食糧不足を理由に昆虫食を勧めることに関する考察
昆虫食の勧めの何故
様々な方面でこのアメリカミズアブ の蛆虫をはじめコオロギやミールワームなどの昆虫を将来的に人類のタンパク質原料として捉え、「昆虫ビジネス」への大手企業の参入やスタートアップへの投資などのニュースを多く見かける。
その流れを観察するとその源流は世界的な人口増による将来的な食料増産の限界に関する国連機関FAO(Food and Agriculture Organization、国連食糧農業機関)の2009年の予測と近代的畜産や漁業の生産増加に伴なう環境の悪化に関するデータを根拠としていることが多いように見受けられる。
基本的には昆虫の大量飼育に必要なエネルギーと環境に対する負荷は他の動物産業特に畜産酪農のそれと比べて効率が大変によろしく、その上、目新しいかも知れないが世界の様々な地域では実は結構みんな食べてるから安全に生産されていて美味しければ慣れの問題、昆虫食は飢えを無くし世界を救う!というようなトーンで危機回避の有効手段としてこの新昆虫産業を宣伝し新商品を売り込もうとしているようにも見える。
どうしても危機を煽って新商品を売りこまれると、果たして本当にその危機は存在するのか、新商品はその危機を本当に解決するのか、という疑いを持ってしまうのは教育の成果かそれとも自分の性格がねじ曲がっているのか。
ドキュメンタリー「バグズ -昆虫食は地球を救うか-」
そんなニュースを見るたびに以前に観た昆虫食の文化と現在を探りに世界を回るというドキュメンタリー映画『Bugs』のことを思い出す。この映画はデンマークはクベンハウンの「世界のベストレストラン50」で数回第1位に選ばれているレストランNomaのチーフシェフであるレネ・レゼピ(René Redzepi)の元に設立された非営利、オープンソースの味の基礎研究所Nordic Food Labの研究スタッフが主人公で、世界中で昆虫を食べ始める理由について食文化を愛するシェフと研究者目線で問いかけ、ビジネスを取り巻く様々な内情や変わらぬ人間の視点の狭さにややがっかりしてしまう、的な流れだっと思う。
このドキュメンタリーの中で世界の昆虫食を追ったのはNordic Food Labのシェフ Ben Reade と食物研究員の Josh Evans。
シェフである彼らは人間にとっても環境にとっても健康的な食というものは地元で持続的に生産され調理される食材の多様性とそれを支える豊かな生態系に起因する、と考えているようで、彼らは各地で食べられている野生昆虫の多くが知る人ぞ知る的な地元特有の知識とスキルで採取、調理されて、しかも美味い!ということに感激していた。しかし調査を進めるにつれグローバル企業や新興地元企業などが進める昆虫商品開発が単一種の生産性を最優先し場合によっては地元の生態系と人々の生活を搾取し、ないがしろする上で成り立つ植民地プランテーションの手法に強い違和感を感じてどちらかは忘れたが片方が調査チームから降りてしまう。
中でも取り上げられていたバッタ採取の例では夜に高照度の光を利用して虫を寄せる際に、労働している村人たちが皆視力を失っていく、というものもありフィルムの中でも語られていた「このサステイナブルな昆虫を使って、 簡単にサステイナブルでないシステムを作れてしまう」の典型の一面を映し出していた。
ドキュメンタリーを通して新たな昆虫に対する需要増加は大手の企業が経済社会的格差や様々な規制のゆるさなどを利用して、”持続可能産業”のグリーンな看板の元で新たに労働力や資源に対する様々な搾取を横行させる機会を与えるだけではないか、というメッセージが込められていたようにも思う。
サステイナブルな昆虫食のコモディティ化
「昆虫食」に限らずを新たなコモデティ(物品)として売り込み利益を上げるために「サステイナブル」という言葉がこぞって使破れているとも思われますが、一消費者として一体我々が何を買わされているのか、その環境に優しい商品を売っている人は何をどうして、どうやって作って売っているのか、しっかり見極め評価し選んでいく責任が消費者にはあると思うわけです。
特にサステイナブルであることを謳う昆虫商品の場合、売り手が言葉にするサステイナブル、というのは一体どういう意味か、一体誰の何のためにサステイナブルである必要があるのか。
そもそもこのご時世、地球環境はサステイン(現状維持)している場合ではなく、全てのビジネスが事業を成り立たせるために恩恵に預かっている地域と世界の生態系の修復、再生に向けたリジェネラティブ な貢献をそのビジネスモデルの骨組みあるいは一部にしないのであればエコだと言うだけである意味「グリーンウォッシュ」だと言われても仕方がない時代に入ってきたのではないでしょうか。
単にエコだと言っているから、という理由で調べずに商品を買うのであれば、それによって実は間接的に世界各地の食文化と多種多様な生物を支える生態系の破壊に貢献している企業を支援した、という残念なお知らせがまた一つ増やすことになってしまう。
責任ある賢い消費者とは
ちなみに賢い消費者としてグリーンウォッシュを見抜き「環境に優しい」商品とサービスを評価し購入することで地球環境に貢献するにはどうしたらいいのか。
そのエコ具合に関する謳い文句についてその企業が商品に使う原料や生産工程、消費者が使用に使う際のエネルギー消費など、などバラバラに評価するのではなく、材料調達から使用済み商品廃棄に至るまでプロセス全体の生態系や人間社会に対するインパクトを「サーキュラリティ」(循環度合い、とでもいうのでしょうか)という視点から評価するコンセプトを理解し、企業がそれをどこまで情報や指標として開示しているか、第三者機関の認定を受けているか、など厳しい視座で消費者の責任として勉強しながら真摯に努力をしている企業の評価し楽しみながら関心を持って選んでいく力が問われてくるはず。
問題は食糧不足でなく不均衡、不平等な食料分配構造
話は戻ってこのフィルムで印象的だったのは最後に、FAOと同じ国連機関であるWFP(国連世界食糧計画)が発表しているグローバルな食糧事情についてのレポートの抜粋として、「現在の食糧生産体制で全ての人類を胃袋を賄える生産体制、キャパシティがある」とするキャプションを使い、問題は食糧不足ではなく、現在の利益分配構造、広がる格差が多くの人々への食糧の供給とアクセスを恒久的に不均衡で不平等なものにしていることにあるのではないか、と訴え、映画の最初で流したキャプションにあったFAOの数値的な予測に乗っかって「将来食糧が足りないからもっと必要だ」とする昆虫業者の主張について疑問を呈していること。
昆虫食によるタンパク質の供給量が増えても、新たな利益構造を作り出しただけで、その利益にありつける人の割合、飢えてる人の割合は現状と変わらないし、今の世界の食糧生産にかかわる産業(農業、畜産と漁業)がそれぞれ抱えている根本的な問題である生態系の破壊を解決せずに昆虫食産業が発展したところで、われわれを取り巻く気候危機の問題は何も解決されない、というところだろうか。
このフィルムが製作を通してローカルからグローバル様々なレベルで作用している産業とのしがらみに起因しているかもしれない研究データの解釈、その権威機関や組織が発表した、とするデータの解釈の一人歩き、その印象を伝え広げるメディアの役割と意図、などいろいろドロドロしたものも見えてきて様々なドットをコネクトする大変に教育的なドキュメンタリーでありました。
昆虫産業がどの様に発展していくか興味深いですが、興味を引くオルタナティブな商品の開発を通して消費者に何か社会的環境的メッセージと問いかけを届ける、という意味はあると思う。
ローカル昆虫産業が世界に繋がっているであろう問題をローカルで解決する一つのアプローチとしてアピールしたり、新たなサステイナブル産業としグローバルなスタンダードを定め産業のサーキュラリティーなどインパクトを数値として開示するようになれば素晴らしいと思う。
個人的なポジションとしてはメリアブを一商品に留める事なく、新たな地域特有の資源再生システムとして既存の食システムと連帯して利用するのはローカルなオーガニック、パーマカルチャー的なライフスタイルと食へのアプローチと相性も良いと思う。
ということで地元で個別に完結するメリアブシステムを是非お勧めしたい。
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