スガダイローさんの話

初めての収穫祭ではスガダイローさんにピアノを弾いてもらいたい、と思ったのは、農園を始める前の2016年明けてすぐのことだった。

ちょうどそのころスガダイローさんはFMヨコハマに番組を持っていて、僕はポッドキャスト(?)で毎日繰り返し聞いていた。彼のジャズに対する愛が聞いていて気持ちよかった。その中でも驚かされたのは、彼とアシスタントのノイズ中村さんが自由に話す姿だった。こんな自由な生き方があるのかと僕は衝撃を受けたのだ。

ジャズとお米作りが僕の頭の中でどのようにつながったのかはわからないけど、その衝撃は大きく膨らみ、ある日とうとうメールを送った。実は自分は農園を立ち上げること、そして初めてできるお米の収穫祭で演奏してほしいということを伝えた。あなたは素晴らしいピアニストで、僕の人生に大きな影響を与えているわけだから、一緒に仕事をして皆にもそのことを伝えたいと説明した。ずいぶん勝手な言い分である。だいたい伝えたい皆って誰のことかもわからない。そしてメールの後、名古屋のキャバレロクラブで行われたソロライブを聞きに行ってあいさつした。スガダイローさんも中村さんもラジオのままの自然体の方だなあと思った。僕の方はライブの感想なのか独り言なのかうまく伝わらない話をして立ち去った。

その後数回のメールでのやりとりの中で収穫祭の詳細も決まり、僕はいろいろ忙しくしている間に夏が過ぎ、2016年の10月に収穫祭ライブ当日がやってきた。ありがたいことになじみのバーのマスターが場所を提供してくれた。自分でイベントを企画して、そのお客さんからお代までいただくなんて未経験のことだったから、お客さんが来てくれるのか、僕の提案するフリージャズを楽しんでくれるのか当日まで本当に心配していた。

リハの時間になるとスガダイローさんは前と変わらず自然体で会場に入ってきた。同行は演奏メンバー2人とマネジャーのノイズ中村さん、付き人が2人。ダイローさんはお店のピアノの状態を少しばかり確かめると、とんでもないテンポで指慣らしの練習曲を弾いてリハを切り上げ外に出て行ってしまった。

本番の演奏は東保光さんのベースと福森康さんのドラム。お客さんはすし詰め状態まで入って大いに盛り上がり、イベントとしてはこの上ない盛況だった。アップライトピアノが演奏中に大きく揺れた。光さんは高速で寿限無を唄った。リハで何度も調整していたドラムのフィルもぴったり決まった。田舎の町ではフリージャズは受け入れられないかも、なんていらぬ心配だった。最後までみんな興奮していて、何人ものお客さんが帰るときに、来年も開催してくれと言って帰った。

一緒に仕事をするのは年に1日だけど、ノイズ中村さんとは意気投合した。中村さんはスガダイローのピアノ、芸術性を愛していた。スガダイローを宝物のように扱っていた。芸術家という繊細で獰猛な生き物の魅力を最大限に爆発させることを生きがいにしている姿をみて、自分と相通じるものを感じ、ことあるごとに連絡を取り意見交換してきた。都市と田舎、音楽と農業、お互いの環境は違うけれど、簡単にはいかない世界を自由に楽しく乗り切っていくにはどうしたらいいのか。自分たちが精魂込めて作り上げたもの(パフォーマンスだって農産物だって一緒のことだ)の魅力を伝えるにはどうしたらいいのか。活動を通じてどんな仲間とつながっていきたいのかを何度も話し合った。

その結果、2017年、2018年と津市で収穫祭という名のライブを行い、3回合わせてのべ300人以上のお客さん来ていただいた。大勢のお客さんにスガダイローはじめその仲間を紹介することができた。彼らの音楽を通じて自由にふるまい生きることのすばらしさを提案できたと感じている。

そんなわけでいよいよ、12月13日(木)は東京日本橋にて、僕と中村さんがずっとやりたいと思っていたイベントを行う。お米と音楽のイベント「無限めし祭り」だ。極限まで磨き上げたスガダイローさんのピアノソロと、今年からつじ農園がお米で応援しているcookingsongsのソウルミュージックが聞ける。是非会場にお越しいただき、お米に好きな具材を乗せて無限に食べながら、美味しいものを全身で感じてほしい。口福、耳福、みんなで食べたら楽しさ倍増であることは僕が保証する。

先週のMAZEUMでオープニングアクトはスガダイローだった。法然院の薄暗い蔵の中で、1曲1時間のすさまじいソロピアノを聞いた夜、ダイローさんと京都河原町で深夜まで話した。こんなに長時間話すのは初めてだったかもしれない。別れ際に彼は言った。「今度の無限めし、頼むよ。俺も無限ピアノ弾くからさ」。

みなさんお待ちしております。会場でお会いしましょう。




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