出来ない人ですが、何故か惹かれてしまいました。それが2004年11月頃。

北京には計2年弱ほど滞在し、次の現場に行く事が決まり(設備立上げ、調整が終わると次の現場へ飛びます)、そのタイミングで、転職を決めました。理由は言うまでもなく、下心です。上に書いた女性と一緒にいたかった。
そんな事は会社に言えず、しっかりした退職理由を考えに考え抜いた結果、漫画家になりたいという理由にしようと思い、その日に日本にいる上司へメール。
すると翌日、上司が北京までぶっ飛んで来ました。到着が夜だったのですが、夜分遅くに宿泊先ホテルロビーで、引き留め話を頂きました。が、決意は固い(振りをして)お話2時間ほどで、諦めて送り出して頂ける事になりました。一時帰国の際に取り寄せた漫画家スクールのパンフレットも良い武器となりました。
余談になりますが、漫画家になりたいとなった理由は、少年期の自慢で、図工で描いた絵で数々の表彰を取りましたし(市の美術館に飾られました)、大人になっても漫画チックな絵を描く事が好きで、ストレス発散に紙があれば描いていました。
しかしながら漫画家になるのは嘘で、裏で語学留学の手続きを済ませていました。
当時の上司には、本当に申し訳なく思っております。
退職前に、最後の現場へ行ってくれと、石川県の現場へ。そこでは2ヶ月ほどで任務完了、晴れて退職と思いきや、有給休暇が60日溜まっており、全て消化しないと退職出来ないようで、2ヶ月ほどニート期間を過ごしました。
ニート期間終了後、お世話になった方々へ退職の挨拶回り。厳しい世界に飛び込むけど、めげるんじゃないぞ、とすごく応援して頂きました。本当に心痛めながらお話を聞いていたのを鮮明に覚えています。
重ねますが、当時の上司Mさん、本当に申し訳ありません。

退職手続きが完了し、2006年3月、北京へ語学留学に旅立ちます。
ここから10数年、本格的に日本を離れ、中国で生活する日々が始まります。

続く

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